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教えて、古代文明!!コミュのシュメール文明について。

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このコミュの特徴は表裏一体…
というわけで…



“教えて、シュメール文明!”



●面倒でしたら、リンクとかでも構いません。
●これも早々終わってしまう恐れがありますので、シュメール文明に惹かれた・惹かれる部分、感想などを書いていただいても。
●もちろん自説の展開も。ただし『私はこう思うよ』などと前置きはして下さい。まぁ大丈夫ですね。






私、シュメール文明は気持ちいいくらい無知です。
説得力さえあるなら、宇宙人説だって…

コメント(26)

 某コミュのほうでも書き込みしていた者です。いましがたこちらにも加入させていただきました。
 ひさびさに百科事典をひっくり返して知識のアヤシイ箇所を補完する作業は結構たのしいんですけども。
 宇宙人介入説だとオールマイティじゃないですか。orz

 ...あっさり向こうでスルーされたんで天文の話しを。
 継年観測と通年観測が可能な気象条件と神官層の存在と、測量から生み出された幾何とがシュメールとエジプトの暦を産んだとおもうほうが、ずっと無理がなくていいと思うのです。

「ドッコイショ。あーここで休ませてもらおう。」
by月の家圓鏡(橘家圓蔵)
お疲れ様でした。

>継年観測と通年観測が可能な気象条件と神官層の存在と、測量から生み出された幾何とがシュメールとエジプトの暦を産んだとおもうほうが、ずっと無理がなくていいと思うのです。

全く同感です。宇宙人のほうが相当無理しなきゃいけないんですけどね(笑)
宇宙人が何なのかも分からないのですから、何が宇宙人由来かすら判断できませんしね。

メソポタミアとエジプトでも暦法が違いますし、それぞれ独自に作られたと考えたほうが自然でしょうね。
暦法が太陰太陽暦ということは衛星である月の公転周期を第一義にみて、第2要因として天球上の太陽の位置で閏を設けるわけですから、そんなヤヤコシイ計算を本来は他の公転周期が1年である異星人が教えるのには相当の習熟が必要と思われますね(笑)

まぁ某コミュでは最初から完成されていた文明 との言説が盛んでしたが、もしそうなら原形を他に求めなければならないだけのことだと思われます。
−丁度、殷が完成されていたので「夏」を原形として所在地遺跡不明のまま認めているように−
あのぅ…

基本的にどういった文明だったんですか?


ヒィ、ゴメンナサイ!
うーんと、とりあえず私も本の内容を整理しながら、まずシュメール文明の期間について、大雑把に説明させていただきます。

チグリス・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方は、北部のアッシリア・南部のバビロニアの2地方に分かれます。そして、バビロニア地方は、更に北部のアッカド地方と南部のシュメール地方に分けることができます。南部バビロニアに生まれた文明が、シュメール文明です。

シュメール地方での最古の遺跡はBC6000年代のもの(ウバイド・ゼロ期)で、これはチグリス中部のサマラ文化の影響が見られるようです。それ以前にシュメール地方に人が住んでいた跡は見つかっていないようです。
ウバイド3期(BC5000年代)くらいには、このウバイド文化がメソポタミア一帯に広がっていきます。

そして、シュメールに本格的に都市文明が生まれ始めるのが、ウバイド期に続くウルク期の初期(BC3400年頃)です。そしておそらくウルク後期(BC3300〜3100年頃)に粘土板による文字のシステムが生まれ、次のジャムド・ナスル期には南部メソポタミア一帯に普及しました。

文明の始まりはシュメール地方なのですが、北にいるアッカド人もシュメールの影響を受けて都市文明を発達させ、ジャムド・ナスル期に続く都市国家の抗争があったシュメール初期王朝時代を経て、アッカドのサルゴン王が前2330年に一時南部メソポタミアを統一します。

その後、アッカド王国が分裂して異民族のグティウム族の支配(グティ時代)を経てBC2112年よりウル第3王朝時代に入ります。このウル第3王朝が、エラム人によって滅亡するBC2004年までが、一般にいうシュメール、もしくは「シュメール・アッカド時代」になります。その後のイシン・ラルサ時代を経たあとは古バビロニア時代に入り、シュメール人の足跡は分からなくなります。

以上、シュメール文明というのは、大体、ウルク期からウル第3王朝まで、BC3500年頃から2004年までの1500年くらいの期間になりますね。

参考:中央公論新社「世界の歴史1」

シュメール文明の内容やシュメール人については、また改めて説明させていただきます。ちょっと大変ですので^^;
>4
ヤマギシ様
そういう時こそこれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
あのトピと関係するのは次のくだりですな。
>シュメール人は、おそらく彼らの多くの発明のために思い起こされるであろう。多くの権威者が、車輪や陶工ろくろの発明を彼らに帰す。彼らの楔形文字は、私たちが証拠を持っている最古の文字体系であり、古代エジプトのヒエログリフより少なくとも50年は早い。彼らは、最初の公式な天文学者であった。彼らは戦車を発明し、ひょっとしたら軍の隊形を発明したかも知れない。おそらく重要なことには、シュメール人は最初に植物と動物の両方を育てていたと、多くの学者が信じている。前者の場合は、突然変異の草を系統的に栽培・収穫することであり、一粒小麦や二粒小麦として今日知られている。後者の場合は、原種のヒツジ(ムフロンに似る)やウシ(ヨーロッパヤギュウ)をお産させて飼育することである。これらの発明や革新は、容易にシュメール人を先史や歴史の中で最も創造的な文化に位置付けるものである。<

>3
Gomi様
>某コミュでは最初から完成されていた文明 との言説が盛んでしたが、もしそうなら原形を他に求めなければならないだけのことだと思われます。 <

1970年代あたりにはシュメール文明の起源を外部に求める議論がさかんでした。有力視されたのは、世界最古の黄金文明と言われるブルガリアの黒海沿岸(現在ではトラキア人の文明という説が有力)、世界最古の農耕地帯といわれるアナトリア、世界最古の青銅器が出土した(とされた)タイ北部のバンチェン遺跡周辺(ただし現在はその年代測定は疑問視されている)など。
最近では、ウバイト期の文明の解明が進むにつれて、シュメール文明もメソポタミアで自生したという意見が有力になっているようです。
なお、シュメール人はインダスやエジプトと早くから交易を行っていたので、シュメール文明の自生説をとるにしても、他の古代文明圏からの影響は否定できません。

先行文明問題を抜きにして、いわゆる4大文明の枠で考えても、メソポタミアでシュメール人の都市国家乱立が起こった3500年前頃は、エジプトでは上下エジプトが統一され、広域国家への歩みが始まった時期。それを思えば、シュメールばかりもてはやすのもどうかと思います。
>6
私はwikiのその何でもシュメール発明のような記述が、疑問を持ったきっかけだったような。農耕と牧畜の同時経営はシュメール人が最初に行ったとしても、たとえば西アジアから中央アジアにおける、オアシス地帯における農耕と牧畜の併用が(ユーラシアではそこから遊牧が分化しますが)、シュメールから伝わったものなのかな?と。
ヤギや羊の家畜化の最初はシュメール都市文明以前のようですし、農耕は当然シュメール以前に遡ります。シュメール人とは時期的にずれても、牧畜・農耕の両方の環境に恵まれていれば、自然に併用をする地域があってもおかしくない気もするのですが(オアシスにおける農耕・牧畜の最初をまだ調べていないので、説得力はないのですが)。
それに、50年ほどの差しかないヒエログリフとシュメール文字の誕生の差を強調したり、どうもそのwikiの記述はシュメールに偏ってるような気がします。
 泥縄的によみはじめたらこんなツボおされまくりの記載がありました(^-^)。

...「超古代史」という不思議な分野がある。こうした分野ではともに膠着語を言語とすることからシュメル人と日本人を結びつける論がもてはやされている。(中略)天皇のことを「すめらみこと」というがそれは「シュメルのみこと」であるといった俗説が流布した。そこでシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生が混同されないように音引きを入れ「シュメール」と表記された。三笠宮崇仁様はこの話を中原先生から直接うかがったという。

「五○○○年前の日常 シュメル人たちの物語」
小林登志子、新潮選書、2007、p.10より
>>おそらく重要なことには、シュメール人は最初に植物と動物の両方を育てていたと、多くの学者が信じている。


んーーーーーー。こんなのは聞いたことがありません。動植物の家畜化・栽培化は一般的に、新石器時代から同時に行なわれていると考えられていますが。確かに農耕の方が先だったようですけど、6000 B.C. ごろには羊・山羊の家畜化が済んでいます。ついでに言うと、定住には基本的に農耕が必要なため(遊牧民を除く)定住者が家畜を飼っているのに農耕を持たない、というシナリオはほとんど考えられません(例外もあるでしょうけど)。ということで、文明を築いたシュメール人がその両方を行なっていたのは間違いないことですが、そうした「最初の」人だったというのは、まぁ、あり得ません。
『最初の人』ではない…
超古代文明?
いや宇宙人だッ!



え〜と。
まだ2000年程度経過しただけで、基準点から6000年前ってことは…
上手くまとまらないのですが、進歩にはそれなりに時間かけてると言いますか…

人類って凄いけど地味ですね。

(10が色々言葉不足で関連不明だったので書き直しました)
>シュメルのみこと
……今ちょうど別コミュの日ユ同祖論トピで類似説をやってますが、あれも「スメラ・ミコト」=古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」とか色々言いたい放題。
適宜突っ込んでビリーヴァさんの巣にならないよう軌道修正しようかと思ったんですが、「詳細は明かせませんが確かな筋の情報です」なんて堂々と書くあたり、多分言っても無駄なんだろうと。
〉6:偽史学博士さん
いへ原形と言ったのはプリミティブな形での原形であって、同一の完成された文明が別地域にあってもシステムとして完結しておれば、その原形はタイであれアナトリアであれ又その原形はまた別に求める必要があると思います。
ゆえに別にメソポタミアにシュメールの原形文明−若しくは文明化まで到っていない文化−例えば文字未使用の農耕文化−があっても可笑しくないとは思います。

ん?未発掘・発見の文明をウンヌンするのであれば「ト」と変わりが無いかな(笑)
>中原与茂九郎先生が混同されないように音引きを入れ「シュメール」と表記された。

いつ頃の話なんでしょうね。中原氏の生没年を調べてみたら(1906-1988)、戦前・戦後のどちらも可能性ありそうですし。日ユ同祖論は酒井勝軍のおかげで広まりましたが、シュメール同祖論というのは、やはりこれと同根から派生したのでしょうかね。
>シュメール同祖論というのは、やはりこれと同根から派生したのでしょうかね。

原田敬吾という人物が日本でのまともなバビロニア学会でシュメールの神々が日本でも崇拝されていると発表したのが大正7年、大三島の神職・三島敦雄が原田と会見したのが大正12年、それが日本人スメル起源説を奉じるスメル学会の旗揚げになったわけで、酒井勝軍が活躍するよりやや前の時期ですね。
三島の著書『天孫民族六千年史の研究』(昭和2年)では、三島は主に「スメル」の表記を用いていますが「シュメール」「シュミール」とも発音できることを認めていますし、同署にあとがきを寄せた原田は「シュメール」と表記しています。

 したがって、中原氏がスメル学説に対抗するために「シュメール」と表記したという話は眉唾、むしろ、それまで「シュメール」と表記されていたものを三島らがあえて「スメル」表記を定着させようとした、という可能性が高いです。

 ちなみに昭和初期におけるサンスクリット研究の権威・高楠順次郎もスメル学会のシンパで、昭和19年に『知識民族としてのスメル族』を発表、シュメール文明がオセアニア経由で日本にもたらされたと主張しています。
>16:偽史学博士さん
どうもありがとうございます。大正12年というと、小谷部全一郎の「義経=ジンギスカン説」の前年ですね。竹内文書といい、日本人ルーツに関するトンデモ系は、大正から昭和初期のこの時期にほぼ出揃った観がありますね。80年くらい経っているのに、今も主張内容はあまり変わらない気がしますが(笑)。
>17
空様

>80年くらい経っているのに、今も主張内容はあまり変わらない気がしますが(笑)。<

実際の話、90年台以降またぞろ出てきた日本人シュメール起源説の人の本を読むと、参考文献の筆頭にあげているのはだいたい『天孫民族六千年史の研究』と『知識民族としてのスメル族』だったりします。
>実際の話、90年台以降またぞろ出てきた日本人シュメール起源説の人の本を読むと、参考文献の筆頭にあげているのはだいたい『天孫民族六千年史の研究』と『知識民族としてのスメル族』だったりします。

当時とはシュメール文明の知識・理解は相当変わってきているのでしょうに。現在の研究成果と当時の同祖論とはもうかみ合わなくなってると思うのですが、その辺りをどう整合させて本を書いているんでしょう。
ちなみに私は最新の情報と自分の昔読んだ情報との整理だけでも、大変なんですけど^^;
>偽史学博士さま

 遅まきながらCiNiiとNDL-OPACで追加調査をしてみました。
 中原与茂九郎氏が戦前から「シュメール」表記だったことは確認できました。「紀元二千六百年記念史学論文集」(1941)という京都帝大文学部の論集に「シュメール法について」という論文を寄せています。
 三笠宮は「乾燥の国 イラン・イラクの旅」(1957)では「シュメル」をつかっていました。(「古代オリエント史と私」(1984)への再録部分で確認)
 戦前に「シュメル」表記を井上芳郎という人が使っていました。経済史の雑誌に論文を出していますが、所属が慶応大図書館になっています。日曜歴史家?
井上芳郎さんという方、慶応義塾大学図書館では伝説の人物のようです。
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060708/p1
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060921/p1
 シュメールそっちのけで本業にいそしんでましたので(笑)間が開いてしまいました。
ちょっと古い本ですが、手頃な大きさで図版が豊富な「世界古代史双書1 メソポタミアとイラン」(1970、創元社)という本がありました。
 眺めるだけでもたのしい編集もさることながら、著者がなんと、「M.E.L.マロワン」です。1904年生まれのひと。
 予想、つきますよね。アガサ・クリスティの二度目の旦那さん。本業の方でもしっかり有名だったとは。
この前BSの特集で、100年前のアンコールワットのカラー映像を見ましたが、遺跡は古い映像ほど新しい状態に近くなりますね○
 シュメールにハマった図書館員・井上芳郎の「シュメール・バビロン社会史」(ダイヤモンド社、1943)を見てきました。千ページちかい分量で背が壊れかけだったので借り出すのは見合わせましたが、法律粘土板の読み解きがおもな内容の、いたって真面目な本のようです。粘土板文書の図版や本文に組み込んだ楔型文字の図版も多く、手間のかかった本に見えました。
 1943年の出版で20円弱、初版850部とありました。物資が不足していくご時世によくだせたなあと思います。

...なんか、日本におけるシュメール受容史の話しばかり振ってしまいましてすみません。
いやいや、水晶ドクロと違って、このトピは成功だと思います。
ガシガシお願いします。
久しぶりに「宇宙戦艦ヤマト・完結編」を見たので、思わず小林登志子著「シュメル−人類最古
の文明」を買って読んでみました(完結編の敵は、シュメールの名称を使ってるので)。

当時の生活を見せてくれる記録が載っていて、それを読んでるだけでも面白いです。
訳文をさらに思い切り意訳して、つまりこういうことかなあと、紹介してみると、

ある夫人の言葉
「私の夫は私のために穀物を積み上げてくれるわ。
私の息子は生活用品をくれるの。
私は愛人に魚の骨を抜いてもらいながら、彼と魚を食べてラブラブしてよっと♪」

ある学校の風景
「学校で先生は、ボクの誤字が悪い、発音が悪いと鞭でたたくし、一日中たたかれっぱなしだった。
それでボクは家に帰ってパパにお願いしたの 『先生におもてなしをして』って。
パパは先生を家に呼んで、お酒やら食事やら衣服やら、色々おもてなしをしてくれたの。
そうしたら、先生はボクを褒めてくれるようになったの!」

あくまで私流に書き直してありますが、こんな記録を見ると、やはり現代と全く変わらない実に人間
臭い生活をしてたなあと、つくづく思います。

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