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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの樹や森、大自然を見ておもうこと

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樹を見ておもうこと

すっくとたってる素敵な樹、それを見ておもうことを自由に書いてくださいね

今日からここをフリートーク、コメントOKですので、前の方々に、
よかったね、とか素敵だったねと コメントもOKですよ。

どうぞフリートークで書いてくださいな。

コメント(19)

あなたが好きな樹、あなたがどうして樹が好きかなど。・書いてくださいね。
またこの樹は巣晴らしいよなども。

お待ちしています。。
今日からここをフリートーク、コメントOKですので、前の方々に、
よかったね、とか素敵だったねと コメントもOKですよ。

どうぞフリートークで書いてくださいな。

木が好きだ。

成長続ける。にもかかわらず続ける。正しいと思ったことを胸をはって
伸びる。続ける。
愛という名の水脈まで根を張る、人格という名の幹を太くする。
そして風には、人からの誹謗やいやなことは枝や葉のように流す。
そして花をつける。

しかし木は動けない、その動けないという制限の中でも精一杯そらに向かう。

台風にも、嵐にも耐え。冬にも耐え。

時には葉を落としながら。それでも成長している。 耐えられない場合は
葉を落としてもいいんだ。冬にそなえて葉を落としてもいいだ。疲れたら葉を落としてもいいんだ・・・でも幹は変わらない。根は変わらない。

いろいろな木がある。時に落葉してしまって幹だけの木も。
花が一杯さいたら優しいと思うだろう。しかしその「一見優しさが見えないような」落葉した冬の木もしっかりと
春の花に向けて耐えている。生きるのをやめない。

木のように・・だから木の写真をつけています。

花も葉もつけてない木は哀しく見える。それは哀しくみえるだけ。
自分を信じて木はたってる。制限の中で・動けない制限と冬という制限の中で、自分を信じて。
こんなに葉が綺麗なのは「冬の誰もみてくれない、葉を落としてしまった後の 淋しさも耐えたから」
いつか花が咲く。いつか葉が生えると思ったら 哀しみは薄れる。 冬の寒さにも耐えれる。
木はなぜ散る前に一瞬炎の色になるんだろうか?

そしてなぜその炎の色になっても、華やかな色でも、私たちをほっとさせる
やわらかい炎の赤なんだろうか?

この1年この葉に栄養を与え続けた茎、根、樹にご苦労様といってるように
赤い葉が見えるときがある。

樹に、どうぞご自愛くださいといいながら、きっと紅葉は風に飛ばされ、
散っていくのだろうか。

赤い炎の色はそのせめてもの挨拶なんだろうか?
これはわが高校のお堀周りの桜で同じ木なんです。

桜で春は花、夏は若葉、秋は紅葉・・すばらしいです。

散歩道になっています。(ついでに学校ではこのあたりよく走りました)

樹齢何百年になるのかもしれないです。
本体はかれてしまったのに、きちんとその根っこから生えてきて木になろうとしてる百日紅。

今朝の朝の雑草抜きの後1年近く放置されてたけど発見した小さなタイム


昔は努力すればシアワセをつかめると思っていた。でも51年の長い生涯、挫折と
負けるほうが多かった。
努力してもシアワセはつかめないこともあるんだと悟った。

しかし神様は思いがけない幸福をくださる。
しかしそれは私の努力など知れたもの。

一昨日の朝からずっと朝草取りと剪定をしている。
朝とはいえ暑い。2時間はきつい。7時に切り上げて1日の仕事の準備だ。
これでどうにか片付いてきた。

雑草も命とはいえ、この場合きりとって引っこ抜いてしまってごめんなさい。
ところが雑草の根元にこんなハーブがあった。タイムだった。
ここは誰も気がつかなかったところに隠されて生えていた。

幸運とはこういうことかも知れない。私の努力は「朝の雑草刈り」だけだった。
タイムは自分の力でしっかりと根を張っていた。この酷暑の中で。
見つけて幸運だった。

だれの努力でもない。ハーブ、タイムの「それでも生きよう」というけなげな努力をたまたま見つけただけだった。
私に幸せを下さった。

人の幸せってこういう小さな事ではないだろうか?
昔祖父と幼少期ずっと川で泳ぎを教えてもらったせいか、私は「泳げない」という記憶がない。
今51歳、生まれてはじめて川泳ぎをしたのが4歳らしい。

川って危ないのだ。川といえば地元の加茂川の上流だったし昔は
もっとこっちでも泳いだ。
流れが急であったり、ゆっくりしてたり、岩があったりよどみがあったり、深みがあったり。特に急な上流での川下りほど危険でも「爽快なもの」はなかった。祖父がいつも見てくれてた。

コツはそこでつかんだようだ。

今、川で泳いでる人を見ても「大丈夫かな」と思う。
慣れていたらいいけど。冷たい水で足も痙攣を起こすことも昔あったし、突然の深みに入ることもある。

もちろん上流から下流への流される川遊びである。

人生も似てる。特に若い人は「流される」という言葉が「あまりカッコいいものでない」というかもしれない。

でも生き方において
「しっかり自力で流されること」がとても大事ではないかと思う。
しっかり回りを見ながら。深みに入らないように、ましておぼれないように。岩にぶつからないように、本当に「自分でながされてみよう」というのは大変なんだ。

時に川べりに必ず人がいるとか、見ながら。時に他力本願に見えるが
いい流れで「ながされる」ということは大事なことだ。
観測史上一番暑い夏だった。
私も生きてた中で一番苦しかった夏だった。

まだ残暑は続く。

この夏で得たものは「あきらめる」
天気はどうしようもない。夏の高気圧もどうしようもない。
ただ人間は小さく小さくなって暑さをなんとかしのぐしかないのだ。

しかし変わったこと。
「後2週間は暑さが続くのか」の昔から
「もう後2週間たったら少しは涼しくなるだろう」になったこと。

きっぱりと「夏は暑い」「後残暑は続くんだ」と「あきらめてしまったら」
不思議に達観できる。
昨日の昼からお盆前の草抜きと天地かえしをしました。
暑かった。でも自然は今日その天地かえしをした土に養分を与えてくれるでしょう
おとといの夜少し雨が降っただけで涼しくなり木々が輝く・・

秋かもしれない
台風が降らした雨の後の朝・・

それでも出てきた野菜の芽の生命力
あんな大雨大風の中でも芙蓉の花は散らない。散らずにそっと時を待っている。
台風が収まることを信じているのだろうか?
何の花かわからないけど、ふとこの布に引かれ、ミシンで着物を作った。

1年後紅葉した馬酔木の葉を見たとき、しかも庭で見たときに
この模様が馬酔木の紅葉でないかなと思った。

馬酔木の着物とこの「自作で下手だけど」作った着物を呼ぼう
1月の最後の日。
光の春だった。
木に芽が出ていた。

当たり前のことだけど嬉しかった。

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