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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの森の中のつぶやき 

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今年から会員様どおしのふれあいや話を大事にしたい、どうぞここに
今日思ったことをどんどん書いてください。
テーマ関係なく、愚痴とか、心がけとか。経験とか。

そしてコメントをどんどんしてくださいね!

コメント(85)

1年前英国史やストーンヘンジ、それよりずっとずっと昔の巨石文化に夢中になったことがあった。
夏至の日の朝だけ朝の光が入るという道。
夏至の日の夜明けの方向に向けられた窓。
この日から夏が始まるという。

巨石文化の人々はケルト民族よりもずっとずっと昔の未知の人々。

夏至の日には英国のストーンヘンジでお祭りがあるという。

はるか昔に立てられた何百何千という石。その周りで昨日は
妖精たちが踊っていた夢をみた。
頑張って頑張って・・・それでも結果がでない、それを半世紀過ごしてきた。
今頑張れといわれると「痛い」

でも「頑張れと言われると苦しい」「努力しても結果がでない」いつもいつもそうだったような人生だった。

・・・頑張るってのは進むことだけじゃない。結果を出すことだけじゃない。
そうとしかいえない。

踏みにじられて、ぐちゃぐちゃにされて、地べたに這いつくばるような気がすることはしょっちゅうあった。努力した結果がそうだった。

でもそこで「じっと静かに時を待つ」「希望を捨てないこと」も努力になると気づいたのは最近のこと。

若い方はとかく「頑張る=勝つ」「頑張る=結果を出す」だけになるだろう。

でも「静かに時を・・沈黙して待つ」忍耐力こそが今必要なことではないだろうか。人生って頑張っても努力してもどうにもならないことを知ることではないだろうか?

今は半世紀生きてた私には「頑張れ」は酷すぎる。無理しないこと。

もしかしたら一番知ってるのは「神様」。解決してくれるのは「時間」

一番必要なことは「結果がでない。それでも自暴自棄にならず、希望を捨てず、ただ時期を待つこと」それこそが本当の「頑張り力」いや「踏ん張り力でないだろうか」

私は頑張れより「踏ん張れ」が嬉しい
壁にぶつかったとき、壁を越えなければならない人生ばかりだった。
この半世紀にわたって生きてきても。

一生懸命回り道を探したり、壁をよじ登る方法を考えたりばかりしてた。

しかし、後になって案外良かったなあと思ったのは「乗り終えられなかった」壁の下に何気なく巻いた種が発芽して、花を咲かしていたことである。

自分は壁を登ってきたかどうかも解らない。
ただ、絶望感の中で巻いた種、その中から少しだけでも発芽したその花も確実に咲いているようだ。
そうですね。花は何も考えず「ただ咲く」だけ。
花は謙虚なんですね。
まぁちゃんさん、生花を飾ることはいいことだとおもう。
とても哀しい時、自分を卑下してしまうとき・・
はじめから私という人間って「弱くて、へたれで、不純な部分があって」 と
悟ってしまってもいいんだ。
それでも
そういう醜くて人に見せたくないところを、「あるがまま」に、でもある程度は
「いやーな所もある私、治せないんだよね、哀しいことなんだよね」といいつ
つ、淡々と生きていく。自分を愛するってそういう「あるがまま」の自分と
共存していくことではないかしら?

そういうあるがままの情けない自分でも信じてくれる人、会話してくれる人、もいるんです。

そういう人も「完全ではない、情けない部分を持ってる」人たちなんですよね。

どういう花だって完全じゃないように・・・それでも不完全な人が「自分を
不完全」と思いつつ共存していってるんですよね。

最近思っています。
自分で「乗り越えれた」自分の力だけで「乗り越えれた」人は努力もさることながら「運もいい」人だなって。

ただ余りに「自分の力だけで乗り越えれた」
「なせばなる」と思いすぎては
どうなんだろうか?

私も昔。まだついさっきの数年前あの手この手で乗り越えようとしてた。乗り越えられない壁はないと信じていた。でもあった。いっぱいあって、いっぱい乗り越えられず、いっぱい悲しんで、いっぱい諦めた・・・

私、今は思う。乗り越えることができなかったことから逆にいろいろなことを
学べた気がするんです。

たまたま「うまくいった」ことは運がよかっただけと思っています。
51

生きる力になります。

私は自信がない。
全部私が悪いと感じる。
自分が愛せない。

でも、雲の上から違う私が『それはちがう』


あるがまま

受け入れられないです。

でも努力します。
生きる力は捨てないです。
私思う、私の問題だけど・・
昔乗り越えられなかった壁を今の口実にしてないか(あくまで私です)
そうじゃない。今乗り越えられないのは「トラウマ」だけじゃない。
今その「ひきずり」もある。

けどそうじゃなくて今乗り越えられない壁は今「現実に」
私が作っているものなんだ。
それをトラウマのせいだけにしてはいけない。

過去乗り越えられなかったけど、今も到底乗り越えられそうにないし。

卑怯にも今乗り越えられない「今の問題は」「今の問題」として
しっかり認識しよう。
それを過去のせいにしてはならない(多少は関係しても)

今じゃ、どうするか。カメさんのように首をすくめて「あたしゃ、まだ
乗り越えられませーん」「僕はできましぇーん!」と逃げ回ってる。

しかし意外と人間って「まわりに壁」ってあるんだよね。

どうしても無我夢中でも「乗り越えるべき壁」これは一心不乱に乗り越えていかないといけないこともあるんだよね。この乗り越えるべき壁は
今も取り組んで立ち止まりながらでも、落ちずに登り続けているんだよ。51歳の私でも。生涯かけて登る壁だから。

チャーるさん

私は自信がない。
全部私が悪いと感じる。
自分が愛せない。

でも、雲の上から違う私が『それはちがう』

最後の1文に救われました。ありがとう。そのとおりなんです。

そういうあなたでも「愛してくれる」人たちがいっぱいいる。
雲の上からのちがうという方でも、周りの「自信がない」あなたでも。

ただひとつ「あるがままのあなたをそのままでいいんだよ」という
どなたかがいれば・・

あるがままっていうのは「開き直り」とは違うのですね。
あるがままというのは「成長して努力するあなたもあるがまま」ということなんです。

生きていく
生きてみる
生きておく

・・・言葉で違う。その時によって違う。

でも「生きる」から「自分が変わることも出来る」
時間を待つことが出来る。

どんなに辛くても。
今生きることがどんなに辛くても。

きっと変わる。

生きておくだけでいい。時が解決してくれる。
ありがとうございます。

おかげさまで・

お若いお方はわかってても口に出せない言葉かもしれません。

「だからこそ」口に出してください。

するともっと「ありがとう」が心に増えます。

もしあなたが思うような返事が返ってこなくても・・・
みんな大きな器をもちたいだろう。
私は深い器になりたい。
石を投げ込んでも、すっと沈み
何事もなかったような。
そして底の石がいつまでも見えるように・・

そんな器になりたい。

何事もなかったように石が私の中に沈んでいく・・
残暑が厳しい。雨も降らない。酷暑の夏は植物に酷だった・・

紫蘇、いい香りの紫蘇の幹が子株のようになって太く太く、無骨になっていた。
生き残るために一生懸命。

今年残った草の株、ハーブの株はすっかり「子株」のようになってる。
太く、しっかりと、しかし見かけはけっして綺麗でないけど。

古い子株のように・・・
せっかく○○した「のに」という言葉を極力使わなくしたら
何か変わったような気がする。

私は自分の意志でしてるんだ。どう評価されようとという小さな覚悟を持照るような気がする。
明日は休みのはず・・です。

時をかける少女
大林バージョン
アニメバージョン
そして
2010バージョンと
「てっぱん」を見て共通項を見つけたところ・・

あああ、雑談ですね。

私が微笑む。
あなたが生きている。

あなたが生きている。
あなたがいる。
私は生きている限り、それを見て、聞いて、そう、そこにあなたがいなくても
存在を感じる。

あなたは人でなくてもいい。空、雨、天気、木々・・・
骨折をしておもったこと。
年末に骨折をして今ずっとギブスを巻いて仕事している。

1.後は自分の「残された機能」に感謝してる。
何が「うりなわれているか」じゃなくて今何があるか。
「まだお金がある」「まだ仕事に復帰できる」「まだ足が動く」

2.それでも生きがいを見つけることはできる。
病気になっても「たとえ一人でも」出来ること、趣味。
病気になってからでも一杯楽しいことはある。

3、病気になったら「うしなわれたことばかり」に目が行きます。
しかし「のこってること」は一杯あります。
骨折をし、きのうの診察で後2週間でギブスが除けるくらい順調ということでした。

今一歩一歩「足元だけと足元の先40センチ前だけ」を見て確実に歩くようにしています。心も足も。

おそらくギブスも後1週間だろう、あとは添え木。
面白いものだ。シェーマというらしいが(添え木)折れて、もうすぐくっつく私の
足に木が添えられる。

今はギブスはぐるぐる巻きにした木、寒さ対策でぐるぐる巻きにした木を
金沢で見た。

それからもうすぐ立春に近づく、ぐるぐる巻きにした木(私のあし)が
添え木に変わる。添え木でささえ、支えられる。
冬の木にはいろいろなことで害を防ぐことが多い。

金沢兼六園の雪吊り、そしてこのあたりでもある写真の「こも巻き」

私の足もくるぶしから股下までこも巻き状態です。

今週金曜日にせめて添え木になってほしい。
愚痴とわかっていてもまだ直らない骨折。
3ヶ月の全治。今ようやく中間地点です。

遠くへ行きたいです。

やっと仕事と家事はしています。それでも仕事は毎日しています。
今私の足は添え木をしなくなった小さな木。
昨日で足の添え木が取れた、今日からリハビリ。

足が痛くない代わりに全身で歩いている。

小さな木である、おれそうな木である自分の左ひざをかばうように体全体
頭全体を使って歩く、仕事する。家事する・・

小さな木の足。
昨日リハビリではじめて水中歩行した。全身を使い一歩一歩・・・
春は近い・・・気がする。
なぜ春の彼岸のあたりは地震が多いんだろう・・・

かつての芸予地震を経験したものより
ここを読んでる皆様、日本全国の災害としてどうぞかんがえてください!そしてご自愛ください!!
このたびの大震災で被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。
ガーゼを集めよう・・・
包帯を集めよう・・・
使い捨て注射針を確保して送ろう・・・

送ろう・・・

16年前のあの関西大震災の時のように。
震災がないことにこしたことはないのです・・・
震災があることは私も経験しました・・


でもこの震災で少しだけ涙もろくなり少しだけ優しくなった人もいるのではないでしょうか?
時々は頭を空っぽにして時の流れを聞くのもいい。

すべてが毎日幸せでない。むしろ偶然にも「不運」ということはしょっちゅうある。私はすべて運がいいと思うくらい悟った人間でないけど、ないけど・・

でも・・・不運と不幸は違うと思ったのはこのごろだった。

不運は神様が決めたことかもしれない。

不幸は自分が決めたこと。

私ね。ある人にとって(相手が口に出していわなくても)
私が必要なんだと感じたらそれだけでいいと思う
人生って「思うようにならない」ことを学習する場所だと思う。

ただそれでも笑って「思うようにならないねえ」といえるところでもあるんだ。
雨が降った、涼しかった。
それだけで嬉しい・・・
日の整理でかなり「未使用の、もう使わない下着」が出てきて

会員になってるJFSAさんに送ります。今度は一緒にマフラーや後こまごまとした

帽子、未使用タオル,中古でも使ってないテーブルクロスやハンカチなども一緒にです。http://www.jfsa.jpn.org/iruiinfo_kaiin_dantai_annai.html

JFSA会員になり、BAJ会員になりました。おかげで今回の第二サイクルの服片付け
下着とかストールとの片付けでも「これは捨てられるだろうか?
これは寄贈した時に受け取ってもらえるだろうか?これはまだ私が使えるだろうかといちいちチェックを入れて「服、布 ストール、下着」など1枚1枚を
いとおしく見ていけるようになりました。

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