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【東北限定】あなたの町の郷土史コミュの平泉奥州藤原四代【初代藤原清衡】 華開く黄金文化の礎

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皆さん、こんにちは。
管理人のけいちゃんです。
このトピックのテーマは、「平泉奥州藤原四代【初代藤原清衡】 華開く黄金文化の礎」です。
あなたが知っているあるいは調べた「平泉奥州藤原四代【初代藤原清衡】 華開く黄金文化の礎」に関わる歴史上の人物、事件、政、宗教、伝統、芸能、美術、生活などについて、写真や図案を交えながら、自由に記述してください。

コメント(1)

【平和国家を目指した初代清衡(きよひら)】
 前九年、後三年合戦で生き延びた清衡は、豊田館(現奥州市江刺区)から平泉に館を移します。たび重なる戦の中で育った清衡が第一に目指したことは、「争いのない仏国土」を造ることでした。その第一歩として、中尊寺の建立を始めます。様々な堂塔をはじめ、堂内の装飾や仏像、そして経文にいたるまで、各地からの優秀な技術者によってつくられていきました。諸堂の完成にあたり清衡は、「中尊寺建立供養願文(ちゅうそんじこんりゅうくようがんもん)」を読み上げています。これは、「奥州の戦乱で亡くなった多くの人の霊を弔い、敵味方はもちろんのこと、鳥や獣また虫類にいたるまで、極楽往生できるように」と願いを込めて書かれたものです。
  また清衡は、奥州の入口にあたる白河関(しらかわのせき)(福島県)と、北端の外ヶ浜(そとがはま)(青森県)の間に、一町(約100m)ごとに笠卒塔婆(かさそとば)を建てました。その面には、金色の阿弥陀如来が描かれていたといわれます。卒塔婆は死者の供養に建てられるもので、阿弥陀如来もまた極楽浄土の仏です。ここにも清衡の「争いのない仏国土」への思いが見てとれます。また白河関は北緯37度、外ヶ浜は北緯41度を測り、中尊寺は北緯39度に位置するのです。清衡は平和な世界の中心として、平泉に中尊寺を建立したのでした。

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