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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの秋  すべての優しさや愛、幸せや思いやりについて

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秋、懐かしさ、そして恵みの季節、

すべての愛、思いやり、ひとに対してどう接するか・・人間関係について
語りませんか?

特に自分を幸せにする、他の人も幸せにするってどういうことかしら?

コメント(33)

朝早く山の畑にいって甘がき、みかん、ゆず、そしていえの渋柿を取ってきたところです。

4時間かかり、それを家の前の水源地で洗ってるところです



 10月、それから毎年数時間かけて家でまずゆず酒を10本(ホワイトリカーで)焼酎漬け(渋柿)あと洗って人に送るものを
綺麗にします。


これは1回目。まだ和ゆずと本みかんはなってないから。

2回目は11月に本みかんを取り、親族に送ります。

3回目は12月にゆずを取り病院においたり北海道の友人や先生に送ります。


 10月、昨日は近くの方に柿、ゆずを送りました。
こうやって洗った後数個ずつ皆様に配ります。
看護師さん、調剤薬局、知り合いの郵便局、お店、先生、そして
いつもいくスイミングプールの人や、その脱衣場でゆずや柿を・・

柿だけでも10数人、ゆずも10数人が受け取ってくださいます。

こうやって「配れる人がいるのは幸せ」

 11月はそしてもうすぐ本みかんが生ると、今度は郵送します。親族や
友達に10数個の箱で(小さな箱なのでヤフーゆうパックなどで)

 12月、それから冬至のゆずは冬至の日の朝とってきて
ムスメの職場と、病院の受付に「どうぞ召し上がってください」と
患者さんにとってもらっています。

わたしたちはゆず酒と山みかんと、そして焼酎漬けの柿で 十分ですから。



ゆずを北海道の方々に送ると本当に喜ばれるし
ある北海道のかたに贈って、そのかたはもともと本州の方だったので

ゆず湯をしてたそうです。そうするとそこの娘さんが
「お父さん、何をしてるの」もうお一人が
「お父さん、何もったいないことしてるの」

 でうちのゆずで初ゆず風呂を経験したと喜んでいらしたので

毎年「うちのかわいいゆずのこ、みかんムスメをどうぞお嫁さんにもらってくださいませ・・」と十数件に送っています(郵送費・・・10000円合計)

もちろん本当に「何十の人に物をうけとってもらえるのはなんて幸せなんだろう・・」

 これなんですよ。

そう、私が幸せになる。ゆずで北海道の方がほこほこする。
(実は複合の全日本のコーチの方。昔の金メダリストなんですが)

でもその準備にとってきて洗う、10月に8時間、11月に8時間、12月に8時間・・・

 あと本みかんに(今はわせだから家用)荷物つくりに何時間。
<
でもしあわせ。

ゆずなどは猿になって木によじ登り、手を傷だらけにしてとります。まさに山の「がけ」だから
「猿」です・・
 最近思う、すべての人を好きになりすべての人からすかれるのは土台無理だって。
とかくみな相手に嫌われないことをしたいという。でも相手がこっちを
嫌だと思うのはその人の感情だ。
ではどうしたらいいか。

こっちから考えても。・・・好きになれない人はいるんだ。あたりまえなんだ。
はじめからこっちに敵意をもってる人もいる。
はじめからこっちをだまそうとしてる人もいる。

 わたしが確かに嫌うこともある。

 わたしの基準・・一番大事なのは「そのひとにあった後の自分の気持ちになんとなく嫌な
もやもやがないか」だろう。

 またいくら相手が丁寧に言葉を発しても何かもやもやが残る場合、あまり「好き」 なひととはいえない。
直感でなくて後の気持ち。

逆に同時に「これだから嫌われる」なじゃなくて
こういうことをしたら相手にもやもやが残ることをしないことが大事なのかもしれない。

 自分が嫌われるんじゃないかと恐れる行為でなく、相手に「嫌なもやもや」が出来てしまう行為を最低しないこと。
それは想像力、それは経験、それは「愛と思いやり」。

 嫌われないだろう行為でなくても、こっちがいかに誠心誠意をこめても、悪く取る相手もいるんだ。
 
 結局はじめから好かれようとむしろしないほうがいいのかもしれない。好かれようという見返りを待たないほうがいいのかも
しれない。


 これはわたしの仕事も一緒。
 特にわたしの仕事は相手を癒すこと。でも癒すことでもおせっかいとか、いろいろ受け取る人もいる。
それを逆手に取る人もいる。

 でもそれだから好かれようと思うことをやめたいんじゃなくて 「ともかく相手に嫌なもやもやが後に残らないように
するには」。

 見返りをもとめなくてもせめて相手に「にこっと笑って帰っていただく」
自分にも相手にももやもやが残らないようにしたい。それは 誠心誠意と思いやりと愛。
好き嫌いは相手の感情に任せる。好かれようと期待せずひたすら「相手に嫌なもやもやが残らないように」と誠意を尽くす。
見返りは仕事なら笑顔が帰ってくれることだけでいい。

 見返りにありがとう・・なんて思わない・けどせめて相手が笑顔を 見せてくれること。

1、心をさがしてみよう

心っていろいろなところに入ってる


心が入ってる漢字を調べます。


憂い・・・これも優しいという言葉からイが除いてそれとにてる。

憂いを持つ人は優しい。

聴く。これも聞くじゃなくて心が入ってる。心から聴くこと。

愛・・いうまでもなく心がさりげなく入ってる。

いろいろ心が入った文字を探してみてくださいな。

気持ちが優しくなるしたくさんの何かがわかってきますよ。

哀、悪、も心が入っています。

恋、思、想も心が入っています。

私にも恵という漢字が入っています。

2、

優しさや愛は心の中で成熟させるもの、あるいは見せないで潜めるものかもしれないですね。
そういえば・・

優しさと愛は心が漢字の中に潜んでいますね。

忘、恵、恋、思、恩、想。・・・

心が下でささえてくれています。心という字がしっかりと支えてくれてるのがわかります。
でも外からしっかり見えますね。

愛や優しさや憂いは「よく見ると」心が漢字の中にあって
なかなか見えにくい。

ひと の中で心を成熟させて愛や優しさや憂いになるのでしょうか?

あるいはひっそりと隠すから(ああ、隠すにも心が入ってる)
愛、憂い、優しさ・・・ひとの中にひっそりと育っていくものだから・・
漢字の中に組み込まれて一見見えなくなってるのでしょうか?

3、心がはっきりと見える字

忘、恵、恋、思、恩、想。・・・ しっかりと出したほうがいいから「心がしっかりでてるのかも」しれません。
恋、悲、恩をしっかりと外に出してください。
うれしいときはうれしい、その想いを。
恋したときは恋した、その想いを。
悲しいときは悲しい、その想いを。
恩を受けたときは、その想いを。
心が受け皿で持っててくれますよ。


心が下でささえてくれています。心という字がしっかりと支えてくれてるのがわかります。

4、優しいという字は正確ではないけど、憂いの横にイ(ひと)がたっているような字です。
優しい人は哀しみをかかえ、憂いを抱えているのでしょうね。優しい人は憂いをもった人なのかもしれないです。

5、信念の念は今の心と書きます。念ずるです。今の心は揺らぐこともあります。それがまた戻るのを横で「信じてる」信が
あります。
 8月に月食がありました。


1 不思議なものでこういう月食を見てると、今、そのときは夜のため出てないけど、
月を反対側から照らしてる太陽がいるんだと感じます。
月は見えない太陽に照らされてるから輝くんだって。

 太陽は、夏場などは嫌われます。暑いし・・

 でも月を「夜輝かせているのは」太陽なんですね。月は一人では輝けない。
自分が輝くだけでなく「相手を輝かせる」こともできる太陽。そしてそのときは(夜ゆえ)
目立たない。

 この夏は太陽が憎くなるくらい暑かった。

 目だって輝くとあるときは嫌に思うこともある。ごめんなさい。太陽さん。

 ただ月を地球の向こうから輝かせる時は太陽のありがたさがわかる。

 そういう場合もあるんですね。

2 自分を目立たせよう、自分を輝かせよう、という場合もあります。
この場で一番美しく愛される存在でいたい場合もあります。
もっといい人間になろう、自分を磨こう、と真摯に考えてる場合もあります。


 でも夜の太陽のように目立たぬ所から、ある「ところ」、ある「人」に光を送り、相手を輝かせ、その存在を光らせ
またその伸びる力を育てようというものすらあります。

 
3 温かいと言う字は水と日(太陽)と皿からできています。きっと水のありがたさ、日のありがたさを受け皿に
しっかりととろうということからかもしれないですね。
いままでの私のエッセイや文を書きました、これからはフリートークで書いてくださいね! おもいやりや愛のことについて、愚痴も一杯ね!!
自分の悩みを書くのもよし、自分の考えについて書くのもよし、少々トピと
はみ出しててもいいですから・・ね!!
思いやりは見返りを求めないものですよね!
今度実は講演会に演題をだすますが
「愛のある医療、愛のある会話」で寸劇をしようと思っています。
愛ってなんだろう、そして思いやりとはなんだろ、これもお願いします。
幸せの定義は難しいです。
自分が幸せって感じるとき・・・

1、何か目標にしてたものが達成できたとき
2、病気や怪我などから復帰できたとき、あるいは自分にとってはあまり望ましくない環境(たとえば、対人関係の悪い職場から出れた)とき

これはわりと解かるんです。私も何回もありました。

1は試験とか仕事だけでなく「恋」もそうですね。恋愛で両思いになって
ラブラブのときなど。自分で苦労したあと達せたあとの幸せ。

2も、普通に生活してて、思いがけず「事故」「人事異動」「けんか」などで
気まずくなった。その前平凡に普通に生活してたのに「ままならなくなった」
あとまた、病気が治る、また入院から出る、あるいはあまり好ましくない
状況の職場や環境から出ると、平凡、当たり前が「輝く」気がする。

そんな苦労でなくても、たとえば家族が自分以外旅行に行ってて孤独、そのあとに家族が帰ってきてくれたときの幸せ。

思いがけず苦労や孤独感を感じたあとに「平凡ってなんていいんだろ」と幸せを感じる例。

3、人からやさしい言葉をかけてもらえたとき、人とやさしい言葉で挨拶できたとき、そういうひととひととのふれあいで感じる幸せ。
赤ちゃんを見てほほえみかけ微笑んでくれた幸せ。

4、自分が行ったことをありがとうといわれたときの幸せ・・・

いっぱいあります。

でもそうでなく

1,2,3,4は言い方がわるけど「幸せを作る条件がつく」(条件って表現が悪いけど○○だから幸せなんだ)っていうか。


それより条件なしの、ありふれた「言葉がいらない」ほわっとした感じかなあ。
ただそこでいるだけの幸せってのがあるような気がします。

神様が放ってくれた何かを受け取った気がする幸せ、陽光の中で歩くような幸せ。

うーん・・・




別所にも書いていますが・・・では相手の幸福は?

3、人からやさしい言葉をかけてもらえたとき、人とやさしい言葉で挨拶できたとき、そういうひととひととのふれあいで感じる幸せ。
赤ちゃんを見てほほえみかけ微笑んでくれた幸せ。

4、自分が行ったことをありがとうといわれたときの幸せ・

この2つを相手に差し上げたいということでしょうか。

相手が幸せというのはあくまで「相手という別の人格」ですね。気持ちを幸せに
出来るか判断できるかは立ち入れない別人格です。

ただ最低いえること。

1、見返りを求めないこと、自分が相手を幸せにしたいと思ってしたことでも
相手にとってはおせっかいとか、甘い!とか言われます。でも「それにもかかわらず」する何かがある。評価するかしないか、幸せになるかどうかはその別人格ということ。
2、醒めた目、覚めた目。厳しいけどその好意と行為でもまったく逆に「あなたのおかげでいい迷惑!」
もありうる、それでも「どうしてだろうか」といったん醒めた目でみても
やけにならないこと。
3、本当は人をしあわせにしたとき、その自分が誰かわからないまま幸せにできるのが一番なんでしょうね。幸せにする気がないのに誰かを幸せにしてしまったりします。・・野の花のように。
4、持続すること。
5、最低どういうことであっても「自分がされて嫌なことをしない」
6、そして最後に疲れない程度ということ。
とあるところで人を幸せにするのはどうしたらいいかということを書かれてたけど・・

「幸せを感じるのは」自分ではないのですね。
とっても哀しいかもしれません。ただ48年間生きてきて思うのは。

幸せってあくまで相手が思うことなんだ・・

そのためには、せめて私が出来ること、それは「相手を幸せにするなんて
不遜かもしれない、相手の感情ってのは、つまり他人の感情って動かせない。幸せという相手の感情はこっちで動かせるものではないんだ」むなしさを何十回も味わった結果です。

じゃ、ほっておくか?それでもすべきこと・・

「純粋にあのひとが幸せな気持ちになることを願うしかない」

あるいは「純粋に相手がいつか幸せに自分で自覚するようになるように
願い、行動するほかない」


あなたがいくらしてもあたしは幸せにならないのよ!仕事柄何度もこのコトバを私は(コトバは違っても)
もらってきました。それでもそれにもかかわらず、相手を理解できない哀しみにもかかわらず、それでもいつかあなたが幸せという感情をあなた自身が抱けるようにしたい・・・それしかないのではないでしょうか。

あなたはおせっかいよ!あなたのいうことは独りよがりよといわれても
それでも「そのかたのために」すること・・・大変な勇気です。

>>幸せはどこからくるのでしょうか。

一時的な受動的な幸福ってできます。でもそれは続きません(人は感情があるから)もっともっとになります。
たとえばお子さんが「アレカッテコレカッテ」というとすぐ買うと一時的に
子供は幸せになるけどそれでいいでしょうか?


その方が「能動的な幸せを感じるため」それはかみさまでないとてきないかも
しれませんが・・・

ますは自分が能動的なしあわせを感じ、それを強制しないこと、能動的な自分の幸せ=おもいやりとか愛といっていいでしょうか=がもし「拒否」されても
それでも続ける努力と勇気があるか。

そしてその方が幸せを感じたとしても
けしてその行為が「あなた」という人物がしてることに気がつかない、それでもいいかという覚悟になるのではないでしょうか。
この年になると古いものを愛するようになる。
着物を着たい・・・今挑戦している。
昔の着物、着物は何十年ものである。昔練習したお太鼓をなんとか結びたい。

愛って人にだけでない、ものに対しても愛は与えられる
古い靴でも、買ったらいいんだけど「あえて」修理して履く。

古い着物でもこうやって、新しく長じゅばんに襟を手縫いしてつけて今度着てみる・・

昭和の20年前のものをもう一回カムバックさせていく。

心が温かくなる。
こんなふるい靴を修理するのに3000円は高いかもしれない。
でもその靴屋さんに頼んだ。
いつもは1足1000円前後、思い切って・・だった。

見事だった。靴の裏まで修理されてた。職人さんの腕であり愛であった・・・

これがものに対する愛なんだと思った
忘年会に着物を着る。まだおととい決まってなかった。
祖母の古いふるい着物が転がってほこりだらけになってたのを倉庫で見つけた。
ふと、練習用でもいいから使ってみようと洗ってみた。
絹だろう、どうせこんなに裏も汚れているし、洗い張りもしなくて
そのまま自宅用クリーニング用で洗っただけだった。

・・見事な絹の江戸小紋・・40年以上のものが息を吹き返した。

それを着て、忘年会にいった。心が温かかった。

愛するものは人だけでなく、古い色が出た小紋を赤く染めてみました。

処理も大変でしたが綺麗でした。
3足の靴の修理代合計で1足くらい買えただろう・・・

でも思いは買うことはできません。

20年間たった3000円今年修理代を払っただけで元に戻った靴。
1500円で(2足ですが)20年分の愛用と一緒に戻った靴です。
渋柿

そのままでは食べられない。愛情と手間をかけてじっくり陰干しにする。

また甘くなる。

皮をむく、紐をかける。様子を見る・・・
結果はどうでもいい。
冬至は一番寂しい日。

今日も雨の寂しい日。

昼休みにゆずをたくさんとってくる。
昨日も朝たくさんとっては配ったけど友達とうちのがなかった。

寒い雨の中でゆずをとって、また帰ってきて仕事。相当ふらふらになった。

友達の家に持っていく。

変わらない友達。喜んでくれる友。

そして近くに住むケーキ屋さん、手持ち無沙汰のミシンのお店。

近くのガソリンスタンド。近くの車屋さん。

みんな暗いくらい雨の中手持ち無沙汰。

私の柚子が宝石になりますように・・
笑顔をむけても笑顔が返らないことはしょっちゅうあります。
笑顔でも子供は(仕事上)なきます。痛いといわれることも
あります。

でもそのとき、「わたしすら」笑顔を消したら、(「あなたから」笑顔が返ってこないからといって)もっと悲しい気がします。

期待したような笑顔が返ってこないときでも、私はせめて微笑みだけでも浮かべよう、そうすると
自分の心に小さな花が咲きます。
誰もみてくれなくても・・
何もなくても微笑む・・ということを考えてみたけど
こうやって生きていること、
こうやって動いていること
こうやっておひさまに光をうけていうこと
こうやって空気をすっているということ・・・

これ自体「気がつかないけど生かされていること、気がつかないけど
愛されていること」ではないでしょうか。

私を愛してくれるお日様や神様や家族、いのちのために私は感謝します。
そして微笑みます。ありがとう・・
自分のことを好きになれなくても
せめてあなたのまえにいる「だれかを、なにかを」
せめて「たいせつなとき」と思えるようになればいい。

それがあなたに、あなたが期待した微笑みも笑顔も返してくれなくても・・

好きになれなくていい、大切にすればいい。

ときに背伸びしすぎてるなと感じる優しさもある。

背伸びしない、素直な、ここまでが私の優しさです、と謙虚になれる。
それ以上優しくできない自分に対しては、背伸びしないでいよう。

見返りも期待も評価も求めず、ただ放つ優しさも大事だ、しかも理性をもてて、理性で「ここまでしかできない」ときちんと謙虚に制御できる優しさ。謙遜であっても卑下しない自分をもった凛とした優しさ。

しかも自己本位でない、相手の将来、相手の気持ちすら考える。高ぶらず、無理に背伸びしない等身大の「これが私です」といえる自分から「すなおに」出せる
優しさ。かつ、相手を思いやれる理性をもった優しさ、できにくいです。


どんな小さな石油ストーブでもあたっていたら「すこしづつ温まる」ようです。
時間をかけたら。

私もこの人と一緒にしばらくいたら「こころが温まるようだ」というような
人になりたいです。

急に温めることはできないけど。そんな力はないけど。

人間って、心を開いて話す時間が長ければ長いほど、機会が多いほど、そして
「丁寧に接する時間」「この一瞬が貴重だ」と思いつつ時間をかければかけるほど
「お互いに温まることができる」気がします。

そういう気持ちで丁寧に人と接していきたいと思っています。
あるひとにどんなに誠意をもってやさしくしても、そのひとばかりか
周りの人にもうけいれられなかったり、周りの人を傷つける、あるいは
あの人にやさしくしすぎると非難されたりすることもある。
でも何もしないで世間のお体裁と目だけを気にしていく人よりも
何もかも忘れ、周囲に空気が読めないといわれても、その人におせっかいといわれても「わたしは私の心に忠実になりたい。どうしてもこれをしないといけない」という一瞬があってもいいと思う。

そしてそれは自己満足でもない、自分の本能的な愛や優しさと信じていいだと思う。

何かにやさしくしても帰ってくることは稀かもしれない。
誰かに優しくしても「ありがとう」といわれることも稀かもしれない。

にもかかわれず「やさしさを失いたくない」

同時に

「ありがとう」と言われたとき「どういたしまして」と心の中から言い、微笑みを返せる人になりたい。

ありがとうといわれたことをあたりまえと思ってはならない。

ありがとうといわれたことに
感謝できる、そんな人になりたいから。

あなたに「ありがとう」というひとはあなたに「やさしさ」を倍にして返してくれてるのだから。

ありがとうに感謝できるようになってきている。


ありがとうって返事・・・有難いことかもしれないと覚悟しても
それでも「あなたが一番いいと思ったことを誠心誠意をもってする」


それがやさしさであり愛。
ありがとうといわれたいときもある。
やさしくしたのに・・・親切にしたのに・・
「のに」、は無しにしよう。


それなら、こっちからありがとう、といおう。

その行為を「ありがとう」といわれなくてもいい、でも、した。
その言葉を「ありがとう」と期待しなくてもいい、でも、した。

そのことでわたしの心が少しだけきれいになったのだから。
手がかかるもの
面倒くさいもの
いやなこと
時間のむだと思うこと・・

いやなことをあえてする。「面倒だからする」

黙々と・・

だんだん面倒なことが生きがいになることがある。

面倒なこと、言うことの聞かない犬、掃除、言っても解からない親、着物のきつけ・・

いっぱいいっぱい・・・でもあえてしてみる。


たった一人で毎朝この川のごみを拾う人がいる。誰にも見つからないように朝に。

毎日毎日、だからこの川はごみがない。

その人の心のように。
鶏糞、土、砂、赤土、そして石灰。何度も何度もクワで掘る、いたくなるくらい掘る。肩が痛い。
それが来年の花につながると思う。
みかんを取りに行く。

娘の大事な人がおいしいといって食べてくれたらしい。

「君のお母さんのみかんでビタミンが取れた」

雨の中、娘の大事な人のためにみかんを取りにいく・・・かぜひいたけど。

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