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大東流合気柔術コミュの教えてください!

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一般的な合気道と大東流合気柔術との違いはどこなんでしょうか?ぜひ、教えてください!

コメント(35)

両方、経験した方が早いと思います。
違いは文字ではわかりません。
 技が違います。歴史が違います。合気の中身が違います。

 かつお さんは、何かで「合気道」をご覧になりましたか?スティーブン・セガール映画やどこかの道場で、本で・・・。
 大東流はどうでしょうか?ビデオで、本で。

 実際は、一番良いのは体験すると違いが分かりますが「大東流」に関しては、武田惣角の直弟子は、皆死んでいますので本物を現在は体験できません。

 私は、大東流を佐川道場(佐川幸義師範)の関係者に少し手ほどきをしてもらいましたが、合気道とは「雲泥の差」でした。合気道は植芝盛平の直弟子の弟子の道場で10年以上やりました、こうも違うのかと「カルチャーショック」を受けました。
 
 もともとは、合気道の開祖・植芝盛平は武田惣角の弟子でした。綾部の道場や大阪の朝日新聞の道場では、武田惣角の代理で「大東流」を教えていました。その後、大東流から離れて「合気道」を名のった時も技は「大東流的」でした。
 
 大きく変わったのは、二代目の植芝吉祥丸氏の時に柔道の普及を見習い、大衆化して「一教〜四教」を基本として「技がかからなくても受身をする」、試合ではなく「演武」などになったことで「武道」的ではなくなったようです。

 そのことを、小説の世界で体験はできます。大東流=武田惣角は『鬼の冠』(新潮文庫)、合気道=植芝盛平は『黄金の天馬』(文春文庫)、その後の大東流は一番弟子の佐川幸義伝が『孤塁の名人』(「オール読物」連載中)すべて、津本陽の作品です。お読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%83%A3%E8%A7%92

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8A%9D%E7%9B%9B%E5%B9%B3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E7%BE%A9
合気道も流派、それこそ師範によって違いますが、
大東流も千差万別です。

何が大東流か、何が合気道かなぞとても言い表せません。

できる限り体験すべきだとは思います。
大東流合気柔術って、
確か「合気」って映画でやってたやつですよね?
車椅子の青年が古武術を学んで成長する話ですけど。

実際の大東流合気柔術もあの映画でやってた様なモノなんですか?
>のぶ さん

 そうですね。AIKIに大東流合気柔術でていましたね。大東流の中の堀川幸道(武田惣角の弟子)のお弟子さんで岡本正剛氏の会派「大東流合気柔術六方会」がモデルでした。

 あの映画の中での先生が「岡本正剛」で、車椅子の青年は確かデンマークかオランダの実在した青年ではなかったでしょうか?

 モデルの先生のような「技」は、映画にもあったように他流試合をしないと実際には分かりませんよね。先生と弟子との間だけでは?…。

 そういう意味で、中興の祖(実際には大東流創始者?)といわれる”武田惣角”は、他流試合を数多くし人も殺しているので本当に「合気」ができたと思います。そして、いちばん長く武田惣角と共に戦前、各警察道場などをめぐり「教授代理」を務めて実際に他流試合をしている”佐川幸義”も可能だったと思われます。

参考文献:小説『鬼の冠』(津本陽、新潮文庫)、『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』(合気ニュース編集部刊)
大東流と合気道、それぞれの各派各系統の違いについては難しい問題があると思います。

ここは大東流のコミュニティなので合気道については取り敢えず置いて置くとして、大東流と言う流派内においてすら、各派ごとに異同がありカリキュラムや技術内容が大きく違うと言う問題があります。

一般的な流派武術においては、派は違っても共通の修行段階に基づいた形やカリキュラムがある事が多いですが、大東流(合気系武道)に関しては派が違うと内容やカリキュラム自体も大きく違うと言う点が問題を難しくしていると思います。(武田惣角の時点で伝授巻に沿った教授がなされていなかったらしい)

武田惣角の直弟子であり免許皆伝や教授代理を許された師範方の系譜を引く各会派ごとに、独自の内容を教授していると言うのが現状であると思います。

○○師範が1番とか○○師範こそが正当、○○先生だけが合気が出来たと言う論議の展開は余り意味がないと思います。所詮は我田引水になってしまい、他派との交流が困難になり争いの元となるので、微妙な問題に言及する際は慎重に発言する必要性があると思います。(心の中では自分の先生を信じていても)

それと創作物である小説を歴史的資料と同じに扱う事は問題があると私は思います。小説はどんなに優れた小説家が書いても小説であり、真実の記録ではないので。
フィクションとノンフィクションは明確に分けるべきではないかと。
>信 さん

 よく読んでください。
 ”参考文献”とあります。簡単な”日本語”です。
 私のカキコは、「のぶさん」に”私なり”の返信です。
 以上。
>hkomasaさん
私の意見は「参考文献」も含めてです。
フィクションは所詮はフィクションに過ぎないので。
娯楽作品として楽しむのはまだしも「参考文献」にする事柄ではないと私は思います。
12.を書き換えました。
>信さん

 かつおさん のトピなので、私は、信さんにはこれで終わりにしますが、私が参考にした本をお読みになっていないと推察します。
 
 信さんは、物事を知るのに(特に過去を)「何かを参考にはしないのですか」と質問します。
 武田惣角は、彼自身は本を書きませんので(文盲といわれている)記録は「英名録」とか当時の海軍大将の紹介の分章やもう一つの参考書『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』(合気ニュース編集部刊)は取材当時「大東流各派の師範の方々の先生を語る」なのですが・・・。

 信さんは何か他に「歴史的資料」をお持ちでしょうか!?教えていただけるとありがたいです。
 
 それから、津本さんの名誉のために書きますが『鬼の冠』=「武田惣角伝」は、取材できる範囲で事実を集め”埋まらない部分と彼独自の武術観”を付け加えて書かれていて、まったくの、フィクションではないのですが、ご本人もそれを書いています。
 それからこの本には、「西郷従道」や「高野佐三郎」とか実在した有名な人物がボンボンでてきますので「フィクション」にできな部分も多くあったようです。

 それから、7.で書いたのは「○○先生だけ」がとは一言も書いていません。キーワードは”他流試合”をしたか、して勝ったのなら「相当な強者=使い手」と判断しただけです。

 信さんへは、これで終わりです。
 後は、このコミュ参加者の皆さんのご判断に任せます。
>MrsKatoh さん

 「内緒で「勝負」はやってたそうですが」塩田剛三氏とかですね。そこで、迷いました。植芝先生のビデオ「植芝盛平と合気道」も戦前の”演武”としての記録ですから、そうなんでしょうね。たぶん!
 演武のみと明文化したとお受け取りしていただけたら、と思います。
 直弟子の中で「富木賢治」氏は自分の道場を持ったとき「試合」形式を取り入れているので開祖のときからでしょうか?!
追加です。
>MrsKatoh さん

 植芝先生ご自身は、道場を開いたとき数多くの”道場破り”と試合をせざるを得ず、試合をしたので「迷った」わけです。
15:の訂正です。

 富木賢治→富木謙治先生でした。
 他意はありません。失礼しました
>hkomasaさん
私もこの件はこれで終わりにしたいと思います。

>信さんは、物事を知るのに(特に過去を)「何かを参考には
>しないのですか」と質問します。

何かを参考にしないのですか?と問われれば、参考にしますと答えます。但し、ある程度信用に値すると感じる資料や自身の聞き取り等の調査によって知りえた事、信頼するに値する人物の発言などを参考にします。

>もう一つの参考書『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』
>(合気ニュース編集部刊)は取材当時「大東流各派の師範の
>方々の先生を語る」なのですが・・・。

この本は良い内容だと私も思っています。
私が否定しているのは小説、漫画などのフィクション作品です。

>それから、津本さんの名誉のために書きますが『鬼の冠』=
>「武田惣角伝」は、取材できる範囲で事実を集め”埋まらな
>い部分と彼独自の武術観”を付け加えて書かれていて、まっ
>たくの、フィクションではないのですが、ご本人もそれを書
>いています。

どれだけ取材して書かれていても小説は小説であり、研究書の類ではない創作物だと思います。津本氏が研究書としての書籍を出版されたのならまだしも、小説の形態を取っている以上、「参考文献」と評価するのは難しいと思います。
hkomasaさんが一連の津本作品をノンフィクション作品であると言われるのなら私が言う事は何もありません。世の中には「吉川英治の宮本武蔵」を本当の話と信じている方も少なからずいらっしゃるようですから。


最後に辞書には両者は下記の様に載っています。

フィクション
1 作り事。虚構。「―を交えた話」2 作者の想像力によって作り上げられた架空の物語。小説。→ノンフィクション

ノンフィクション
虚構を用いず事実に即して作られた作品。紀行・ドキュメンタリーなど。→フィクション
>MrsKatoh さんへ

 私は、「小説」でも「司馬遼太郎」から「高杉良」とか明治以降の人物を扱った「人物史伝」ものは、「虚構も交えた話」と理解し”参考”には、しますが他の皆さんは参考にはしないのでしょうか?

 ちなみに、参考とは「物事をよりよく行うために、他の例を調べて自分の考えの”たし”にすること。」で引用とは違いますが…。
24:の訂正です。
>MrsKatoh さん

 私は、小説のレベルにも「いろいろある」ということを言いたかったのです。違いますでしょうか?
 同じ津本陽作品でも『黄金の天馬』は、実名を使っていません。(理由はいろろとありますが、植芝盛平開祖がご存命のときに書かれているなど)しかし、『鬼の冠』などは、実名を載せてありご遺族の方もいたりで書いても出来るだけクレームがこない範囲で書かれたと私は判断したので”参考”にしました。
 
 私は、当然”他の資料”も見てそれの”肉付け”に、「参考=たし」にしましたわけですがこれが、私のポリシーです。

 MrsKatoh さん「小説」だとまったく参考にしませんか?

>「一教〜四教」の件

 かつおさんのご質問が「合気道と大東流との違い」が、だったのではっきり違う部分(厳密には私の所属する合気道では「一ケ条」は使っていますが合気会などが「教」なので)ではとして書きました。大東流では「一ケ条〜四ケ条・・・」という部分なので「表象」として使わせていただきました。
 もちろん、基本技は MrsKatoh さんのおっしゃる通りです。

>「技がかからなくても受身をする」

 ですが、佐川派大東流と”比較して”私の体験した範囲(違う道場で3箇所ほでの実体験で)でそうでした。演武中心だとそうなりませんか?「演武」で技かかっていないからといって、「立ち往生」するわけには行きませんので。 
>MrsKatoh さん

 返信有り難うございます。
”かつお”さんのご質問が「”一般的な”合気道と大東流合気柔術との違い」ですのであくまでも私の考える「一般的=ザーと見渡して」です。
 簡単な辞書レベルで、ネットですと「ウイキペディア」レベルでの”違い”を述べるです。

 それ以上は、”かつお”さんから具体的なご質問が無い限り私は書きません。
 他の皆さんがおっしゃっているようにご自分の”目的”に合わせて「ご体験を」です。

 たまたま、私はどちらも”限られた中”で「体験」をしたので「体験談」として”かつお”さん達が読んでいただけるとありがたいです。

 植芝盛平開祖の”試合”の件ですが、戦前の話です。綾部で道場を開いたときなどの、具体的には『合気道開祖植芝盛平伝「武の真人」』(砂泊兼基、たま出版)p.69「海軍将校」との「手合わせ」としてや、確か『植芝盛平と合気道』(合気ニュース社)の各師範のお話の中で語られているはすです。今この本が手元にないので確認は出来ませんが「道場破り」や「剣道家」、「柔道家」との試合は結構有名な話だったと思いますが。皆さんいかがでしょうか?

 ここは、「大東流合気柔術」のトピックなので、最低限どの流派でも良いのですが、「自分の大東流派」はこうだという簡単な「体験談」などはトピ主に親切ではないでしょうか!?

 そういう意味、でMrsKatohさんの「大東流体験談」を”かつお”さん達にお書きになられてはいかがでしょうか!?。

 
トピ主の:
>かつお さんへ

 いちばん大事な「違い」!を書き忘れました。

 ◎流派の名前が違う、すなわち「大東流”合気”柔術・武術」と「”合気”道」ここに大きな意味があります。共通しているのは”合気”のみです。

 他には、”技の名称”が違う。

 ネットでお調べあれ!!ちょこっと、ネットで検索すると簡単にいろいろと、出てきます。参考までに、いくつかを。私からは、これでおしまいです。
<合気道>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93
http://www.shinburenseijuku.com/aikido-toha/aikido-towa.html
http://www.aikinews.com/page.php?id=119
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%E7%B5%A4%C6%BB
http://www.aikikai.or.jp/jpn/what.htm
http://www.yoshinkan.jp/syoukai/aikido_syoukai.html#anchor2

<大東流合気柔術・武術>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E6%B5%81%E5%90%88%E6%B0%97%E6%9F%94%E8%A1%93
http://www.daitouryu.com/japanese/wh_daitouryu/hist_aiki.html
http://www.saturn.dti.ne.jp/~mackey01/history.html
http://www.daito-ryu.org/history3_jap.html
http://www.roppokai-tokyo.com/history.html
http://homepage2.nifty.com/aiki-rentai/
>かつおさん
大東流合気柔術と合気道の違いについてですが、両者の差異についてはかなり難しい問題があります。違うと言えば違うとも言えるし、同じと言えば同じとも言えなくはないので。

合気道は若年期から幾つかの流派の武術を学んだ、植芝盛平によって創始(命名)された武術流派ですが、流派名を除いてしまえば「植芝派大東流合気柔術」と言う解釈をする事も出来なくはありません。(合気道の方には激しく否定、非難を受けるかもしれませんが)

植芝盛平は新たな志を立てて、もしくは大東流(又は師である武田惣角の頸木からの独立)との差別化の為に幾つかの流名を名乗っていますが、最終的には「合気道」と言う事で落ち着いた様です。

技術内容の構成においては、大東流の1箇条から5箇条(もしくは4箇条)を、合気道においては1教から5教(塩田剛三の養神館では初期の箇条の名称を現在も使っています)と言う技術カリキュラムで、大東流のシステムの多くを流用している為に研究者の間では合気道は大東流の影響を1番強く受けていると言う説が唱えられてもいますが、それを否定する見解の方もいらっしゃいます。(合気会においては合気道に1番影響を与えた武術流派は大東流ではなく後藤派柳生流柔術であると言う見解の時代もありました)

技の名称に関しては、武田惣角の教授していた時代の大東流には個々の技術に名称が殆ど無く、植芝盛平や久琢磨、武田時宗(息子)、佐川幸義、堀川幸道、松田敏美、山本角義などの武田惣角から教授代理(一種の師範免許、久琢磨のみは免許皆伝)を受けた世代や、その又弟子の世代に教授カリキュラムや個々の技術への技名の命名が行われたと考えられています。(未だに名称無しの技が多数派の系統もあったりします)

合気と言う概念や技術に関しても、普遍的な合意が各派(大東流以外に合気道も含めて)の間で出来ている訳では無いのが現状です。

他の方々も書かれている様に、大東流と合気道の違いを本気で知りたいとお考えなら、何処かの道場や会に入門して時間を掛けて体得して行くしかないと思われます。
一口に大東流合気柔術や合気道と言っても様々なスタイルや系統がありますので、下手に各会派の優劣論を述べても不毛な展開にしかならないと思いますので。
皆さんたくさんの書き込みありがとうございました!
やはり、違いを知るには実際に体験してみるのが一番なんだとわかりました。
これからまずどちらかになると思いますが、探して体験してみようと思います。

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