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教えて、古代文明!!コミュの何でも質問箱

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管理人様の許可をいただきましたので、質問用のトピを作らせていただきます。
古代文明に関することなら、質問内容は何でもOKです。

コンセプトは初心者の方にもやさしくと言うことで、基本的なことでも、知りたいことがあればどんどん書き込んでください^^

ちょっと古代文明に関して考えると、ピラミッドの石はどうやって運んだの?とか、インカの石組みは何故剃刀の刃も通らないと言われているの?といった疑問は一杯でてくると思います。そのような疑問がありましたら、遠慮なく書き込んでいただきたいと思います。
超古代やオーパーツ、スピリチュアル的なものに関する質問もOKです。

また、私も質問に答えられるような知識もありませんので、そのような疑問に積極的に答えてくださる先生方も同時募集します。

ただ、ちょっとルールを設けさせていただきます。あまり専門的に深くなりそうだったり、議論になりそうでしたら、対応するトピか、専用のトピを設けてそこに話題を移動していただきたいと思います。

せっかくのコミュですから、皆さんで知識を共有できるようにするためにも、どんどん書き込みをお願いします。

コメント(129)

>偽史学博士さん
>なにより中国史の方で認める研究者が絶無なわけで・・・

ですよね。私は中国史等の世界史のほうがメインの趣味に近くて日本史は苦手な分野なのですが、こうやって日本古代史のサイトをちょっと覗くと、中国史では聞いたことのない話が、中国史を出典として出てくるので面食らうことがあるんですあせあせ(飛び散る汗)

どうもありがとうございました。
こんにちは。
みなさんの知識の深さに、いつも感動しています。

それに比べて、高校で世界史を選択していたのに、
サボっててさっぱりな私です・・・

こんな初心者にも分かりやすく、
時系列と簡単な各文明の内容の分かる本で、
お勧めがあったら教えてください!

できれば、地域で別れてるものではなく、
年代で分かれている(各文明が平行して分かる)ものがいいです。

※高校時代、中国史は14世紀で、ヨーロッパは15世紀で〜と、
微妙にずれた時系列での授業で、
どっちがどっちか分からなくなってしまったトラウマがあるので・・・汗

なにぶん、古代文明に関しては、
TV等の知識くらいしかないので、
少しでもみなさんに近づけたらと思っています。
よろしくお願いします!
単純に時系列での世界史を把握したいなら歴史年表が一番です。グラフィカルに各文明の発生と終焉、また主要な出来事なんかが載ってます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4642095071
地図も付いてて地理的な把握(民族の移動経路とか)もバッチリ。
>芹沢文書さま

早々のお返事、ありがとうございます。

確かに!
年表って言うのがありましたね・・・汗
見てみたら、2009年4月発行のがあったので、
さっそく注文してみます!
あと一つの項目を軸につながりを網羅的に把握するにはWikipediaが適任です。キーワードがどんどんリンクするので関連項目をその場で確認できます。ただ内容の信頼性ではやや劣るので、他の資料と併用すると吉。
> りんりんさん

携帯からなのでリンクは貼れませんが…あせあせ(飛び散る汗)

あとお勧めなのが高校副読本の歴史地図

文化史の流れはやや把握しづらいと思いますが、進出方向や民族移動・交易路などは一目瞭然手(チョキ)

同時期に栄えた国や都市などもわかりやすいです。場合によっては海岸線や河川経路の変遷などもありますし…わーい(嬉しい顔)
>りんりんさん
ご希望の内容とはちょっと違うかもしれませんが、こちらのサイトは世界史を統合的に扱っていて、結構参考になりますよ。
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history.html

文明の紹介なら、中央公論新社の「世界の歴史」の1巻が旧大陸だけでなく新大陸の文明も取り扱っていますし、創元社の「世界の歴史」1巻もメソポタミア・エジプトからクレタ・ミケーネまでの解説があります。
紹介したサイト・書籍でありがたいのが、人類の出現から文明の誕生までも取り上げていてくれることです。やっぱり文明の誕生までの前史も大切だと思いますので、紹介しておきます。
> Gomiさん

コメントありがとうございます!

高校の歴史からもう一度勉強するのが目下の目標ですね!
芹沢文書さんにご紹介いただいたものの関連書籍にもあったので、
副読本も見てみます^^
> 空さん

ご紹介ありがとうございます!
今、パソコンで見られないので、携帯からHPを見ました。
質問では文明を分かり易くと書きましたが、もちろんそれ以前も知りたいと思っていたので、
とても参考になります。

なにぶん、基礎すら危ういので、
まずは大まかな歴史から学びなおしていこうと思います。
> 芹沢文書さん

さらにコメントありがとうございます!
Wikiはもう少し基礎ができたら、見てみます。

上でも書きましたが、
なにせ基礎すら危ういので、
何が真実で何がデタラメかも判断できないですから 汗

ビリーバーさんにはなりたくないですし…(^^;)
>99
ビリーバーさんが集中するのは、やはり古代文明絡みが多いですから、それに関して「参考にしてはいけないキーワード」を知っておくと、ネットでかなり有用な知識を得ることはできますよ。書籍に関しては、実は私は96で挙げた中央公論新社の「世界の歴史」は、全体としてはあまりお勧めできないんです。全部を読んだわけではないですが、1・2巻は良かったのですが、他の巻は必ずしも主流でない説を出していたり、相当知識(高校世界史レベルでは多分追いつきません)を知らない人には理解できない内容が多いので。

私は今はネットから調べることが多いのですが、そういうキーワードをチェックしているお陰か、ネットでそんなに変な情報はほとんど見ないんです。ビリーバーさんもネットで情報を拾ってくるのに、得る情報が違うというのは面白いなとは思います。

あと、基本はやはり、どこか「興味のある地域・時代」を抑えて、そこから前後の流れ、その時期の他の地域とだんだん広げていくのがいいと思います。
それと、逆の意味でビリーバーさんの主張も調べるきっかけにはなります。ビリーバーさんの主張は、突き詰めていくと、必ずどこかで行き詰るんですよ。何十年も変わってないとか、元々主張したのが一人だけで、その焼き直しを繰り返しているとか。

一番いいのはあまり基礎に拘らず、面白そうな話を肩肘張らずに調べてみるってことですね。楽しまなければ損ですし、こういうコミュもあるんですから、「こんな情報ありますけど」と教えていただけると、こちらも調べてみたり、私のような薀蓄好きには解説する楽しみができますから(笑)
> 空さん

お返事ありがとうございます^^
みなさんがおっしゃる?『あちら』のコミュで、
いろいろなトピックを拝見しまして、

¨まずは基礎が大事!¨

と思ったのが、こちらで質問するキッカケでした。

とは言っても、UFOとかも好きです。(盲信はしてませんけどね 笑)

興味があるのは、やっぱりマチュピチュ!
なんであんな過酷に思われる地で、生活したんだろう…(神により近い場所にいたいから?)などなど。
気になることは尽きません。

せめて、今調べればすぐに分かるレベルくらいはきちんと押さえてから、
空さんはじめ、みなさんにたくさん教えてもらおうと思ってます!
>101:りんりんさん
ちょっと私流の調べ方を紹介すると、例えばりんりんさんが出している、マチュピチュが過酷な地かどうか?ということに疑問を持ちました。
水の問題やあそこに建造物を作る手間はちょっと置いておいて、標高のほうを調べてみると、マチュピチュ遺跡の標高は2200〜2400メートル位で、随分高い位置にある遺跡だなあと、確かに思いますし、切り立った山の上ですから我々の感覚では随分過酷な環境にも感じます。

しかし、インカの首都のクスコも調べると、あそこは3300メートルくらいで、マチュピチュより更に1000メートルくらい高いところにあるんです。元々あのような高山地帯に住んでいる人たちは、身体がその環境に順応していて、我々がいきなり高山に来て高山病にかかるのと反対に、急に低地に行くと「低山病」にかかってしまうこともあるんです。

あそこの行き来は確かに大変でしょうし、あの場所に何故作ったのか?とか疑問は結構あるにしても、住むことに関しては、水と食料さえ解決していれば私たちが思うほど大変ではなかったんじゃないかな?と想像できるんです。そこからさらに水や食料に関して調べたりしていく、という風に順番に細かく調べていくのが私のやり方です。
>102 空さん

なるほど!
今のように、常に移動することが前提でなければ、
そこまで『過酷』ってこともないんですね。
空さんの調べ方、参考にします!

早く年表が見たいです^^

>「参考にしてはいけないキーワード」
そう言えば「ニセ考古学リスト」の作成がストップしたままでした。放置状態ですみません。
やっぱりトンデモさんの多い学問ジャンルについては一通り、そういうリストがあった方がいいよなぁ。
キーワードとして、”参考にしてはいけない人”なんかもいますしね。モノよりはガクッと減りますし、これを組み合わせて上手い整理法があればいいんですが。ニセ考古学は、大本の人間の名前と主張を抑えてしまえば、調べるに当たってかなり引っかかりにくくはなるんですよね。
 トンデモ考古学で、被引用のランキングを著者や文献単位で数字で出せたら面白いだろなー、と妄想。
 商売になんなそうなので妄想の域を出ません。
こんにちは。
私のような初心者(高校レベル程度の知識)では、
なにがトンデモか、判断がつかない場合が多いと思うんですよね。
『超古代文明〜』コミュを見てると、
ある程度は分かるようになりましたが 笑

でも、トンデモなものがまとまってるのを見られれば、
それはそれで、とても助かると思います^^
ちょっと、マヤ暦に関する質問をさせて頂きます。
マヤ人がかなり正確な太陽暦の一年の日数を割り出していた、という話なんですが、マヤの長期暦・ツォルキン暦・ハアブ暦を調べてグレゴリオ暦に換算するソースコードを組んでみたのですが、単純な日数の組み合わせで、その中で別に補正するような条件が見つからないんです。
ちなみに、例のフォトンベルトに絡められる、2012年の12月21日ないし23日は、13バクトゥン. 0カトゥン. 0トゥン. 0ウィナル. 0キン. 4アハウ. 3カンキンと出ました(ネット上の同種の変換ページでもこの結果に)。

365日を扱っているのはハアブ暦ですが、これは単純に365日周期の繰り返しのようで、これで1年・2年という年数の数えはやってないようですし。少なくとも上記の暦って、一年の正確な日数を元には作られていないんじゃないのかなあ?と
>108

「ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日にあらわれるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる(青木1984,pp.137-8)。」

「では、マヤの人々は一年を何日と考えていたのだろうか。かっては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説である(八杉1982,pp.31-2,コウ/増田、武井・徳江訳2003,pp.187-192,p.254)がその誤りが判明している。実際に残されていた記録を探ると365.2421日(3845年間に931日の閏日)、365.2417日(3898年間に942日の閏日)といった日数が算出され、マヤの人々が得ていた日数は必ずしも精度が高いとは言えないようである(小池1996)。」

以上Wikipediaより。
というわけでハアブ暦以外の形で補正していたということのようです。

彼のコミュの太陽が云々のお話しは…

古の潮汐説と関係があるのでしょうか?

全くの無関係でしょうか?

ふと思ったものですから


>よーこ&まま様


古の潮汐説とかいう以前に実際の古代の世界観とは関係なさそうです。
しかし、ひどいレビューばっかりだな、こりゃ・・・
http://mixi.jp/view_item.pl?id=255445

> 偽史学博士様

有難うございます。

なるほど…
ただの相変わらずのようですね。

レビューで、お腹いっぱいになりました。


>109:芹沢文書さん

ありがとうございます。一応ウィキペディアのそのページは目を通しているんですが、ズレは認識していたけど暦には別に補正はかけていなかったんじゃないのかな?と思った次第なんです。長期暦は紀元日からの経過日数を表す単位ですから、周期性の表現が可能というだけで。


>長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0〜

私は計算とか全然駄目なので、ここはちょっと意味が分からなかったんです^^; ズレがある以上、差はどんどんでかくなるんじゃないかなあ、と思ってしまって(ちなみに1.18.5.0.0は、開始日を0日目とした場合の275,400日目になります)あせあせ(飛び散る汗)

元々調べてみた原因は、例の2012年ネタでマヤ暦の正確性を一緒に主張していることが多かったからなんです。実際にそういう暦なのかな?と。実際にソースを組んでみると、確かに複数の暦が組み合わさっていて、総合するとかなり複雑なんですが、私にはその中に正確な一年を考慮している形跡を見つけられなかったのであせあせ(飛び散る汗)
>ズレがある以上、差はどんどんでかくなるんじゃないかなあ
えーとアレじゃないですか、「一周すると元に戻る」という。
まあズレというなら半周差が最大値てことになるわけですが。
単に暦と、天体の見かけ上の運行の矛盾が顕著になる前に、その暦を使っていた文明が終わったというだけのことではないでしょうか。
>芹沢文書さん
>えーとアレじゃないですか、「一周すると元に戻る」という。
これで気づきました。ズレが365日になっちゃえば、年は一年ずれても季節とのズレが解消されることを^^;
で、計算してみると 365÷0.2422≒1507.0189 で365日暦での1507年目は実際には約1508年目にあたるから、ズレが最大の約0.5(半年)になるのが1508年の半分の754年目。最初の年を紀元1年とすれば755年になるかと。長期暦の1.18.5.0.0は、実際の754年目の始まりに近い日数でした。どうもありがとうございました。

>偽史学博士さん
>単に暦と、天体の見かけ上の運行の矛盾が顕著になる前に、その暦を使っていた文明が終わったというだけのことではないでしょうか。

その可能性はないです。発掘された最古の暦は前36年と推定されていますし、この暦は古典期後期(9世紀)まで使われていたようですので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%9C%9F%E6%9A%A6
http://www.geocities.jp/ruinas_maya/tematicos/calendario/index.html

上記の1508年のサイクルで西暦紀元前後は自然に実際の天体の運行とのズレはあまりないのですが、そこから900年も一般的に使用されていますから、ズレまくりです。327年で3ヶ月ずれるんですからあせあせ(飛び散る汗)上で述べたように、天体の周期は長期暦で表すことが可能ですし、多分、古典期にはハアブ暦と天体の関係はなくなっていたんじゃないかと思うんです。
古典期終末期以降は使われなくなっていったようなので、やはりハアブ暦はそれほど重要ではなくなっていったんじゃないかと。

この長期暦・ツォルキン暦・ハアブ暦の組み合わせは、マヤ暦というより「マヤも使っていた暦」と言ったほうが正確なのかもしれません。メソアメリカ各地で使っていますし、出土する最古クラスの暦はマヤ以外の地域で出ているんですよね。

※116を少し直しました。
トピ主としてお答え・リアクションをしたいんですが、私は古代史中、日本古代史が一番苦手でして^^;
ということで、古墳時代に詳しい方がいらっしゃったら、是非御回答お願いします。

ちなみに私の地元付近(岐阜県)にあった古墳は、たしか4世紀の前方後円墳で、規模は60メートルを超えていなかったように記憶しています。道路工事で一部どころか古墳全部が潰されてしまい、発掘報告書しか残っていないのですが。それも学生時代に少し調べたことで記憶は朧ですが、それでも県下ではかなり古いほうの古墳だったと思います。
みきぱぱ様

東海地方の古墳については、愛知県埋蔵文化財センターの赤塚次郎先生が廻間式土器の編年から近畿の庄内式・布留式土器時代と並行して、3世紀にまでさかのぼるものがあると主張しておられます。
http://higashinomiya.com/kuna/index.php?%B6%E9%C5%DB%B9%F1%CF%C0
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo06/0601kitoa.pdf

もっとも近畿の古墳についても、布留0式が本当に3世紀前半にまでさかのぼるのか検証中の段階ですから、赤塚先生の御研究も本格的な検証はこれから、というところなんですが。


なお、古い様式の古墳が前方後方墳になるというのは東海・関東地方で見られる傾向。西日本では古い時代の古墳の様式は前方後円墳が主流です(中国地方における古墳時代の大型四隅突出墓をどう扱うか、とかこまごまとした問題はあるのですが)。
みきぱぱ様

一昔前は、弥生時代の青銅器の分布や、古墳時代の墳墓様式の分布がそのまま文化圏ということで通用していたのですが、現在では、たとえば佐賀県・吉野ヶ里遺跡出土の銅鐸や、島根県・加茂岩倉遺跡での銅鐸・銅矛(および隣接する地域の荒神谷遺跡における銅剣)伴出など、イレギュラーとして無視するにはあまりにも重大な例外が増えることでそうそう簡単な文化圏判別はしにくくなっています。

前方後円墳については、その分布が価値観を同じくする文化圏を形成していたということ、その文化圏形成が大和を含む地域の主導で進んでいたことに、まず異論はないわけですが、その文化圏における政治的統合がどれほど進んでいたかについては考古学者ごとにイメージの違いがあったりします。

中部地方については纒向遺跡から中部系の土器が出土しているという事実もあるので、大和朝廷の支配下に入ったというより、恒星、大和朝廷とよばれるようになる権力中心の形成に早くから関与していた、とみなす方が正解かも知れません。


やっとPCなるもので、色々アクセス出来るようになったのですが…

調べるとなると上手くいきませんたらーっ(汗)

昔の知人に大分の神社の息子で、秦(しんと読みます)と云う名字の方がいるのですが、こういう場合は昔の秦氏等と某かの関係が有るのでしょうか?

ふと思ったのでたらーっ(汗)
顔(願)ご迷惑でなければ教えて下さい。
古来からの神職の家系だと古い氏の系統だったりもしますね。有名な所では出雲大社の宮司の千家(せんげ)氏は、古代出雲を支配した出雲国造の家系です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%80%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0

ただ、後世箔をつけるために、先祖を貴種にしたり、別の先祖で家系図を作り直したりする例もありますから、難しい場合もあります。元来藤原姓だった織田信長が平姓を名乗ったり、徳川家康が源姓を名乗ったり。
あ、忘れてた^^;
PCデビューおめでとうございますわーい(嬉しい顔)

> 空さま

なるほど姓だけで単純に判断も出来ない訳ですね。

ありがとうございます。

今更ですが見えにくかった資料等も、さかのぼって確認しております。

まだ入力は…うれしい顔携帯ですがあせあせ(飛び散る汗)

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