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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの夜中にも樹は見てるよ・・・夜中に孤独になったときに

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夜どうしても眠れない、どうしても辛い、どうしても不安な方に

夜にも樹はしっかりとあなたを見てることを、ここでおしらせしますね。

夜に孤独な思いをされてる方。どうぞ樹を信じてくださいな。

このハナミズキは朝と夜なんです。同じ樹だから・・


もちろんコメントもOKです。そう、辛かったのですね・・・でも、どうぞ書いてさしあげてください。

コメント(27)

夜・・・確かに家の屋根の下に家族がいたら孤独が薄れます。
祭りが終わった、また旅に出よう・・
今日からもちろんコメントもOKです。そう、辛かったのですね・・・でも、どうぞ書いてさしあげてください。

やさしいお気持ちで・・・
たかっちU^エ^U さん、癒されたかしら?
不思議なことに、また夜もながくなってるせいか。
疲れも出てるかもしれないが・・
夜中に目を覚まし、よく昔の辛いことを考えるようになってる。

冬至の前は、日が暗い。

この1ヶ月誰でも気が滅入るという・・
冬至が終わると1日1日日が長くなる。そして夜が短くなる・・
dolceさんクローバー
どの画像も素敵ですが、7番の画像がとくに好きです。
“寂しいけれど美しい”写真ですね。

昨日、ちょっと疲れた出来事がありましたが、ここで癒されました。
ありがとうございますクローバー
大雪でした。夜中になんども「どおおーん、どおおーん」という
音が聞こえました。
私は昨日用事で徹夜にちかく古い着物の始末をしていました。

どおーん、どおーんと着物の洗った香り・・不思議な夜でした。
風が吹いてる音がする。

春一番が夜中にあったのだろうか?

如月の夜の不思議・・
仕事の余韻が残って夜中に目が覚める。
25年医師業やってもまだプレッシャーがあるんだ・・


夜中の風。春一番だろう。

「春になったら」どうなるのかはわからない。

あなたが一生懸命だから夜中に目が覚めるんだよ・・

と慰めてくれてるようだ
花粉症の季節。一人ひとり痛くないようbに痛くないように・・
聞いて薬を出して、処置をして・・

それでも昨日男性が一人「薬でええっちゅうんじゃ!鼻にこんな痛いことするのはええ!」薬でええっちゅうのに
なんでするんか!と怒って帰った・・・

大勢の人が入る中・・・

夜ねむえrないこともあるんだ。そういう夜は
夏の夜の雨。雨の音がきこえる、風が入る。

静かに私の血に、体に、静かな静かな何かが入ってくる。

ありがとうございます。土曜日の昼目が痛くなり、そのまま土曜午後の診察を覆えて、やっと救急の眼科にいって・・感染症といわれて驚きました、
その晩は眠れなかった。風の音、秋の音が聞こえて・・

その次の連休の朝すっかり目が治り、今日眼科でも異常なしでした。

夜の神様が癒してくれることもあるのかもしれない・・
初コメントでするんるん
秋の音…って、どんなでしょう。
私の街のほとんどの街路樹がハナミズキです。大好きな木の一つです。
秋の木の音はやさしいです。

でも最近夜の風の木の音すら「やさしく」感じるようになりました。

しかもひとつひとつ違うやさしさをもっています。
時間ってながれていくものなんですよね。

案外とね・・
今考えると(半世紀生きてた)私には
「挫折」とか「もやもや」とか「達成できない」「結果がでない」とか、そういう時に「ま。仕方ないさ」じたばたしてもしかたないさ。
「ちょっと視点を変えてやってみた」ことのほうが、案外のこってるんですよね。

もしあの時「思い通りに事が運んでいたら」こういうことが出来なかっただろうって。
それは10年後に解ったことなんですけどね。

近頃、仕方ないさ、あたしの力じゃどうにもならないって笑顔で言えることも
味があると思うようになったのね。

失敗とか天候とか、人の心とか、いっぱい変わらないものはあるんだ。

生きてる限りね。

でも成功もいいけど、失敗もいいもんだよ。

こういう「失敗の時期」なんだってね。 人生って思えば成功したかどうかは
心でおもうことなんだよね。失敗もね。

意外とね。失敗から学んだこととか、失敗の思い出って残るんだね。

ただね、これだけ。失敗したとき他人のせいにはしちゃいけないんだ。

人は疲れる。
それは、ある場合は、努力して努力した結果の疲れというより
「努力しても思うようにならない」「人から自分の思うようになってくれない」
から・・ということが多いのではないでしょうか?

そういうときは発想の転換がいるんですね。この世はけっして「すべてが」思うようにはならないんだ。だから・・・○○しよう(これは、人によって違う。
あきらめるでもいいし、発想を変えようでもいい)

でもそういう疲れきった時に「じゃ、変わろう」といってもそのエネルギーすらないこともあります。その時に、がんばらないでもいい。

しばらくたって気力がわくまで、「そのままでいいんだ。今は戦わなくていい」
それが一番なんです。戦いたくない時に無理するとどこかにひずみが起こる。
「今はたたかわない。じっと風の音だけでも聞いておく」
時間がきっと解決してくれますよ。
大きな悲しみも
深い絶望も
孤独すら
「明日起こるちょっとしたいいこと」を「幸せ」だと感じさせてもらえる
神様からの賜物としたら・・・
それだけ「ささやか」を幸せと感じる気持ちになれるとしたら・・

幸せにたどり着ける前には必ず「悲しみ」と「孤独」の道を通るような気がします。

仕事って孤独とか、損とか、不可解さとか、嫌なことを味わうところなんだよね。だけどね、それは後々必ず「誰かがつじつまを合わせてくれる」んです。

神様って私たちは言うけど。

はじめから成功したり、はじめから楽しかったり、それから始まると後尻すぼみになってしまう。

ただ無理しないこと。あまりにも疲れないことと・・・

後同僚をやっかんだり、一番になろうと勝気にならないこと。人の足を引っ張らないことだけはしちゃいけない。
夕べ雨の音で目が覚めた。
これだけまとまった雨が降るのは久しぶりだった。
朝雨が木々にしずくでたまっていた・・・

夜中の雨は子守唄だった

きっと刺し芽もつくだろう・・

この1ヶ月、12月のはじめから1月15日ごろ(に大体めどがつく)は
大片付けを家でしました。
捨てるのがすきでない私でも毎晩毎晩仕事から帰って家族に夕食などを
つくり一眠りして、仮眠して夜中に起きて、毎晩数時間しか寝ずに
大片付け。死蔵物とかいらないものをどんどん捨てたり、あるいは
綺麗なものを「寄贈する」ために一生懸命でした。

結局今の日本では昔の「もったいない、子供のためにおいておこう」はどんどん
子孫に「処分物を残して」しまう。子供に残したのは莫大な財産でなく
莫大な処分物だった・死蔵物だった・・というお話は聞きます。

私も50過ぎ、「子供も私が死んだ後も、私の持ち物が多すぎて苦労しないように
生前整理をしておきたい」と思っているんです。
でも・・
なにせ時間がない・・徹夜になる・・働いている性でしょうね。正月休みも
ほとんど大片付け(捨てるものもあるし寄贈するものもありました)たくさんの
ゴミといわれるものを出し、死蔵物を出し、すっきりしつつあります。

それは誰でも同じ。せめて今できるうちにかなり苦労しても自分のものは
使いつぶして、最後に少量だけでいい。死んだ後死蔵物の処理で子供たちに
迷惑をかけたくないから使えるようにしたいと思う。今私も含め「もったいない」ものが「もの」でなく「人と人との絆」や「自分の時間」「健康」などになりつつあります。昨年の東北大震災のあとなども常に思います。

夜中ですから、夜中に黙々と片付け、ゴミ袋にいれ、あるいはまとめる・・・
夜中の木々はどう見てたでしょうか?
初日の出を処分物を出しながら見たのも今年限りであってほしいです
朝掃除はつらいです。特に換気のために窓を開ける、ゴミを出しにいく。
こうこうと西に満月がさす夜明けを見ました。

こういう場面を見ることができるのも朝だからかもしれないです。

これは朝の霜です
結局この2ヶ月片付けた・・が12月くらいから調子が悪い。

 ある程度捨てたり出したり(相当寄贈したけど)。それで確かに我が家は片付いた。
でも捨てるのは12月までだった。

 今、捨てる=片付く 捨てなさい、捨てなさい、そうすれば片付きますよ。そうすれば
シンプルに暮らせますよが合言葉のような気がする。

 しかし・・本当に「片付く=捨てる」でいいんだろうか?

 これは全員に当てはまるものでもない・・・という考え方もあるんだ。

 大量に12月に捨てて気持ちよくなった代わりに「捨てまわったことで」
「必死で捨てよう、捨てようとして何か自分にすごく無理してた」気がする。

 捨てるだけでいいのかなあ・・・という「考え」がふと持ち上がった。
(今流行してる段舎利や、ときめく収納の作者さんか
捨てて綺麗になる・という考えに疑問を持った時。
阿部先生の持つ覚悟を読んだときだった。)

 1月から寄贈や「考えてすてる」ようになった。あるいは、洗濯したり、あるいは掃除のためにいらない布を使って、
ふっと楽になったことがある。

 すてたら全部よくなるわけでないんじゃないだろうか?

ゴミ袋にぽんっと押し込んでそれで終わりでいい人と
精神的に「わだかまりがある」人が多いのではないだろうか?

 捨てましょう、捨てましょう・・それは精神的な負担が私に限り凄く大きい。地道でもいい。
使いやすくして、モノを外に出して(それは使えないものとかいらないものを捨てることも含め)
寄贈したり、ものの形を変えたり(たとえばタオルを雑巾に変える)。こつこつと捨てる日には捨てて・・
何ヶ月かかけてもいいのではないだろうか?



 2月に病気して寝込みよく考えて
「もしかして私の今のストレスが捨てストレス(捨てられない劣等感)に相反したことを続けていたからかも)

寄贈したり、図書館に送ったり、娘たちの服を破って拭く布を作ったり・・これにはなんとも「ストレス」がなかった。

「捨てること」とか「捨てられないこと」に劣等感をもってた私。

 最低のことはする。ゴミというものはきっちりと捨てる。これは「捨てるもの」として管理する。

でも残して、何かに役立てよう。そして長いスパンスで捨てる捨てないを考えよう」というものが「今、家にあること」
 それに気がついた時。捨てる捨てないと白黒付けなくていいんだと気がついた時・・・

 ゴミは「管理して捨てよう」とした時。捨てるなら捨てる。
 あいまいならちょっと待つ。
 使うなら徹底して使う。
 ぱっと捨てないでもいいんだ。あいまいでもいいけど、でも「捨てる」か「あいまいだから置いておく」か「使う」か・・きちんと管理しよう。

 生涯長いスタンスで「使えるモノ」たちにしよう・・捨てる時、捨てないときをいっぺんに考えなくていいんではないだろうか?
そう考えると楽になる。

 最終的に私は「毎日掃除できる」家にしたい。朝起きてさささっと台所を掃きさささっとトイレを磨き
さささっと玄関を掃き、さささっと風呂を拭き、場合によったら窓を簡単に拭け、簡単に机を拭ける家に。
そうじ力だが今実行している。
 そのために「モノを床に出さないこと。」はもちろんだ。「モノを買わないこと」も。

この1月下旬から

「片付け=ゴミ袋に入れて燃やしてもらってすてる」
・・・・・・・でないと片付かないという
思い込みを捨てると不思議に丁寧になれました。

ものは出します、しかしこれは「捨てるもの。保管しておくもの、寄贈するもの、10年かかっても使えきれるもの」



靴にもかなり寄贈したのがありますし、
バックも「リサイクル買い物バック」にしたり寄贈したりしました。

何がなんでも自分のところにおいておくんだという思い込みとか
そうでなければ捨てるんだという思い込み。

白でもない、黒でもない、あいまいでいいんだ・・・

でも把握はしておこう

あいまいでいいんだ・・・

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