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竹内三統流研究会コミュの【見所】あるいは【控の間】

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ここは、所謂「雑談コーナー」です。

硬派なことも軟派なことも、ご自由に書き込みください。

コメント(60)

>館長様

先日は突然の訪問をお許し頂き、貴重なお話、楽しいお時間を過ごさせて頂き、また今回は竹内三統流研究会へのご参加ありがとうございます。

想えば祖父が老境に至って「肥後伝来の武術 竹内三統流柔術」を上梓し、宗家にご報告申し上げ三十数年の歳月が流れました。

残念ながら、当地にて流儀を守り伝える者はない状況にあります。
先般、小生が五十の手習いで始めたインターネットで先生の後進のお二方の竹内流修行者と交流を持つに至りました。これも先師の御導きの賜物と感謝感激の至りであります。

この研究会も数名の有志で立ち上げ、何とか一年有余続いてきました。
なんといっても矢野様、河野様、高城様の存在あっての事と思います。
小生は現地担当者としての意気込みで、取るに足らない情報をいろいろ書き込んできました。
ご笑読、ご寛容の程お願い申し上げます。


館長様
歓迎いたします。まだ、お目にかかったことはございませんが、お弟子の河野様、高城様に依存しているような状態ですので、ぜひご参加いただき、ご指導お願います。
ここの処、業務多忙・家事多忙・諸事多忙に加えて、
当コミュへのカキコミができずにいました。

諸事多忙の中で嬉しかったのが、
「竹内真影流」の伝書類を提示いただくことができ、
そのデータ整理に追われていた、というものがあります。

竹内真影流・・・厳密には「竹内流並真影流」「真貫流」等、
複数の名称に変更を重ねた流儀ですが、その実態は、
備中国伝来の竹内流です。

創始時期は、竹内三統流よりも少し時代が下りますが、
同じ竹内流を母体とする流儀として、比較検討したいものです。
竹内真影流の資料

【URL】
 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kouno1532
ここの処、
錦糸町では棒術、津田沼では剣術「斎手」に特化した稽古でしたので、
竹内三統流の型の稽古は一休みしていました。

9月になったら、津田沼で体之曲尺を取り入れて鍛錬に役立てようと
考えています。
暫くしたら、体之曲尺の画像データを採取できることと思います。
それを使って、技法テキストの原稿に仕上げたいと考えています。
>河野様

昭和40年代の西山先生との検証で受けをされたというMさん。
もう県警を定年退職されて一年程になるらしいですが、坂本先生が昨年連絡したがまだ会いだせずにいるそうです。(某大学の指導者を替わってもらいたいとの事)
柔道が強く若い頃は一緒に大会に出ていたそうですが、途中で辞められ、部署も違ったので近年はあまり交流がなかったようです。

もし可能なら、ある程度の資料が揃えば坂本先生を通じてMさんに見てもらうのは如何でしょうか?
>黙鼓子様

「もし可能なら、ある程度の資料が揃えば坂本先生を通じて
 Mさんに見てもらうのは如何でしょうか?」

是非、お願い致します。
資料がある程度、整ったら、河野からは南高江の木村先生に郵送して、
意見を伺おうと思っております。




当コミュに「隠烏」様が新たに参加してくださいました。

隠烏さんは、河野の道場の門人ではありませんが、
現状は、河野の稽古にも参加してくださっています。
*河野の処は参加人数が少ないので貴重なメンバーです(笑)

さて、隠烏さんは、講道館柔道を修業しておられ、
「JUDO」ではない「柔道」の乱捕を追求する為に、
竹内三統流の「専手」「体之曲尺」を修練してみたい、
とのご意向です。

それにお応えできるか否か、全く予見はできませんが、
暫くの間、当方の稽古にお付き合い頂くことになりました。

錦糸町も津田沼も、お住まい・活動拠点からは、
遠方になってしまいますが、期待しています。
どうぞ、ヨロシクお願いいたします。



>f岡様

写真を見てみました。コレは、写真に書き込んだもののように思われます。
稽古着の上に位置する「熊本」の2文字がきちんと判読できますので。

写真から判断するに、しなやかな体躯であると思われます。
当コミュ参加メンバー各位

これまで、アップした竹内三統流の型・技法に関するトピックを整理しました。

TOPページのコミュ説明の欄に以下の2行を追加しました。
ここをクリックすることで、当コミュに散在している型や技法を説明した
各トピックに辿りつくことができます。
ご活用ください。


【解説】竹内三統流の型・・・・・型を解説したトピックの目次です
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37040780&comm_id=2011203


 <お願い>整理の都合上、上記「竹内三統流の型」トピックに対しては、
      皆様のコメントはお控えくださいますよう、お願い致します。
河野師範


見やすく、わかりやすくなりました。


ありがとうございます!

この画像を見ながら、自主練したものをビデオで撮って、アップしたら添削していただけますでしょうか?
>フェニックス様

今回の試みを評価して頂き、うれしく思います。
ありがとうございます。


>自主練したものをビデオで撮って、
>アップしたら添削していただけますでしょうか?

添削というほどではないですが、
気づいた点をお伝えすることはできると思います。

順次、竹内三統流の技法テキストも整備していきたいと思っています。
今回の演武の準備で稽古している内容を写真撮影して、掲載する予定
もあります。
また、MIXIに掲載している過去の動画も手間次第ですが、
順次、差し替えをしていきたいとの思いもあります。

少しずつ資料を整備して参ります。
こういうものを整備して、通信教育的な環境を準備できると良いな
とも思っております。


新年、おめでとうございます。

竹内三統流については、昨年は、10月と11月に、
多数の方々の前で演武する機会に恵まれました。

どちらの会も、演武者が習熟できていない状況
での演武でしたので、とても拙く、
不本意な点も否めませんでしたが、
活動の現状報告という意味合いでは、
まあ価値あったものと考えております。

本年はどんなことができるのか、
現状では何とも言えませんが、
少しずつでも前進することができれば幸い
との思いでおります。

このブログをご覧下さる方の中に、
竹内三統流や竹内流に関連した流儀に関する情報を
おもちの方がいらっしゃれば、
ご案内くださいますよう、お願い申し上げます。
2010年04月から、竹内三統流を定期的に稽古することになり、
先日、先ずは4月の稽古予定日が確定しました。

昨日(19日)、村上さんのご尽力で、5月の会場確保の申請ができました。
結果判明は来月初です。
5月の稽古予定が確定したら、また公開いたします。

*「定期的に稽古に参加」できそうな方は、是非、ご参加ください。
熊日新聞朝刊に月に数回(確か不定期)、「くまもと昭和空撮」が連載されています。
昭和30年前後の熊本市中心部などの空撮写真と解説記事ですが、今日は「坪井、妙体寺一帯」です。

家屋の密集地であり、新聞紙面でやや不鮮明ですが、現在は整形外科医院のある場所に木造の建築物が写っています。
おそらく矢野道場と思われます。

希望する人には写真を販売しているそうです。(熊日サービス開発;096−361−3256)
椿陸奥雄先生の御子孫が熊本におられることが分かりました。

小生の幼馴染が所属する会に同姓の役員がおられるので、尋ねてもらったところ「その人はうちの本家筋に当たる」との回答で、直系の御子孫と連絡を取ってもらうよう頼みました。

西南の役で焼失した道場の再建に多大な貢献をされたという門人の椿氏。年代から、陸奥雄先生はその椿氏の御子息ではないかと推察しています。
当事のことを確認したり、現在の検証活動や稽古会の報告が出来ればと思います。
>大江様

椿様のお家にアプローチできれば、矢野道場についての新たな情報が得られる
可能性がありますね。
また、続報をお願いいたします。
今朝、近所の県警の柔道部OBの方に、このトピの26項に記したMさんを御存知ないか尋ねてみました。

このOBの方が小生より一回り年長ですが、Mさんはその一期後輩だそうです。

県警は当時、西山先生から北川先生と三統流の目録をお持ちの方が指導者を歴任されていましたが、柔道大会等の際には必ず古流柔術の演武をされていたそうです。
先生方の相手をつとめた若手が何人かいたが、Mさんもその一人だったのだろうかよく憶えていない、調べとってみましょうと言われました。
>大江様

ご連絡、ありがとうございます。
結果がでたら、ご教示ください。

直伝の技法を学んだ方であられるなら、
参考になる情報をお持ちかもしれませんね。
近所の県警柔道部OBの方が1年後輩というMさんに連絡をとってくれました。

結果、回答として「当事、柔道大会の折に西山先生が竹内三統流などの演武を披露されていたのは憶えている。しかし、相手(受)をしていたのは自分ではない。」とのことです。

Mさんでなかったとすると、誰だったのだろうという話になり、何か分かったらまた連絡してくださいとういうことになりました。

ところで、西山先生の親友の井上先生の話題も出ました。
祖父の振武館でのスナップで相手を務めておられますが(撮影は西山先生)、戦前は東京で牛島辰熊先生の家に住み込んでおられ、木村政彦先生より少し後輩と思われますが、10年近く前に後輩の結婚披露宴で同席したのがお会いした最後で、その後しばらくして亡くなられたようだとのことでした。
>大江様

情報提供、ありがとうございます。
西山先生の相手役でなかったというのは残念でした。

しかし、井上先生のことで「牛島先生宅に住み込みで修行していた」というのは、
なんだかすごい話ですね。
>f岡様

情報提供ありがとうございます。
竹内三統流という流儀がいろいろな処で見受けられるのは嬉しいことです。

ところで、この
「講道館の極の形に竹内三統流「摺上」が取り入れられた(P21)と書かれています」
という部分について、f岡さんの考えを伺いたいのですが、如何でしょう?

河野は竹内三統流の体系の中では「摺上」という名前の型を認識していません。
また、講道館柔道の「極の形」の「摺上」という形に類する型を竹内三統流の中では
見出していません。
*勿論、「全く同じ」ではなく「極の形に取り入れる際に幾分の変更を加えた」という
 こともあろうかと思いますので、そうすれば思考はもっと拡散できるのですが。
 たとえば、「極の形」の「両手取」は竹内三統流の「四手詰」に類似しています。
 (島田先生の著書にも、四手詰の解説の箇所に「極の形の両手捕」との注書きがあります)

f岡さんは、ここでいう「摺上」は、竹内三統流のどの型に該当すると思いますか?

*もしかすると、極の形に取り入れられたのは「摺上」ではなく「四手詰」なのかも
 しれませんね。
河野です。

本年の稽古を振り返ってみると、3月の地震の後は暫く稽古場を利用することができない時期があり、その間はお休みとなりました。
また、10月以降は、河野自身は業務都合で満足に稽古に参加できない時期が続いています。

しかしながら、継続的に稽古に参加しているメンバーは、
初傳の内、「専手12ケ條」「体之曲尺8ケ條」「居業捕10ケ條」の体系(計30ケ條)を概ねなぞらえることができるようになってきました。
次は中極意清眼、中極意腰廻捕などの理解に進むことになります。

今年の稽古は12月27日(火)が最終です。
来年の稽古では、前述の30ケ條の錬度を上げることと、それ以降の初傳の体系を学ぶこととが主眼になります。
そして、皆がある程度上達したら、初傳の体系に関する折紙免状のようなものを発行して頂くことも視野に入ってきました。

稽古会活動を開始してまだ2年弱、まずまずの状況と考えています。
【謹賀新年】平成二十四年元旦

新年おめでとうございます。

平成22年4月から開始した竹内三統流の稽古活動ですが、
細々ながらも継続しており、
僅かずつではありますが、参加者は皆、竹内三統流の型になじんできています。

実際に身体を動かして稽古をすることを通して、
この型はこのようにしていたのではないだろうか、
この型のこの箇所は、こういう身体遣いをしていたのではないだろうか、
といった思索がどんどんでてきます。

実際の稽古においては、
私達がこれまで稽古してきた備中の竹内流の修行がとても役立っています。

今年は、これまでの稽古の蓄積を活かして、
もう一歩進んだ稽古につないでいきたいものと思っています。
また、備中傳の竹内流や、河野が検証中の淡州森氏の竹内流、
他の関連流儀の技法などとも比較検討していこうと考えています。

今はまだ、型を検証し、型になじむことで精一杯の稽古ですが、
竹内三統流の型を用いて、心身鍛錬、攻防技術の向上を実現できるような
カリキュラムを整備していきたいと考えています。
(雑談です)

ネットで古書を探していて見つけました。
   ↓
https://www.kosho.or.jp/public/book/detail.do?tourokubi=FACF8C435930BA9F1714F4C41C55E5239DA592F5BFA22067&seq=11&sc=C5DE71526EC541140A9FC4E920DDAF0F


「竹内三統流探求」3万円の値がついていて驚きました。
世の中に200冊しか存在しない書籍ですが、
こういう形で流通?していることを知り、
何とも表現できない微妙なカンジがあります。

ただ、1冊3万円もの価値を認めて頂けた(?)ことは嬉しく思いました。
書籍紹介

今日、久しぶりに県立図書館に寄りました。ここには西南の役と神風連の乱に関する本のコーナーがあり、多数並んでいます。

神風連に関する本は何冊かしか読んだことがありませんが、著者は関係者か学者か作家が多いのではないかと思います。ところが平成11年に熊本県警の警部が著者という4百ページ近い「史実を探る 神風党の変 〜そのとき警察は〜」という本があったので目を通してみました。発行元はたくま会、後援熊本県警察官友の会のことです。

多くの本に「神風連」時に「敬神党」と記されていますが、当時の県警は「神風党」と呼んでいたのでしょう。「乱」は大正時代に名誉回復され「変」というのが正式だそうです。
前半は詳細な県警の記録を整理して、出来事を検証してあります。これまでに見たことのない焼失前の熊本城の写真や兵舎のスケッチも随所に掲載。警察や陸軍や官憲、神風党の供述、医師の検案書、変後の捜査記録など。矢野多門太が第2軍の砲兵営襲撃に加わったこと、翌日逮捕されたこと、判決文(懲役1年)、熊本監獄に収監されたこともそれぞれの項で確認できます。

興味深いのが、中ほどで変の参加者の当時の住居を地図に示し、その場所の現在の写真を一人ずつ掲載してあります。千反畑の旧矢野家も現在は別の住宅になっているのを写してあります。(住人の許可は取ってあるのでしょうか?)
そして後ろの方で、各人の墓の写真も載せてあります。裏山霊園の矢野家の墓地も載っており、資料が乏しく探すのに苦労したとのコメントがあります。

学者や作家の著書ような思想哲学のようなものは乏しい代わりに、真実を追究し保存しようという熱い思いのようなものが感じられました。
>大江様

情報提供、ありがとうございます。
この著者の型は、いろいろな書籍を出されているようですね。

河野は、内容を拝読できてはいませんが、
100年以上も昔のことを、丹念に調査されているということなので、
今後の研究者にとって、宝のような書籍になるでしょうね。

素晴らしい業績だと思います。


http://iss.ndl.go.jp/books?any=%E5%A2%97%E7%94%B0%E9%9A%86%E7%AD%96+%E7%B7%A8%E8%91%97
【謹賀新年】平成二十五年元旦

新年おめでとうございます。

平成22年4月から開始した竹内三統流の稽古活動ですが、
細々ながらも継続しており、この4月で満3年になります。
昨年3月には「秘伝」誌にて、その間の活動を発表する場を得ることができました。
また秋10月には、東京武道館の演武会にて竹内三統流「居業捕」を演武しました。
居業捕は、竹内三統流の体系としては「専手(12ケ條)」「体之曲尺(8ケ條)」の次に位置する体系です。
初伝の前半の3つの体系がほぼ演武できるところまで稽古を進めることができました。
秋からは「小具足捕」「中極意清眼」などの小太刀を用いた体系の稽古に注力しています。

本年は他の初伝の体系も含めて稽古を進め、初伝体系全55本の型を、
皆が演武できる、自由に稽古できるという処に進みたいと考えています。
また、昨秋は、矢野家より「竹内三統流刀術」の技法について開示を得ました。
竹内三統流の免許体系(初傳・奥傳)には含まれていない技法体系ですが、
作州本家の竹内流の技法と類似したもので、作州本家との密接な関連を伺うことができる内容でした。
作州本家のものと竹内三統流のものとを比較することで、気づくことも多くあり、相互の型の理解が進みました。嬉しいことです。


昨年元旦に
「今はまだ、型を検証し、型になじむことで精一杯の稽古ですが、
竹内三統流の型を用いて、心身鍛錬、攻防技術の向上を実現できるような
カリキュラムを整備していきたいと考えています」と記述しました。
本年もこの思いは継続して参ります。
本日、当会(竹内三統流研究会)に新たな活動目標ができました。
10年、20年というスパンの長期的な目標ですが、まずは2年後の2017年を目指して準備を進めます。

ある程度、軌道にのったと判断できれば、順次、ご報告いたします。
昭和28年の熊本大水害の後しばらくして三統流宗家は東京に移住し、正雄師範の御子息が医院を開業されたそうで、熊本の道場跡には別の医院が開業されています。
今日の地方紙にその当時の院長と思われる方の訃報が掲載されていました。
5/14(土)の望星講座の様子がHPにアップされていましたので、ご報告致します。
当日は121名の方に聴いて頂くことができ、とても嬉しく思いました。

【望星学塾】
 http://www.tokai.ac.jp/bosei/2016/kouza/kouza400.html#report

6月にも、また竹内三統流について30分ほど講演をさせて頂く機会ができました。
また少し、違う切り口で話ができるように、目下準備中です。

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