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グロテスク芸術コミュの[黄金宮殿]

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『DOMVS AVREA』
Viale della Domus Aurea, ROMA, ITALIA

 西暦64年ローマは一週間続いた大火により市街の3/4が崩壊しました。
この廃墟の上に皇帝ネロが建てたのが『黄金宮殿(ドムス・アウレア)』でした。
 この邸宅は3つの丘にまたがる80ha(コロッセオの25倍、又150haとも推測される)
の土地に、セウェルスとケレルら当時の指折りの建築家達により建築されました。
 パラティーノの丘側の入り口中庭は幅1.5kmの柱廊が3列も並ぶほど広く、
金メッキを施した35mのブロンズのネロ・太陽神の彫像がそびえ立ちました。
南端にはクラウディウス神殿の基壇東面を利用した長さ200mもの泉水堂があり、
そこから水が人造湖へと流れ込んでいました。
その人造湖を中心に葡萄園、庭園、牧草地、珍しい動物が放し飼いにされた森林
などにとりかこまれた大宮殿でした。
 この人造湖はネロの死後に円形闘技場となり、
ネロの巨像(コロッソ)付近にあったため「コロッセオ」と呼ばれました。

 約300室以上からなる本館は八角形の部屋を中心に東西に翼を広げるような
幅300mの建物で、円屋根は黄金色に輝いていました。
大部分の部屋は高さ10mに及ぶアーチ型天井を備えていました。
部屋には金箔が張り巡らされ、ギリシア彫刻で飾られ、床にはさまざまな色の
ガラス片と色大理石によるモザイクがはめ込まれていました。
また、壁画はファブルスによるもので、羽根の生えた猛獣や尾ビレを持った馬などの
奇怪な合成怪物が花綱と共に描かれ装飾されていました。
 食堂の天井には開閉式の象牙の板がはめ込まれており、
花びらと香水を客の頭上に降らせることが出来ました。
また、昼も夜もたえず天体のように回転している円形の貴賓室もありました。

ネロは「これでようやく人間らしい家に住めそうだ」と言ったと伝えられています。
 しかし、台所や浴室、トイレ、暖房などの設備が欠けているところから、
ドムス・アウレアはネロ帝の住居ではなく、パーティや芸術品の観賞など、
単に皇帝に楽しみを与える場所として建設されたとも考えられています。

 西暦68年ネロの死後、未完成のまま残されたドムス・アウレアは・・・
後の皇帝たちは、ネロ帝の痕跡を消そうとし、宮殿の大部分を取り壊し、
内部をふさぎ土砂を掛け、敷地を市民に解放しました。
ウェスパシアヌス帝は人工池を埋め立て円形闘技場を建設・・・
巨像の頭部は太陽神の頭部に変更・・・
ティトゥス帝は、庭園に浴場を建設・・・
104年の火災で上階が失われた後、その上にトラヤヌス帝が浴場を建設・・・
ハドリアヌス帝は神殿を建設するため、宮殿の玄関広間を破壊・・・
そしてネロの巨像を移動・・・
 中世には埋め立てられた上に、野菜畑やブドウ畑になり、
ドムス・アウレアは姿を消してしまいました。

 1480年頃、地中に埋もれていた宮殿の一部が偶然発見されました。
1506年にはオッピオの丘、トラヤヌス浴場付近のブドウ畑の地中から
「ラオコーン像」をはじめとするギリシア彫刻が発見されます。
壁画、天井画、古代彫刻は当時の芸術家、ラファエロ、ピントゥリッキオ、ギルランダイオ、
ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ、そしてミケランジェロに多大な影響を与えました。

 1980年代までドムス・アウレアには一部の研究者と専門家だけしか入ることができませんでした。
その後、修復作業のために完全に閉鎖され、1999年から予約による一般公開されました。
 しかし大雨による被害を受け2005年12月に2年間の予定で閉鎖されました。

 ドムス・アウレアで発見された彫刻はヴァチカン博物館の「ラオコーン」のように
別の美術館や博物館に移されてしまっています。
カピトリーニ博物館の「瀕死のガリア人」やアルテンプス宮内ローマ国立博物館の
「妻を殺して自殺しようとするガリア人」の像などが有名です。

※トピック内画像は僕が撮った写真と書籍『黄金宮殿のガイド』、『黄金宮殿の画集』からです。

コメント(24)

『黄金宮殿』を建てたネロについて・・・

本名:ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス
皇帝、芸術家、美術品収集家、太陽神アポロン崇拝者。

 西暦37年
12月15日
イタリア、アンティウムで生まれる。
父ルキウス、母アグリッピナ。
母が三代目ローマ皇帝カリグラの妹の為、
近親相姦による2人の子供との噂も・・・
 西暦40年
父ルキウス死亡。
母アグリッピナ、カリグラ帝によりポンティア島へ流刑。
 西暦41年
カリグラ帝、親衛隊による暗殺。
クラウディウス四代目ローマ皇帝に即位。
母アグリッピナ、ローマに戻る。
 西暦49年
クラウディウス帝と母アグリッピナ結婚。
 西暦50年
クラウディウス帝の養子になる。
 西暦53年
クラウディウス帝の娘オクタウィアと結婚。
 西暦54年
クラウディウス帝、母アグリッピナによる毒殺。
ネロ16歳で五代目ローマ皇帝に即位。
 西暦55年
前皇帝の実子ブリタニクス毒殺。
 西暦59年
実母アグリッピナ殺害・・・「殺されてやるわ。あの子を支配者にするためなら!」
同性の恋人と重婚。
 西暦62年
妻オクタウィア殺害。
ポッパエアと結婚。
 西暦64年
ローマの大火に「炎が美しい!」とはしゃぎ、
後に『黄金宮殿』を建設したため悪い噂が立つ。
 西暦65年
妻ポッパエア蹴殺。
教師兼後見人セネカ殺害。
ネロ帝暗殺失敗。
 西暦66年
メッサリナと結婚。
ネロ帝暗殺失敗。
憧れの地ギリシアへ訪問。大祭の競技会に出場。賞を獲得。
ネロの演奏中、観客は席を立つことを禁止。
絶えられず「死んだフリ」をする者現れる。
 西暦67年
元老院との関係悪化。
 西暦68年
タラコネンシス属州総督セルウィウス・ガルバの反乱。
6月9日
ネロ帝自殺・・・「世界はすぐれた芸術家を失うのだ!」

享年30歳
18世紀後半の黄金宮殿の再現画です。
ドムス・アウレアで発見された彫刻です。

左・「ラオコーン(Gruppo del Laocoonte)」/Musei Vaticani, ROMA
中・「瀕死のガリア人(Galata morente)」/Musei Capitolini, ROMA
右・「妻を殺して自殺しようとするガリア人(Galata suicida)」/Palazzo Altemps, ROMA
いろいろな「ラオコーン」です。

左:現状(マージの修復後/1957年)
中:ポラクによるオリジナル右腕の発見以前
右:バンディネッリの模刻/ウフィツィ美術館
西暦59年 同性の恋人と重婚・・・
ネロは自らが去勢させたスポルスに対しては「夫」、
ピタゴラスに対しては「妻」の役を務めた
・・・と伝えられています。
ローマの大火・・・
 西暦64年7月19日競技場付近で火災発生。
一週間街中に燃え広がり14区の内、3区は全焼、7区壊滅状態。
 そのときネロは・・・
マエケナス庭園の塔から燃えさかる都を眺め「炎が美しい」とはしゃぎ、
舞台衣装姿で竪琴を弾きながら『トロイアの陥落』を歌っていた・・・と。
 しかし、ネロは救済策を講じ復旧作業のための資金も出し火災防止にも努めたが、
『黄金宮殿』の土地確保のために放火させたとの噂が・・・
 その後、ネロは放火の罪をキリスト教徒に着せた。

人間松明・・・
 ネロ帝は罪人達の代わりに、その「悪徳」ゆえに蛇蝎のごとく嫌われている集団
−群集が「キリスト教徒」と呼ぶ人々− を、この上なく洗礼された残酷さで罰した。
・・・放火の罪ではなく、憎悪によって、おびただしい数の人々が有罪を宣告された。
 そして、彼らの最後は嘲笑によって見送られた。 なぜなら、
彼らのうちのある者は野獣の皮をかぶせられ、犬の群れに食いちぎられて死に、
また、ある者は十字架に縛りつけられ、日の光が失せると同時に火を放たれ、
夜間、ずっと松明の役をさせられたからである。
・・・タキトゥス著『年代記』
黄金宮殿の内部写真です。(黄金宮殿の本より)
黄金宮殿の内部写真です。(黄金宮殿の本より)
そういえば、知人からダビングしてもらったケーブルTV番組
『ローマ〜古代帝国の先端技術』でドムス・アウレアも採り上げられていました。
CG再現映像が面白かったです。
どこまで正確なのかは判りませんが、僕の想像より華やかでした。
円形の貴賓室・・・一応、写真とCG画像を並べます。(画像:左&中)

この部屋は近年の海外TVドラマ『クオ・ヴァディス』にもでてきました。
51年のハリウッド映画『クォ・ヴァディス』では確認できず。
又、ハリウッド映画版ではローマの大火時、ネロは「ローマの大火」について歌っていましたが、
TVドラマ版では、ネロは『トロイアの陥落』を歌っていました。
そして、TVドラマ版は時間も長いので、ネロの登場シーンも多かったです。
室内のグロテスク装飾も再現されていました。
イタリアのテレビ映画『ローマン・エンパイア』でも室内壁画はグロテスク装飾でした。

写真:右・・・絵画『QUO VADIS』

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