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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの夏  今や将来の仕事について、現実の悩みや喜びについて

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夏、暑い中の仕事、子育て、そして学問。人生の苦労。




暑さは苦しい、けど充実してる季節。
その中で一生懸命に生きる皆さんの豊富、愚痴、辛さ、日常を語ってみませんか。

コメント(37)

働くことは容易ではない。制限のある毎日である。だが・・

私たちは、笑うこともできるから、せつなさに泣くことも与えられたのではないだろうか?

私たちは、共感することもできるから、許せないことも与えられたのではないだろうか?

私たちは、元気で歩けるから、病気や苦しい時も与えられたのではなんだろうか?

私たちは純粋に生きてよかったと思える時もあるから、なぜ生きているだろうかという絶望感も与えられたのではないだろうか?

私たちは、本当に愛してくれると思う瞬間があるから、なぜ愛してくれないのだろうという哀しみも与えられたのではないだろうか?


夏の暑さがあるから秋の涼しさも与えられたのではないだろうか?

晴れがあるから雨も与えられたのではないだろうか?

朝があるから、夜も、また朝の希望があるから闇のせつなさも与えられたのではないだろうか?

この貧しい方、病気の方はキリスト様なんですよ・・ ](マザー・テレサ)

 私にはまだ意味が解らなかった。しかし、今日の診察で目の前が輝いてきた。それは私がほかならぬ
そういう病む方と接することができる仕事を持てるという 喜びでした。泣いている子供さんが小さな赤子のイエスに
見えてきた・・のです 。


 幼少時洗礼を受けたクリスチャンであることに心から感謝するとともに、渡辺和子先生の本との23年前の出会いを感謝します。


 医師としての「なんらかの生き方の目標、新しい目標、生き方の行き詰まり」を感じてた時でした。
医師になって25年目の今日、目覚めさせてくださったのは「渡辺和子先生訳 マザー・テレサ 愛と祈りの言葉」PHP文庫。

 今日人生が180度変わった気持ちで診察しました。医師になって今日心からよかったと・・

 「この貧しい方、病気の方はキリスト様なんですよ・・」
そういうお言葉をマザーはよくお言葉にされます。昨日 そういう気持ちで患者さんお一人お一人に接したあと、なんて私は
25年、仕事をはじめて傲慢だったのだろうと、反省しました。
「この貧しい方、あなたの前にいる病気の方はキリスト様なんですよ・・ 」

 患者さんに優しくするだけではだめだ、このかたがたは「キリスト様の代わりなんだ」と。

 すべてが明るく、すべての患者さんが輝く・・そんな奇跡が起こった気がしました。
 泣いてる子は小さなまだ成長してないイエス・キリスト様、年取ったお方たちは老いたキリスト様。


 マザーのお言葉から。(186ページ)

「飢えているキリストに食事をさせ、裸のキリストに衣服をあたえ、ホームレスのキリストの世話をするために私たちはいるのです。
しかも喜びにあふれ、ほほえみを浮かべながら。 」

 ・・・・この言葉を読み。今日新たに未知なる仕事をしていくような 気になりました。同じ仕事を25年しながらも、
「今日から」なんだ、って・・私の前の患者さんんを「キリスト」と思うようになったのです。・・・

マザーのお言葉から(107ページ)

「もしも私たちが謙遜ならばほめられようと、けなされようと
私たちは気にしません。
もし誰かが非難しても
がっかりするようなことはありません。
反対に誰かがほめてくれたとしても
それで自分が偉くなったように思うこともありません」

マザーのお言葉から(186ページ)

 「もし私たちの仕事が、ただ単に病人の体を潔め、彼らに食事を食べさせ、薬を与えるだけのものだったとしたら、センターは
とっくに閉鎖されているでしょう。私たちのセンターで一番大切なことは、一人ひとりの魂と接する機会が与えられているということです」

・・・このマザーのお仕事されてたセンターを私の医院におきかえたら・・・と思いました。

マザーのお言葉から(155ページ)

 「ある雑誌が私のことを生きている聖人と評してたと私に告げた人々がいます。私の中に神を見た人々がいるとしたら
私は幸せです、私はすべての人、特に苦しんでいる人々の中に、神を見ています」

・・・マザーがなぜずっと苦しみと貧困にあえぐ人々の中で仕事をされてたか解りました。そうだったのですね。マザー。
あなたは貧しい人を救う以上に「神を救う」お仕事をされてたのですね。
マザーが奉仕しているというお言葉を使う意味がやっと解りました。

マザーのお言葉から(169ページ)

「あなたのごく近くに愛情と優しさに飢えている人々がきっといます。どうぞその人たちを見捨てないでください。
彼らに人間としての尊厳を認め、あなたにとって大切な人たちなのだと真心こめて認めてやってください。
あなたの愛と優しさに飢えている人とは誰でしょう。
イエスご自身に他ならないのです。苦しんでいる人の姿にまします、イエスご自身なのです」

マザーのお言葉から(72ページ)
 「私たちはイエスにしているかのように貧しい人々に仕えてはなりません。彼らはイエスその方だから仕えるのです」


マザーのお言葉から(63ページ)
 「病人や貧しい人々のお世話をする時、私たちはキリストの苦しんでいる体のお世話をするのです」


.................................................................................................................................

辛いこと悲しいこと・・48年ありました。


やはりかなりの年数苦労したり裏切られたり、そして途方に
くれたり、そういう何十年があっても・・

「突然変わる」「突然答えが出る」ことも
ありましたね・・・昨日買ったマザー・テレサの愛と祈りの言葉(PHP文庫)
今日目からうろこでした。
48年生きてて25年医療関係の仕事しててもまた変わることも
できそうです。


 大きな病院では受付のとき○○さま、と呼びますね。
好き嫌いは別にして・・

患者さんに対してもそのほかのかたがたに対しても、小さなことですが。「その人がいないときでもその人に対して
敬語(ともいえないけど)で話すこと」で変わります。


○○さまと読んで診察を受けていただいてその影で 帰宅の後

「○○さん、機嫌悪かったねえ!!今日!!また血圧あがっとんじゃろ!!あの人いうこと聞かんしねえ!!(スタッフと)」
・・・これはうちではありませんよ。

 これはどうかなあ・・? と思いませんか?


 普通○○さん、いらっしゃいませと挨拶して診察の後です。

 ○○さんのお帰りになった、もういないところで・・

「今日○○さん、ご調子悪かったのかしら?いつもお元気におはようって言ってくださるのに、今日ちょっとお元気なかったわよ。
発熱はなかったけど・・。
いつものお元気な挨拶がなかったのね。ちょっと心配。今度来られたら、血圧をチェックしてみてくださいね。
暑かったから大丈夫かしら?」

 そのかたがいらしゃらないくても、丁寧にその方のお話をしたらとても気持ちがいいんです。

 患者さんに対る敬意とは・・・○○さまだけでなく、その毎日「その方のいないところでも優しく話す」
「ちょっとでも丁寧にその方の話題を出してる」と 医師、スタッフ、患者さんの
人間関係が変わる気がします」

 人って言う字はノと反対のノという簡単な文字が支えあってる。
どっちかがまっすぐなわけでない。
そしてどっちもまったく飾りがない一筋の曲線どおし。
書く人によっても全然違う曲線。
完全な直線じゃない曲線。
書く人によって角度のかわる曲線。

 それが支えあってる。

 たった一すじどおし。
 ありのまま、そのままの自分、ありのまま、そのままの相手かもしれない・・・
それがお互い見せ合い支えあってる。

 支えられるほうも心は見せてもかまわないと思う。
支えるほうも心は見せてもかまわないと思う。

 支えるほうにも回ってみる。支えられるほうでもいいと思う。
 これがけっこう支えになる。

 人って漢字は2人がお互い支えあう文字。

 そのままの自分、そのままの相手かもしれない・・・
それがお互い見せ合い支えあってる。

 よろいを着てるどおしだったら、きっと差さえあっても傷を作りあうだけ。
やはりありのまま、で支えあってる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こうやっていたい・・けど、それでも片方が外れてもノとして独立もできる、

 カノジョのノ。

 で反対は・・ノの反対のすじ。ひげ親父のひげ。

 ひげも別の漢字の一角になれる。支えあう、にも下にある。合うでは上にある。
 交わるにもひげ親父はいる。なにげに2つも・・


 別々にも行動できるけど、今日はしっかりと人という字を作ってる。

 それぞれ書く人によって違う人という、とっても簡単な漢字を。

 時にはポンッとお互いはなれたとしても、ちょっと戸惑いながらでも、別の字になれる。

 だから人として支えあいたいけど、外れてもOKといえる。

 時に外れてもノはたっていける。意味になれる。カタカナのノに。

 時には反対のひげ親父は別の漢字の中でしっかりと支えを作る役目をしている。

 お互い独立しても生きていけるし、でも「人」としての漢字の中で支えあうこともできる。

忍耐

1、愛も忍耐から


優しさ、愛とは
相手の成長をずっと見守り、たとえ自分から離れていっても「
愛する」能力。

そして逆に「その一瞬で相手が輝いていたから好きになった」のがしだいにその輝きを失っていっても
「それでもずっと愛していれる忍耐力」


2、仕事も忍耐から

私はご存知のとおり耳鼻科医です。25年続けています。

1人1人のご相手に愛をこめて治療しますが、生半可でない。
何より瞬間的に0.1秒で自分の情緒、健康、知識を安定させることです。

1人1人のご相手に「あなたは私にとって、今の瞬間一番世界で大切な人なのですよ」のメッセージを言葉と笑顔で送ること。

生半可ではありません。

皆さんと同じなんですね。お前らにとっては日常の事でも、お客様にとっては一生に一度の事なんだよ・・

仕事の厳しさはどなたでも同じ。

娘(保育士)にも同じことを言っています。


明日から皆さん、一瞬一瞬に緊張感と愛と、謙虚をこめて成長しましょうね。

一緒に成長しましょうね。私も25年やってきましたが
もっともっと死ぬまで成長したいです。


3、ムシのすかない場合も忍耐から


仕事場でもいろいろなところで 嫌いな人はいますよね・・

許さなくていいんだと思うのですが。

ただ、いわゆる「ムシの会わない人」か
「そんなに悪意がないけどずばずば言う人か」 「こっちを疎んじてるひとか」

これでも違いますよね。

そのあたりですが

さしさわりなく

せめて
最低その方に対し、せめて社会人としてのマナーを守るだけでいいんじゃないかしら?
その方の悪口をほかで言わない、せめて挨拶だけはする、せめて意地悪だけはしない。せめて相手の足を引っ張らない。

それだけでいいんだと割り切っていられる相手だったらいいのですが。

4、 ひとを育てる忍耐

どのひとも優しくなれるんですよ。ただそのひとの生まれてから今までの人生である「人格」ができる。その人格から
作られる「愛」「優しさ」はそれぞれ違うんですね。 そういう人格、あるいは子供を育てるには絶えず続けていく忍耐が
必須なんでしょうね。

5、淋しさと孤独への忍耐

 孤独なとき、自分の想いが伝わらないとき、ついつい投げ出したくなる気持ち。それをかみ締めることも忍耐
でしょうね。

6.疲れてたり落ち込んでたりしたときに少しだけ忍耐を

疲れてたり落ち込んでたりしたときにどうしても他の方の幸せを素直に喜べない自分がいますね。

ひとに心から優しくできなくても せめて社会的な常識のある程度の態度でいいいんですよ。 そうして1分、10分、1時間がたつ、1日終わる。
陰口もいやみも言わなかった自分がいる。 ちょっと元気ないねといわれながらも、きちんと挨拶できてる自分がいる。
意地悪しなかった自分がいる。

ひとの幸せを素直に喜べなかったとしても「あっちから言ってきたら」おめでとう、とかよかったねとだけでも言える自分で
いいんですよ。
あなたの心がないてても、ないてる心はすっと知らない間に 後ろにいくから・・

でもそのとき、幸せなほかの人にいやみとかをいったり
「なにさ」という態度を取ったらその傷は体に残っちゃうのですね。後ろにすっと行かない。

だからせめて自分のために「すっといやなものがうしろに いくまで」待ちましょうね。

いやなものがいなくなると余裕が出てくるから。

今だけじゃないんですよ。時間って。

7、忍 忍耐の忍です。

考えてみれば不思議な字ですね。刀に線が入り、それが心の上にある。

人間はいつも心に「下手したら人を傷つける刀を持ってる」でしょうか。それを一生懸命抑える線が
刀の真ん中に入ってる、それを心が支えているんでしょうか。
過去も表と裏と横と未来を見てみよう。

今も表と裏と横と未来を見てみよう。

じっくりと書き直し考え直し考え直し、また表と裏と横と未来を見てみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コップも表と裏と横と未来を見てみよう。

今日あったことも表と裏と横と未来を見てみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

言葉は表と裏と横と未来を見てみよう。

文章は表と裏と横と未来を見てみよう。

じっくりと書き直し考え直し考え直し、また表と裏と横と未来を見てみよう。




人は表と裏と横と未来を見てみよう。

自分の感情も表と裏と横と未来を見てみよう。

じっくりと読み直し書き直し考え直し、表と裏と横と未来を見てみよう。

表と裏と横と未来を見てみよう。



そして明日も

明日は表と裏と横と未来を見てみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずはいろいろな文を読んでみよう。

好きな音楽を聞いてみよう。

好きなことをしてみよう。

それから・・・

いやなことでも文章に書いてみよう。

いやなことでも読み返してみよう。

いやなことでも聞いてみよう・・・


また自分で見てみよう。

すっぱいみかんもあながち悪いものではないんだよ。

辛い今でもあながち悪いものでもないんだよ。


1、人の間の距離


人間関係は車と同じ。適度な車間距離を置くこと。

ぶつかったあと、数分相手のお話を聞く、本気で傾聴してみてくださいな。

ぶつかっただけでは相手の心に傷ができる可能性もある。
ぶつかっただけでは自分の心に何かしこりができる可能性がある。

その傷もちょっとだけ考えて・・

それじゃぶつかれない!なら車間距離をおいてみてくださいな。

またぶつかってないけど接触したら一度車から降りて確かめてくださいな。

少しだけでもいいからぶつかった後、車を降りていったん確かめるように
傾聴してみてください。妥協とかそういうのではないのです。

ぶつかったまま逃げるのは「当て逃げ」ですから。


2、自分を信じるということ


自分を信じて生きてるって難しいです。

せめて仕事、勉強、家事その他「今の 自分の今の行動を信じて生きていく」というのが精一杯でしょうか。

それなりに信じられる、自分を信じられる毎日を送る、逆にいうと毎日を「誰かに贈られる」と感じることでしょうか。


3、弱い自分と思ったら

自分はそのときは大丈夫と思っても。強いと思っても・・・

時々地獄の夢を見ることもある。時々金縛りにあうくらい怖いこともある・・・

それも私だ。弱い私も私だ。 強いとか弱いとかでない、「咲く」ことなんだ。

誰も見てくれてないし、あるいは踏みつけられることもあっても 咲く花なんだって・・


4、自分が惨めになったら

星野富弘さん詩集から

おまえを大切に
摘んでいくひとがいた
臭いといわれ
きらわれ者のおまえだったけれど
道の隅で
歩く人の足許を見上げ
ひっそりと生きていた
いつかおまえを必要とする人が
現れるのを待っていたかのように

おまえの花
白い十字架に似ていた


5.絶望の時にせめて・・・


自分を信じてやってよかったという言葉を聴きます。成功したり,勝ったり、みかえりをうけたとき
「自分を信じてよかった」というのはたやすいのです。
しかし自分を信じてしてみた結果が成果に出ることは人生では少ないことが多いです。信じても結果が
ぼろぼろになっても、成功しなくても、病気になっても、金銭的な見返りがなくても、がんばれなくても
心を傷つけられても、馬鹿にされても、しかられたり、「あなたなんか信じられない」といわれることの
方がおおいかもしれません。

何も自分の思うようにならないときもある。それでも自己を「ぎりぎり」否定しない「勇気」。
それが真に自分を信じるということなのでは?

思うようになること自体、人生では少ないのです。

それでも、唯一神様からあたえられた、贈られたものが希望ですし、勇気をもってぼろぼろの自分を信じるということでしょうか。

人生がうまく流れてるときは自分を信じることはわりにたやすいのです。
人から信じられる人と評価されたとき自分を信じれるといえることはたやすいのです。

問題は流れに逆らってしまったとき。
人に誠意を尽くしても「信じられない人」と非難されたときです。

それでも自分をぎりぎりでもいいから保つものが信じることではないでしょうか
3、辛いけどかまってくれない。

辛抱(しんぼう)と介抱(かいほう)

自分で抱っこ。心の辛さを見せない、辛さを抱っこ。ハグしてあげてください!心をしっかりと。

介護して抱っこ。 介抱。

辛抱。包帯を自分で傷に巻いて抱っこ。
包帯も手の横に包む。抱っこも手で包む。今日一晩自分の辛さを手で抱っこ、全身でハグしてみてくださいね。


4、切れそうだあ!!

ぎりぎり。という言葉。

すべてがうまくいく人生でない。だから辛さ、受け入れられないこと、裏切り、嘘。悪口を聞く・・
いっぱいあるけど「どこかぎりぎり」自分の気持ちを爆発させず「悲しいは悲しい」「うれしいはうれしい」と受け入れ、
そして爆発する前に「ぎりぎり」でもいいから「処置」していけたらいい。

5、幸せな生活って

ちょっぴり辛さが混ざること、よっぴり気分がゆれること、 それを乗り切れること。

そういう乗り切れる、飲み込める、受け止められるだけの 辛さだけですむ生活。

少しの辛さが人生、または今日にあってもすぐに乗り切れるくらいであること。寝たら直るくらいであること。

ついでに悪夢を見ておきて、あ、夢でよかった・・・でしょうね。

6、毎日練習

この一瞬に何をするか・・あ、これは今でなくて いやなこと、きついことをいわれたとき、こころがへこんだとき、
そのあとどうするかの練習だって・・

こう毎日を思っています。

7.練習

世の中はいつも自分の思うようになると思ったら間違い。 すべて自分のいいように人が話してくれると思ったら
大間違い、それを「ほめ殺し」といいます。
人生って思うようになったり賞賛されることのほうが少ないんですね。大人といわれる年は。

自分に余裕があるときは人に優しくなれますし人を思いやれます。ただ・・逆境。
あんなにがんばっても成果が出ない、逆にぼろぼろになった自分、がんばったのに誠意を尽くしたのに・・
「あんたなんか信用できない」といわれた自分。世界で一番惨めだと思った自分がいます。

せめて「ぎりぎりでもいい」自分を信じてあげることができるひと。

かっこいい成功、かっこいい結果なら
「自分を信じてよかった」になりますが・・

かっこ悪い自分でも続ける。これがいちばん自分を
信じるということもつながるかもしれません。

自分を信じてやってよかったという言葉を聴きます。成功したり,勝ったり、みかえりをうけたとき
「自分を信じてよかった」というのはたやすいのです。
しかし自分を信じてしてみた結果が成果に出ることは人生では少ないことが多いです。信じても結果が
ぼろぼろになっても、成功しなくても、病気になっても、金銭的な見返りがなくても、がんばれなくても
心を傷つけられても、馬鹿にされても、しかられたり、「あなたなんか信じられない」といわれることの
方がおおいかもしれません。

何も自分の思うようにならないときもある。それでも自己を「ぎりぎり」否定しない「勇気」。
それが真に自分を信じるということなのでは?

思うようになること自体、人生では少ないのです。

それでも、唯一神様からあたえられた、贈られたものが希望ですし、勇気をもってぼろぼろの自分を信じるということでしょうか。

人生がうまく流れてるときは自分を信じることはわりにたやすいのです。
人から信じられる人と評価されたとき自分を信じれるといえることはたやすいのです。

問題は流れに逆らってしまったとき。
人に誠意を尽くしても「信じられない人」と非難されたときです。

それでも自分をぎりぎりでもいいから保つものが信じることではないでしょうか。

せめてぎりぎりで自分を信じ、せめてぎりぎりで切れない、
せめてぎりぎりで愛する・・その鍛錬なんでしょう。

そうすることで『相手に対しても」やさしくなれます。

50歳近い私ですが、毎日その繰り返しなんです。

ぎりぎりでも踏ん張る。 いろいろな仕事、立場、ぎりぎりに神経を張り詰めるときもある、泣く前のぎりぎりにつらいこともある。
それでも「ぎりぎり、人前で泣かない」 どんなにつらいことをいえれても「ぎりぎり。言い返さない」 悪口を言いたいけど「ぎりぎり言わない」
その短い一瞬の鍛錬を続けています、感情を大爆発させない、しずかに、しかし強くぎりぎり踏みとどまり、そしてさっといやな感情を後ろに行かせる練習を。
1.愚痴を敬語と丁寧語で。

接客業。悪口とか愚痴を言いたくなるときはあえて
敬語で・・・
とってもユーモラスになりますよ。

「あいつ(上司)もう、うざい!彼とデートなのにこんなに
仕事出して、そりゃー、あたししかできないことよ、でもねえ・・ひがみよ。お局なんだから!!」

「あのお方、(上司)ちょっぴり意地悪なお方だわ。
彼とお会いできるお約束の日なのに。こんなにお仕事いただけて、うれしいやら悲しいやら。
わたくしをこんなに買ってくださるとはうれしいですけど・・・何か裏でもあるのかしら。
おほほ・・やはりあのお方(上司)は、このお仕事場にずっと勤続されていらっしゃるからでしょうね。」
(なんかこっちのほうが意地悪!!)

2、会話は練習。


 毎日練習。一瞬の練習をいやなこと、きついことをいわれたとき、こころがへこんだとき、
そのあとどうするかの練習だって・・ 一瞬こわばる顔。
 でもすぐに横に「自分を客観視するもう一人の自分が」 「ちょっと考えてみてね」と自省させる。その一瞬の繰り返し。
目標より今は継続でしょうか。

こう毎日を思っています
ひとと人の間には距離が必ずある。他人を100パーセント理解できたり
100パーセント相手の要求どおりに動くとか、100パーセントを求めてはならない。
こうやればこうだろう、このひとならこうなるだろうと考えるのは
反対から「こうすれどこうならない。このひとでもこうなるとも限らない」

それでも「ひとをおもいやることは忘れない」

自分のおもう結果がかえらない、でもそれを普通とすること。


ほかのひとを愛する、優しくする、って難しい、どんなにしても、そのひとがいい感情を抱くか
その人しだい。だからといっても何もできないことはない。

自分が想像力と勇気と持続力、それにはまず相手の話を聴くこと、
そしてみかえりを求めないことを考え (つまりやさしすぎるといわれても、 ありがとうといわれなくても、お人よしといわれても
落ち込まない!!)
その人に思いやりをもって、温かく接することでしょうか。
まず聴くこと、理解できない部分があっても「受容しようとすること」
でも完全に理解できたとは「おもわないこと」

そして「ひととひと、つまり自分と相手の間は絶えず距離があり
その距離を認めること。
異常に接近したり、あるいは遠ざけようとしない。 ここも大事でしょうか。

ひとにはその何十年間生きてた人生から出来たものがある。自分にもある。それを認めてそこまで踏み込んではいけない。

「ひとはひと、私は私、されど仲良く・・」

この柿はたぶんお互いに思いあってるんだろう・・でもお互い静かに待ってる。
この木もたぶんお互い思いやる心を交わしているんだろう。でもお互い静かに立ってる。
いままでの私のエッセイや文を書きました、これからはフリートークで書いてくださいね! お仕事や日常のことについて、愚痴も一杯ね!!
自分の悩みを書くのもよし、自分の考えについて書くのもよし、少々トピと
はみ出しててもいいですから・・ね!!
うーん。一番好きな仕事がいいですね。ちひろさん。
あなたが「自分がその方にされていちばん嬉しかったこと」

それから得たものから仕事を見つけられてはどうでしょうか。
お題、働くことでご自分が得た「何か」を教えてください。
金銭的なこともOKです。
笑顔の効果ですねハート達(複数ハート)
バイトで接客をしていますが、胸がいっぱいになる瞬間がよくあります。
お客様に笑いかける。笑いが返ってくる。次のお客様に笑いかける。また返ってくる。また次のお客様に笑いかける…
この連鎖が続くと、わけのわからない感動に包まれて、恍惚状態になるんですわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)
思わず、幸せぇハート達(複数ハート)ってつぶやきたくなるような…

今のバイトしてて、本当によかったと思いますわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)
そうですね。笑顔のデンセン・・・伝染です、あるいは電線、伝線
素敵なことをありがとうございます!
強くなれ、強くなれという・・でも私は

強くなりたくはない。 弱い一つの野菊でいい。


まして病のひとに「強くなれ」というような、

私はそんなひとにはなりたくない。



あまり強くなることに執着しすぎると周りが見えなくなる。

強い人に焦がれすぎるとしすぎると、周りの強くなれない人を忘れてしまう。

健康すぎると弱ってる人を忘れてしまう。



健康が一番、健康が一番、と弱ってる人に言う・・でも。

私はそんなひとにはなりたくない。

健康でなくても、少し弱っててもいいんだよと・・・・・とそっとこころのなかでささやくひとになりたい。




疲れたら人に「がんばれ、強くなれ」といってた自分を反省できる。

疲れたら、自分を振り返られる。

疲れたら弱い自分を休ませてあげれる。そして人の疲れも理解できる。

疲れたり弱くなるのもあながち悪いことではない・・とそっとこころのなかでささやくひとになりたい。

疲れてもいいんだよと心から微笑むことが出来るひとになりたい。



心やからだが病むことはいけないことという。

私はそんなひとにはなりたくない。


病気にならない体力や精神力が必要という。

私はそんなひとにはなりたくない。


でも私はなってしまった病気にはとやかく言わない。・・とそっとこころのなかでささやくひとになりたい。

病気もあながち悪いものでない。と自分で考えることがある。

病気の人の気持ちも考えられるから。・・とそっとこころのなかでささやくひとになりたい。




心や体が疲れることもあながち悪いことではないかもしれない・・・・・とそっとこころのなかでささやくひとになりたい。

そして「思いがけぬ穴」と思う人に心から「大丈夫」といえる微笑みを返してあげたい。

一瞬ひくということ。

引き際。
おすだけでもだめ。

一瞬ひいて、相手の出方を待つ。

一瞬引いて、相手の声を待つ。
そしてひけるだけの自信。

相手がおこる、相手がまくしだてる・・そのとき一瞬引くときにも「ここまで」
という基準と自信。
そこは小さな靴修理の店だった。
かかとを直してもらったことも何度かあった。

十数年前からどうしても離せない、古い靴を捨てる前にその店にもっていった。

この靴はいい靴ですよ。修理には1足1500円かかりますが・・
皮がいいんですよ。昭和の靴ですね。

職人さんの目だった。

その靴が数日たってもどってきた。

見事に綺麗になってた・・・

何か靴修理以外でも「仕事とはこういうものだ」という大事さを教えてもらった
気がした。
仕事は今日で終わり。30日が日曜なので1日早い。

でもしんどいな・・・かぜなんだろうか?

今年1年笑顔で仕事を終わろう。
仕事を通じて人は成長します。それはけして「外での仕事」だけではありません。お金だけではないのです。

責任を持つこと、何らかの行為に対し、それが「誰かのためになり、その誰かのために責任を取ること」だろうと思います。

だからといってがちがちにならず、たえずユーモアとゆとりと笑顔をもち
仕事が「雑事」にならないように、一瞬一瞬に気持ちをこめたい、それは
自分の仕事だけでなく他人の「心に」響く気持ちをこめたいです。
私たち医師は治癒ということばを書きます。

治癒・・
心を治めて
癒すこと。

病気を退治することでなく「こころとからだを治めて、癒すこと」

モットーにしています。
25年続けていたら、プレッシャーなんかないだろうといわれます。

そんなことはありません。このごろ夜中によく起きます。

人を癒す課業、定めは本当にしんどいです。

しんどいことを感じないと仕事は、あるいは人間は進歩しないから。
仕事の余韻が残って夜中に目が覚める。

25年医師業やってもまだプレッシャーがあるんだ・・


夜中の風。春一番だろう。 さえて眠れない夜。

「春になったら」どうなるのかはわからない。


あなたが一生懸命だから夜中に目が覚めるんだよ・・

と慰めてくれてるんだろうか?

一生懸命、夜中に何かが動く。

春のエネルギー。根をはり、葉を出す準備をし、芽をつける。

何百年も木々がしていること。それでも木々は一生懸命何かを夜中にしている。生命・・・

そのエネルギーが私の何かを揺るがすから、目が覚めるのだろうか?
何もいうことない。
仕事が、今週1週間仕事が終わった瞬間・・
最後の患者さんが笑顔で帰ってくれた瞬間・・

この一瞬のために私は毎日苦しいながら仕事してるんだ。
仕事をしてる人は特に思うだろう。どうして
好きなように時間がたたないのか。

暇なときはうーんと暇なのに家に帰れない。
忙しい時は勤務時間が終わっても家に帰れない。

時間が貯金できて、暇な時間を忙しい時間に回せればどんなにいいかと
思うだろう。

でも出来ない、現実に平等に時間は過ぎてるから。

時間って諦める練習に使えることもあるんだ。

ただいえること。時間がたてば、同じ忙しさでも同じ無駄な時間と思うことでも
別の見方が出来ることがあるかもしれない。

どうしてこんな仕事しないといけないのだろう。
どうして自分の思うようなしごとでないんだろう・・

仕事に生きがいを感じられない。

でもそれならせめて毎日毎時、目の前にいる「お客さん」に心からの
笑顔ときちんとした言葉を使うだけのトレーニングと思えばどうだろうか?

なんだそれならいつでもやってる・・と思わない。気に食わないことであっても
心が揺れてても、むっとしても「いつでもいつでも笑顔」できますか?

相当なトレーニングが必要となります。

きちんとした言葉できちんと会話するだけでも「いつも」という課題を
課したら?相当なトレーニングになります。

そのうち「生きがいとか働き甲斐」すら忘れます。何か暖かいものを
仕事に感じるようになるから・・
年始はじまり1週間の仕事。精魂尽きた感じで土曜帰宅して2時間も寝込んでいた。
こんなに疲れていいのかと思うくらい。

連休がありがたい。

疲れるくらい仕事したことを感謝すべきなのだろうか?
私は情に訴える医師になりたい。
知識はあって理論ではわかるけど、人間は情で動くもの。

情を通わせることの出来る優しい人になりたい
お仕事大変なんですね。
お疲れ様です。


『情を通わせれる人になりたい』

そう思う気持ちが強くあるなら、きっとなれますねクローバーステキですほっとした顔
ありがとう、小さなつぶやきに答えてくださって。
冬空の光に聞こえます、あなたのコメントが。
すべてが思うようにならない、仕事では特に、人間が関係してるから。
そういう風に思ってても、ときどきむなしくなることすらある。

それは私の身勝手と思っても・・・

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