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白木みのるを語るコミュの芸人は愛されてナンボ

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白木みのるさんの記事をみつけましたので、
皆様、ご覧ください。

http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070617/ent070617000.htm

そのうち消える可能性があるので、前文を以下に貼り付けます。



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【人語り】俳優・白木みのる(73) 芸人は愛されてナンボ



俳優・白木みのる(撮影・早坂洋祐)
 ゴーンという鐘の音が鳴り響き、お堂の扉が開く。藤田まことふんする渡世人「あんかけの時次郎」が登場し、襲いかかる悪役をひとひねり。おもむろに懐から菓子を取り出して、おなじみのせりふを決める。

 「おれがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」

 時次郎が旅をする大阪発の時代劇コメディー「てなもんや三度笠」は昭和37年〜43年まで放送された。藤田時次郎が白木みのる演じる「珍念」との凸凹コンビでギャグを連発する珍道中が人気を集め、関西では最高視聴率64・8%を記録した。

 日本中を爆笑させた舞台裏は真剣勝負だった。ネタを思いつかずに泣く作家。「こんな台本いるか」と怒鳴るディレクター。ストーリーは作り込まれ、「アドリブは厳禁だった」。リアルを追求した舞台では滝を再現するために惜しみなく大量の水を流し、飾りの干し柿やスルメも本物だった。

 珍念役の白木が一番しんどいと思ったのは、銅製のカツラだった。「とにかく暑い」。撮影が長時間に及んだときにはカツラの中で汗が噴き出て銅を腐食させた。くりくり頭の珍念のうなじに“黒い汗”が流れ、「せっけんでゴシゴシ落とすのが大変やった」。

 今年、芸能生活60周年。身長は145センチだが、「てなもんや」のころは、もう30センチぐらい低かったという。

                 ■ ■ ■

 昭和9年、島根県の大根島の生まれ。「学校ではちょっとしたイジメがあった」。身長が低いことを意識したのは中学生のころ。原因は調べていないが、「小学生まで満州にいた時期があり、食事や環境が変わったことが影響したかもしれない」。

 医者か画家を夢見たが、家の貧しさが許さなかった。歌が得意で13歳のころからのど自慢大会で賞品を獲得した。流しもやり、島根の温泉街を回った。旅館や飲み屋に飛び込んでは高音で演歌を歌い、酔客らの喝采(かっさい)を浴びた。1000円、ときには気前良く1万円を払う客もいた。1晩で100曲歌い、血のたんを吐いたこともある。

 だが流しだけでは食べられず、地方巡業する劇団に加わり、コントもこなすようになった。あるとき大阪のキャバレーで歌い手が倒れ、代役で呼ばれた。「たまたま客に大阪劇場の支配人がいた。『あんた歌うまいな。こんなことしてないで、うちにいらっしゃい』と誘ってくれたんですわ」

 大劇は、大阪を代表する劇場。大舞台で三橋美智也の「夕焼けとんび」を歌うと、客は大喜びだった。白木は表舞台への階段を上り始めた。

 ミヤコ蝶々に弟子入りし、テレビ番組「スチャラカ社員」などで人気も上昇。37年に始まった「てなもんや」で喜劇役者としての地位を固めたが、本人は「あまり実感はなかった。車がベンツになったことぐらいかな」。大阪のミナミあたり歩くと、子供が頭をたたいてケラケラ笑いながら逃げていった。番組中で藤田が白木の頭をたたくシーンをまねたのだろうが、「カツラかぶってないから、ものすごく痛かったなあ」。

 いい思い出ばかりではない。「てなもんや」の人気をあつかう番組に、藤田だけが呼ばれることもあった。出演者が「珍念ちゃんはいないのね」といったが、白木には声がかからなかった。当時の雰囲気に小柄な体を不快と見るむきもあり、「とても不愉快だった」。

 てなもんや三度笠は43年3月に終了し、白木の芸能生活は舞台中心になっていった。

                 ■ ■ ■

 今月初め、大阪の梅田芸術劇場で行われた北島三郎主演「あばれ無法松」に、薬売り役の白木をみた。「てなもんや」にも出演した北島からのラブコールで、37年間も北島の舞台に出続けている。1年のうち約160日は北島の舞台。「人との出合いに助けられてきました。ほんまに運が良かった」

 白木の見せ場。車夫に痔(じ)の薬を頼まれ、空を眺めてこう切り返す。「明日は雨や、薬はいらん。雨降ってジ固まる」。涙を誘う無法松の舞台で、会場に響く白木の高い声が観客の心をほぐす。

 最近はまた舞台だけではなく、テレビや映画などで幅広く活動している。仕事はえり好みしない。そこには苦労人ならではの哲学もある。「芸人はかわいがられて、愛されてナンボ。私には芸人の道しかないから」

 白木は5月、芸能生活60周年を記念して、自費でCD1000枚を制作し、「お世話になった人に配っている」。歌とあいさつが収録され、その中でちゃめっ気たっぷりに語りかけている。

 「歌はうまいことおまへんで。その代わり私はね、背は低いけど、声は高いよ。がんばっとるよ」

 (文 高久清史)

(2007/06/17 12:12)

コメント(1)

のり坊さん、ありがとうございます。
興味深く拝見しました。
しかし、てなもんやのころは、110?そこそこだったというのは、驚きですな〜。
何はともあれ、頑張っておられるようで、嬉しい限りです。

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