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知識としてのルネサンス美術コミュの岩窟の聖母

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岩窟の聖母は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵。 ほとんど同じ図柄の絵が2つあり、ひとつは現在パリのルーヴル美術館に、もうひとつはロンドンのナショナルギャラリーに展示されている。

一説には、ヘロデ大王の幼児虐殺を逃れてエジプトへの逃避行の途中、岩窟に身を潜める聖母子と天使に守られた洗礼者ヨハネの姿という。この天使は大天使ウリエルであるという主張もある。

あるいは、外典である『ヤコブ原福音書』の降誕説話にもとづいてベツレヘム近くの岩窟を舞台とし、洗礼者ヨハネと大天使ガブリエルを加えたもの。すなわち受胎告知と降誕、受洗の3つのエピソードを同時に表しているとする。 ルネサンス期の宗教画には、複数のエピソードを組み入れる画面構成がしばしば見かけられる。

いっぽうの絵はフランシスコ会系の「聖母無原罪の御宿り信心会」から、ミラノにあるサン・フランチェスコ・ グランデ聖堂の祭壇画として1483年に発注された。ダ・ヴィンチは絵を完成させたが、代金の支払いを巡って裁判となり、発注から25年後の1508年にようやく決着、絵は依頼者の手に渡った。この絵は現在ロンドンにあるもの(ロンドン版)である。 もう一方の現在パリにあるもの(パリ版)は、1625年にフォンテンブロー宮殿に飾られていたことが分かっているだけで、制作時の依頼者や経緯は分かっていない。

2枚の絵が描かれた順番については、パリ版が先で、ロンドン版が後であったと見られているが、異論もある。 パリ版はダ・ヴィンチの特徴を多く残しているのに対し、ロンドン版は弟子たちの手によるものでないかと疑われている。 しかし、このころは工房による制作が普通なので、いっぽうが直筆で他方が偽物ということではなく、程度問題である。

最初の注文を受けたダ・ヴィンチは、最初にパリ版を描いたが、代金で折り合いが付かず、これを他に売りさばき、代わりに弟子たちを使ってロンドン版を描いて納めたという話がある。あるいは、この2枚以外にも今は失われた第3の絵があったとも信じられている。 これらの話は証拠があってのことではないが、注文さえあれば同じ図柄の絵を複数描いて売るのは、当時としてはあたりまえのことであった。 また、パリ版が最初の注文者の気に入らなかったため、修正したロンドン版を描いて納めたとの話もされている。 しかし、現存する2つの作品の差は加筆修正できる範囲で、最初から書き直さねばならないようにも見えない。

中央人物が聖母マリアであり、絵に向かって右端は天使である。 幼児は一方がイエス・キリストで、他方は洗礼者ヨハネであるが、どちらがどちらであるかは議論がある。

ロンドン版は画面に向かって左の幼児が十字架のような杖を持っているが、約束によりこれは洗礼者ヨハネを表す。 羊革の腰巻も洗礼者ヨハネのものである。しかし、パリ版にはこのようなものは描かれていない。 同じダ・ヴィンチによる最後の晩餐もそうであるが、この頃、わざとらしい光輪を描いたり、取って付けたアトリビュート(キャラクターを示すアイテム)を排して、聖人や天使といえどもリアルな人間像として描かれるようになる。 パリ版はそれを現しているが、ロンドン版も最初はそうであって、洗礼者ヨハネのアトリビュートは光輪とともに、後世の加筆であると考えられている。

実は画面左の幼児は幼子イエスであって、これを洗礼者ヨハネとしたのは後世の取り違えではないかとも考えられる。 画面左の幼児が上段に位置し、聖母マリアはガウンと右手でこれを守っているように見えるし、視線もそちらへ送られている。ロンドン版にはないが、パリ版は天使がそちらを指差している。

アメリカの作家ダン・ブラウンは『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、パリ版について画面左をイエスとし、イエスが洗礼者ヨハネを拝んでいることが教会の怒りを買ったと、登場人物に解説させている。しかし、これはイエスの洗礼のポーズと解釈すれば自然なものである。あるいはこのポーズが、画面左の幼児を洗礼者ヨハネとする、後世の誤解を呼んだのかもしれない。

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