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【東北限定】あなたの町の郷土史コミュの【東北】の歴史 中世【青森】安藤氏、曽我氏、成田氏、三浦氏、南部氏、工藤氏

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皆さん、こんにちは。
管理人のけいちゃんです。
このトピックのテーマは、「【【東北】の歴史 中世【青森】安藤氏、曽我氏、成田氏、三浦氏、南部氏、工藤氏 」です。
あなたが知っているあるいは調べた「【【東北】の歴史 中世【青森】安藤氏、曽我氏、成田氏、三浦氏、南部氏、工藤氏 」に関わる歴史上の人物、事件、政、宗教、伝統、芸能、美術、生活などについて、写真や図案を交えながら、自由に記述してください。

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甲斐国南部氏は内部に多くの支族を抱えている。その中で、南部師行は、南部氏としては記録上初めて、南北朝時代に北畠顕家に従って奥州に下向した。師行は、糠部(ぬかのぶ)の八戸の地に根城(ねじょう:現青森県八戸市根城)と呼ばれる、従前に工藤氏の拠っていた城を接収し、居城した。師行が一時、工藤氏を称していたとの少数説もあるが、そもそも南部氏は清和源氏、工藤氏は藤原姓とされていることから考えると、にわかには信じがたい。

彼の子孫は八戸氏と称し、一般に根城南部氏(ねじょうなんぶし)と呼ばれる。従来、この系統は南部氏の有力な分家としてみられてきたが、最近の研究では、根城南部氏が宗家であったと推定されている。いずれにしても、14世紀半ばから根城南部氏は次第に力を弱めたが、17世紀前半まで下北半島などを領有し、南部氏のなかでも比較的大きな勢力を有していた。

1617年(元和3年)、所領のうち、下北が、幕藩体制下で宗家としての地位を確固たるものにした三戸南部氏(後述)に接収され、1627年(寛永4年)に遠野に移される。これ以後のこの家系は遠野南部氏と呼ぶ。遠野南部氏は、江戸時代を通じ、盛岡藩の世襲筆頭家臣であった。

なお、根城南部氏が、日蓮(にちれん)に帰依し身延の地を寄進したとされる南部(波木井)実長の伝統を継承する子孫と称するのは江戸時代後期からである。

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