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NO FASHION NO LIFEコミュの【ブランド講座】

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●ここで色々なアイテムのお勧めブランド(管理人がもっとも得意な歴史あるブランド・インポート、コレクションブランド中心に)紹介していきます。

その中で秀でてるブランドを基本的に。


このブランドが好きだ!って言っても実はそんな詳しくない人多いと思うし、意外と知るのは難しいので、ここで参考にして下さい。ファッション誌で書いてある情報などはけっこうミスが多く、適当で間違っているのもあります。中には全く話にならないくらい間違ってたり・・。

※ちなみにもちろん、記憶違いもあるかもしれないので、間違いあったらすみません・・・



何か質問あったら管理人相談室トピックまでどうぞ。

コメント(20)

まずニット(KNと略する)。これはダントツで歴史があり、オレも大好きなブランド 「インバーアラン」


御三家(BEAMS・UA・SHIPS)中心にセレクトショップで扱ってます。もしくは百貨店のいいとこか。


これはスコットランドで9世紀から続く老舗中の老舗ニットブランド。 いまだに職人一人一人の手で編まれていて、大量生産(機械編み)ではだせない伝統の風合いを保っている。


なのでさすがにプライスはそれなりにするが、その価値はあり、愛用者であるオレも何着か持ってるけどずっとあきずに着てます。
  
プライスはニットで3万〜カーディガンで4〜6万相場です。これはセールになりませんので(笑)


このインバーアランの編み方が後に世に広がり、今巷であふれているニット、特にニット帽の編み方、模様の多くが「アランニット」です。半円が続いてるかわいい模様。

レディースもすごいかわいいから、いつかふんぱつしていいニットが欲しい人はお勧めね〜。
<ニューバランス> NB


みなさんも知ってるNBことニューバランス。一足は持ってたり、靴屋で絶対見た事あると思うけど、NBはピンきりです。

5000円台からの庶民派モデル(カジュアルランニングタイプ)はジャスコはじめスーパーから靴屋まで幅広く扱ってます。

でもほんとに良いのは靴専門店やセレクトショップでしか扱えないグレードの高い物(15000円〜)や本皮使用が最高に履きやすくお勧めです。ぜひハズシやハイカジュアルなオシャレに使うといいですよ。

<ブランド歴史>

1906年、ボストンでアーチサポートインソールや偏平足などを治す矯正靴の製造メーカーとして、ニューバランス社は誕生。
社名の由来は、履いた人に“新しい(new)、バランス(balance)”感覚をもたらすことによります。足の解剖学的な知識、整形外科や運動生理学への深い理解があってこそ可能となる矯正靴の製造。このノウハウをもとに、60年代にはカスタムメイドのランニングシューズの製造を開始する。

1972年。6名の従業員と日産36足の生産規模であったニューバランス社を、一人の青年が買い取ります。青年の名は、ジェームス・S・デービス。現New Balance Athletic Shoe, Incorporated取締役会長です。理想のランニングシューズを実現するために、自ら走ることで開発に従事した青年は、独創的なシューズコンセプト「インステップレーシング」を確立。70年代の後半に、それを具現化したシューズを発表するや、ランナーから絶大な支持を獲得します。以降、伝統を継承しながらも、最新のテクノロジーを集結し、よりよいフィット性を追求するシューズづくりを行っているブランドです。


簡単にいうと履きやすくていいよ(笑)
<SBU>  


違うトピックでデニムと、このブランドの話出たんでついでに。


SBUとは、元々イタリアのローマにあったセレクトショップで、そこから生まれたオリジナルデニムブランド。
のちにブランド自体がすごいクオリティと評価上げて、一流デニムブランドとして今存在してる。

UKでは有名で、大手セレクト、百貨店、そいて一部ブティックまでもSBUだけいれるくらい支持されてる。(ETROとか)


日本ではあまり知名度ないが、オレがいた頃のUAや他のセレクトでもやってたから、今も一部のセレクトでやってるはず。


加工が特にすごくて、ビンテージはもちろん、「ストーンウォッシュ」は最高にかっこいい。 (専用のタンブラー機でウォッシュをかける際、専用の石と回す事で独等の風合いを出す、SBU得意の加工)


メンズ・レディースあるから、いいデニム(ジーンズ)探してる人はお勧めだよ。 オレから言えば、「イケテル」ブランド! 笑
<マルタン・マルジェラ>


コレは自己紹介でも書いてる通り、オレが昔から好きで担当もしていたブランドのひとつ。 「HERMES」のデザイナーとしても活躍したベルギー人であるM・マルジェラ。 (98〜03年)

マルジェラはレディースを担当し、本来得意のメンズは「ヴェロニク・ニシャニアン」が担当。

あえてメンズが得意なマルジェラをレディースに起用するあたり、エルメスの独自の戦略が窺える。


M・マルジェラは1957年ベルギーに生れる。80年、アントワープ王立芸術学院卒業後(ファッション歴史で出てきたオレの師匠である栗野さんが審査委員長を務める世界1の名門校)ミラノで学び、84年より、ジャンポール・ゴルチェの下で修行を積む。(なお、ここであまり公表されてない裏話だが、マルジェラはあまりのセンス、才能のあまり、在学はほんの少しで校長直々にここで学ぶ必要はない とそく卒業資格を与えられたらしい・・)


88年10月の89春夏パリ・コレクションにてデビュー。シルエットの細いジャケットやボトムを提案し、これ以降の10年間、それまでのゆったりとしたミラノモードに対して、ボディ・フィット(スリム)なシルエットが全盛となったといわれる。その後、病院や駅でコレクションを行い、そこでボロ布を用いた衣装を発表し、注目を集める。コレクションでも、入り口でリボンが配られ、それを手首に巻くとリボンに書かれた文章がつながったり、古着の再生や新しい服の古着風加工など、独自の視点からの服作りを行う。90年代には逆に「大きめの服」を発表。

94秋冬から大柄の女性と男性用に「XXL」サイズ開始。1998春夏ではコムデギャルソンとのコラボレーションを行う。98年から「エルメス」のレディス・プレタポルテのデザインも担当。98秋冬ではマーク・ボドウィックによるビデオ・プレゼンテーションやジェーン・ハウが人物大の人形を使って表現したインスタレーションを行う。99春夏からメンズラインスタート。2000年9月に世界初となる路面店を恵比寿にオープンした。2002年、青山店、2003年8月大阪店オープン。2004年春夏シーズンからレディスの新ライン「4」の販売を開始する。

「4」は「6」よりも高価格の設定となる予定。2005春夏からベーシックライン「14」、2005秋冬からアクセサリーライン「11」、シューズライン「22」をスタート。

いわゆるシャビー・ルックの旗手として従来のモード界に新風を巻き起こし、以後グランジファッションの元祖的デザイナーとしての地位を確立した。ベルギー出身のアントワープ派デザイナーの中では別格の存在とされている。シャビールック(shabby look)とは高級志向の1980年代のアンチテーゼとして、マルタン・マルジェラが80年代の終わりに打ち出した貧困者風のスタイル。色あせたり、ほつれたり、わざと古着風に仕上げるなど、新しい価値観をもったファッションが注目され、90年代の新しい流れを作り上げた。基本的にインタビューは受け付けず、メディアへの対応はファックスなどによるアンケート形式をとる。

マルジェラは数字にこだわっており、コレクションラインも数字ごとに分かれている。有名なカレンダータグに該当する数字に○が打たれ、「1」はレディスのコレクションライン。「6」女性のためのベーシックな服。「10」メンズライン。また、「9」がラッキーナンバーであり、フランスでマルタン・マルジェラを展開する会社はフランス語の「9」を意味する「ナフ(neuf)」と名づけられ、これに準じて日本での合弁会社は日本語で「9」を表す「ここのつ」から「ここのえ」と名づけられた。

日本ではワールド子会社のオリゾンティ(オレがUA時代は他にヴィヴィアンなども扱いがあり)を経て、マルジェラを展開する仏ヌフ(パリ)、三菱商事、オリゾンティが共同で設立した「ここのえ(マルタン マルジェラ ジャパン)」によって販売されている。


写真はマルジェラ代名詞である「エイズTシャツ」

売り上げの一部がエイズ撲滅の為のチャリティーとして使われることからの名称です。

オレもお気に入りで高校から集めていて、アパレル時代ずっと担当して愛着があり、個人的にも4枚保持しています。
このVネックTや襟元にプリントする技巧は マルジェラから発祥です。
巷にでているこれらのデザインは、ほぼみんなこれのコピー(マネ)品です。

それと雑談ですが、90年代「NIRVANA」がミュージックシーンに革命を与え、「グランジ」という音楽ジャンルを確立して、同時にカートコバーンのグランジファッションが注目されたが、マルジェラに影響、もしくはリンクするところが多い。

アンティーク加工、クラッシュ加工などの、古着加工の先駆けであるのは間違いない。  



今日のファッション界に与える影響がかなり多い、奇才デザイナーです。
MARC JACOBS <マーク ジェイコブス>


マークもマルジェラ同様愛着があり、外人サイズの自分には全ブランドの中で一番ピッタリのブランド。 管理人は189センチ、80キロでMでジャストですので、平均身長以下の男性はSでも大きくて合いません。特に袖が長いので腕が長い長身の方にお勧めです。 レディースは平均的なインポートサイズです。 ちなみに業界屈指のイケメン 


1963年4月9日ニューヨーク市生まれ。
1981年ハイスクール・オブ・アート・デザインを卒業。
パーソンズ・スクール・オブ・デザインに入学。

1984年 卒業制作につくったニットのセーターが、パーソンズの主席に与えられる「ペリー・エリス金の指貫き賞」を受賞して卒業。
「チェスター・ワインバーグ金の指貫き賞」、「最優秀デザイン生徒賞」を獲得。

1987年 アメリカ・ファッションデザイナー協会(CFDA)のペリー・エリス賞(新人デザイナー賞)を最年少で受賞。
1989年 ペリー・エリス社に移り、ペリー・エリス ブランドのチーフ・デザイナーに就任。
1992年 アメリカファッション業界最高の名誉である「ウーマンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤ ー」を受賞。

1993年秋 ロバート・ダフィーとともに、ライセンスとデザインの会社、マーク ジェイコブス インターナショナル社を設立。
1994年4月 「マーク ジェイコブス」自身のコレクションで1994秋冬NYコレクションに初参加。
「マーク ジェイコブス」 のシューズコレクション発表。

1996年 春夏よりセカンドラインである「マーク ジェイコブス ルック」をスタート。
1997年 マーク ジェイコブスがルイ・ヴィトンのレディースおよびメンズのプレタポルテ、バッグ、シューズのアーティスティック・ディレクターとして就任。(個人的にダミエ柄のバイクヘルメットが可愛くて、スタッフ友人に社販を相談した)笑

9月1998春夏シーズンのマーク ジェイコブス メンズコレクション発表。
ニューヨーク市ソーホー地区で「マーク ジェイコブス」のショップをオープン
「ウーマンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー賞」をCFDAより受賞。

1998年 春夏シーズンよりルイ・ヴィトンのデザイナーとしてパリ・コレクションに初参加。
秋の「VH1ファッション賞」で「ウーマンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー賞」を受賞。
「マーク ジェイコブス」 ブランドで2度目の「ウーマンズ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
メンズコレクションを発表。

2000年 秋冬シーズンから「マーク ジェイコブス」で初めてのハンドバッグ・コレクションを発表。
8月全米で2店舗目の「マーク ジェイコブス」ショップをサンフランシスコにオープン。
9月「マーク ジェイコブス」のメンズショップをブリーカー・ストリートにオープン。
セカンドライン「マーク by マーク ジェイコブス」の2001春夏コレクションをニューヨーク・コレクションで発表。

2001年春夏 ニューヨーク・コレクションで発表した、セカンドラインの「マークbyマーク ジェイコブス」のレディ・トゥ・ウェアとシューズをアメリカおよび日本で同時発売。
2001年秋冬 「マーク by マーク ジェイコブス」 のバッグをアメリカおよび日本で同時発売。
女性用の香水「マーク・ジェイコブス・パフューム」を発表。
「フレグランス協会賞」を受賞。
メンズ・プレタポルテのセカンド・ラインである「マーク by マーク ジェイコブス」を発表。
「マーク by マーク ジェイコブス」の直営店をニーヨーク、ブリリーカー・ストリートにオープン。
「マーク・ジェイコブス」のレディース・コレクションが「VH1 デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞

2002年 4月 東京 青山「マーク ジェイコブス」「「マーク by マーク ジェイコブス」の全てのカテゴリーを揃えた旗艦店をオープン。
6月 マーク ジェイコブス は5度目の「メンズウエア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」をマーク・ジェイコブスのメンズコレクションで受賞。
9月 男性用の初の香水、「マーク・ジェイコブス・メン」を発表。
初の「マーク ジェイコブス」アクセサリーの直営店をブリ−カー・ストリートにオープン。

2004年 8月 ボストンに「マーク ジェイコブス」「マーク by マーク ジェイコブス」ショップオープン


ちなみに、業界でマークと言った場合、コレクションの1STラインの「マーク」の事であり、「マーク by」は LOOKが代理でやっていてこちらはインポートというか、ほぼ中国製でライセンスを取って日本人がデザインをしているので、マークの庶民派ラインです。 だからプライスが安い・・・。

コム・デ・ギャルソン <Comme des Garçons >


まだまだいきます、管理人担当ブランド 続いてはファンも知名度もトップクラスのギャルソン。 これはあえて厳しい目線でいいますが、メンズは今まで見た中で、ギャルソンをうまく使ってる人はなかなかいません。 それほどサイジングが難しいブランドです。(なんとなく着るならきれますが)

オムて関しては、Fサイズが多くシャツなんかは「ボックス」タイプに近く、幅は外人サイズの管理人でジャスト、でも袖が短い・・・。 ようはガッシリした175〜180センチ前後の人が本当はベストかもしれません。 元々フランスなんで・・・。

テイスト的には、典型的なギャル男(全身かためる人)が多くいですが、ハズシで使うと非常にかっこいいでしょう。 管理人は昔嫌いでしたが、栗野さんのハズシを見て聞いたらギャルソンだったので、そこから一から見直し、店でもブランド担当しました。   上記はメンズの話なので、レディースに関してはまた別です。 



コム・デ・ギャルソンはデザイナー・川久保玲が1969年に設立したプレタポルテ(高級既製服)ブランド。


服の表面に対し、ねじれや歪み、アシンメトリーといった大胆な手法を取り入れたことにより、布の平面性とそこから可能な表現を追求した。生地をあえてぼろぼろにして使ったり、セーターに穴をあけるなど、前衛的な表現が多く見られ、「乞食ルック」と言われた。また当初、従来のプレタの世界ではほとんど使われなかった反抗的な「黒」を多く用い、「黒い服」とも呼ばれている。

その後、「黒」は世界的に流行し、黒の持つ「反抗」の意味が欠落すると、黒に替わり「赤」を用いるようになった。そして無彩色や暗色の使用を経て、性差を大胆に超える伸びやかでかつ斬新なデザイン等などにより、先進的な試みは国際的に定評があり、日本を代表するブランドのひとつとみなされている。東京コレクション(1975年〜)、パリコレクション(1981年〜)に参加。パリなど世界各地において200を超える直営店をもつ。
(ヨウジ・ヤマモト、イッセイ・ミヤケなどと共に昔から知名度が高い)


ラインがたくさんあるギャルソンなので、以下に詳細を追加します↓↓
<主要デザイナー>


デザイナーは現在3人。川久保玲、渡辺淳弥、栗原たお。 以下はそれぞれのデザイナーの手掛けるブランド(2005年秋冬時まで)


『COMME des GARCONS HOMME』

1978年発足。ベーシックなメンズのライン。着る人の個性を引き立てる服を提案。1990年から田中啓一(2003年秋冬期に退職)が、2004年春夏期より(2003年冬のコレクションから一部が)川久保玲・渡辺淳弥ほか4人のデザインチームによりデザインを担当する。


『COMME des GARCONS』  川久保 玲

1969年発足。川久保玲のクリエーションを最も純粋な形で表出する、代表的なラインである。

<COMME des GARCONS COMME des GARCONS >

1993年発足。2005年春夏期よりrobe de chambreと統合。川久保の、変わらずに好きなもの、根本にあるエッセンスが表現される。コムコムと通称されている。

<COMME des GARCONS noir>

いつ頃まで展開されていたかは不明。2005年秋冬期より再開。川久保の考える「noir」が表現される。

<COMME des GARCONS HOMME PLUS>

1984年発足。川久保がモードの冒険をメンズウェアのなかで展開するブランド。メンズのコレクションラインである。メンズの基本を押さえながら遊び心にあふれたデザイン。

<COMME des GARCONS HOMME DEUX>

1987年発足。「背広のなかの背広」をテーマに、素材から仕立てまで正統派に拘ったビジネススーツ。アヴァンギャルドと並行して行われるクォリティに対する挑戦。

<COMME des GARCONS SHIRT>

1988年発足、フランス生産のシャツ専門ブランドとしてスタート。近年はアイテム数を増やし、プリュスのエッセンスを、より着やすく表現したヨーロッパ向けの服作り。
2004年春夏期からフレッド・ペリーとのコラボレーションを行っている。

<COMME des GARCONS PARFUMS>

(発足年度は不明)香水のほかにもキャンドルやシャワージェル、インセンス(お香)などもある。また毎年クリスマスやバレンタインなどには特定のテーマに基づいた限定パッケージの香水や真空パック入りのTシャツ、バッグなどを発売する。

<COMME des GARCONS parfums PARFUMS>

2001年発足。パリの香水ショップオリジナルとしてスタート。「SERIES 1:」から現在「SERIES 7:」までリリースされている(2005年秋冬期現在)。またパリ店ではコム・デ・ギャルソン初のチョコレート(SERIES 1:)なども販売されている。

<10・corso・como COMME des GARCONSオリジナル>

2002年発足。服やバッグなど、ディエチコルソコモコムデギャルソンだけで販売する極めて希少なライン。一部は他の路面直営店などでも販売される事がある。


『PLAY COMME des GARCONS 』

2003年発足。コム・デ・ギャルソンのキャラクターブランドとしてスタート。フィリップ・パゴウスキーによるデザインのハートのキャラクターがトレードマーク。


『JUNYA WATANABE COMME des GARCONS』 渡辺淳弥

1992年発足。当時、tricotのデザイナーであった渡辺淳弥が自分自身のクリエーションを発表するためにスタートした。1992年に東京、1993年にパリで最初のファッションショーを行う。

<JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN>

2002年発足。ファーストラインとは全く違うコンセプトとして、ベーシックの追求をテーマにスタート。

<eYe JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN>

2005年発足。原宿店(東京)、南堀江店(大阪)の直営店向けオリジナル・ライン。当初の2年間は「アウトドア」をテーマに展開中。尚、原宿店は2006年にコルソ内に移転している。2006年秋冬から名古屋ラシック店でも取扱い開始。

『tricot COMME des GARCONS』  栗原たお

1981年発足。コム デ ギャルソンより若々しいイメージで、着やすいアイテムがそろう。1987年から渡辺が、2003年から栗原が、デザインを担当する。

<tao COMME des GARCONS >

2005年秋冬期に発足。tricotのデザイナー・栗原が自分自身のクリエーションを発表するためにスタート。2005年、パリの自社フロアにて最初のファッションショーを行う。
MONCLER <モンクレール>


管理人は札幌なので、極寒の地でこのブランドにずっとお世話になって生き延びております。 このダウンを着たらもう他のアウターを着る気にはなれないくらい圧倒的な保温力・軽量・そしてクォリティーです。

色々ネットを通して情報収集できますが、信憑性がないものも多く、素人が品質を語ってるものは、見てたらただの個人的な意見というのが多いので参考にしないほうがいいでしょう。

公式ホームページやセレクトショップのなどはもちろん大丈夫です。


過去4つのセレクトでモンクレールも担当してきて、100着以上、1000万円以上売り上げてきた管理人のキャリアからリアルなブランド説明を書きますので、今後購入を考えている人は是非参考にしてください。

MONCLER <モンクレール>



モンクレールは創業者の「レネ・ラミオン」と「アンドレ・バンサン」、そして世界的アルピニストの「リオネル・テレイ」との運命的な出会いによって、世界最高級のダウンウェアが誕生する契機になった。

アルピニストにとって、十分な可能性があり、軽量で保温力に優れた装備は、「世界の高峰を征するという夢を実現するために」 「そして自らの生命を維持するために」 必要不可欠なものだった。

この世界のアルピニストの声に応えるべく試行錯誤が幾度となく繰り返され、モンクレールは1954年のイタリア・カラコラム登頂隊、1955年フランス・マカル登頂隊、1964年アメリカ・アラスカ登頂隊等に装備を提供して絶大な信頼を得ることになる。

1968年、映画「白い恋人達」で知られるグルノーブルオリンピックでは、フランス・ナショナルチームの公式ウェアとなり、モンクレールの名はプレミアム・ダウンウェアの代名詞として、以降、世界中に知れ渡る事になる。


[品質の証、4Flocons]

モンクレールのダウンは、グースの産毛を使用しており、ANNOR(フランス規格協会)から最高品質の4Floncons(キャトルフロコン)を取得している。 全てのモンクレールのダウンウェアには、この4F〜の4つのダウンマークが品質の証として表記されている。 この4F〜クォリティーのダウンは提供量が限られていて、大量生産ができない。 長年のモノ作りの経験で、ダウンウェアの各部位には最適なグラム数が1グラムごとに決められており、職人により厳密に守られている。(ちなみに偽者がネットオークションで大量に出回っているが、重さ・この各部位の膨らみを見れば一発で見極められる)

結果、軽やかで暖かく、包み込むような着心地のダウンウェアとなります。



ここから管理人ならでの、あまり知られていない情報 ↓


上でブランドヒストリー詳細を書きましたが、細かくわかりやすく言うと、他のブランドでは使用するダウン部分をモンクレールは使用せず捨て、グースからごく少量しか取れない最もかるくて暖かい部分だけ、さらに専用の送風機で浮かせて、浮いた極上の「毛」しか使わないから、最高の軽量・保温力を生み出すことができる。 それに比例し、知っての通りのプライスとなる・・・。 でもこのこだわりとクォリティーを知って、一生モノとして購入していく方が多い。 その価値があるからこそ、あのプライス(7〜20万)が成立するのである。


それと要注意が、 例えばメンズではサイズが0〜4まであるが、モデル・年式によって全く違うという事。


○参考に、管理人(189センチ)保有の写真の2モデル(VERONE、EVEREST)は、ほぼ同じフィット感で、それぞれ2と4です。 タイトなモデルには注意です。  予約会で購入を考えてる人はサイズをスタッフに確認か、試着できる場合は着た方が絶対いいでしょう。 失敗できないプライスだから  


それと上で述べたように、フランスの冬季オリンピックの公式ウェアはモンクレールですが、 日本は・・・・ユニクロです。  う〜ん・・・・  笑
【RAF SIMONS】<ラフ・シモンズ>


彼はマルジェラ同様、他のデザイナーとは違う異彩を放つ存在。
個人的に、自分も同じインテリア業に生きる人間として、とても注目・尊敬していた。 

ラフ・シモンズはインテリアデザイナーも経験してることから、 ファッションとインテリアの共存、【デザインの美】を追求しているように思える。



1968年、ベルギーのニールペルト生まれ


ジェンクの工業デザイン学校で写真やビデオ等を学んだ後、家具のギャラリーでインテリアデザイナーとして2年間働く。


その後、独学で服作りを学び、メンズウェア・デザイナーになる。そして、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション学科長リンダ・ロッパに見出され、


95年1月、ミラノの展示会でプレゼンテーション形式でコレクションを発表。以降、3シーズンはパリの展示会で発表。
  

1997-1998 A/Wより、パリ メンズ プレタポルテ・コレクションに初参加。1999 S/Sから1999-2000 A/Wまで、イタリアの高級革製品メーカーのルッフォ社が展開するルッフォ・リサーチのデザインを、恋人の「ヴェロニク・ブランキーノ」とともに担当。
 

 その後、様々な憶測が飛び交う中、表向きはラフ・シモンズがコレクション活動に飽きたということを理由に、2000-2001 A/Wを最後にコレクション活動を休止。半年の休止期間を経た後、2001-2002 A/Wからデザイングループを結成し再始動した。
  

2003年11月29日、スイスのルツェルンで行われたコンテンポラリー・デザイナーコンクールでグランプリを受賞。

 
『デビット・ボウイ』にインスパイアされた、少年のナイーブさとそこから生み出される力強さをロックを通して表現するという手法が、活動再開後もラフ・シモンズの人気を支えている。

  


2005年7月1日より、『ジル・サンダー』のメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを務める。



 アントワープ派と分類される彼も、実はアントワープ王立芸術アカデミー出身ではない。

アントワープ王立美術アカデミーに入学しようとしたところ、面接時にデザインコンセプトや技術、デザイナーのあるべき姿等を東陶と語ったので、それらを学ぶために存在するアカデミーには入学する必要が無い、と言われ入校拒否された経歴がある。



既製品(ショーの中から市販さてる物)も 「黒」 「ロック調」のイメージが強く、斬新なアイテムが多い。


※個人的に思い出が強いのは・・・たしか2000S/Sぐらいであった10万くらいのテーラードのJKで、肩からざっくり剥ぎ取って肩口ほつれてベストになってるアイテムがあり、それを「成人式にどうしても着たい!」と やめておきな・・という俺の忠告を聞かず買っていった青年が、翌日・・「母親にこんなもの買うためにお金あげたんじゃない!普通のスーツ買ってきなさい!!」と言われたので返品したいんですけど・・・って半べそで来たのを思い出す  笑


【ナンバーナイン】(NUMBER (N)INE)


◆デザイナー 宮下貴裕   


 1973年、東京都に生まれる。服作りは独学で学ぶ。
 
96年5月、企画・プレスを務めた「ネペンテス(NEPENTHES)」から独立。

96年11月、クークスを設立し「ナンバーナイン(NUMBER (N)INE)」を発表。
ブランド名の由来はビートルズの曲目である「レボリューション・ナイン(Revolution #9)」から。 (これあまり知られてない)
  

97年4月、表参道にショップをオープン。98年10月、ショップを移転。レディースウェアに本格参入。
  

2000-2001 A/W より東京コレクションに参加。2004-2005 A/W よりパリ プレタポルテ・コレクションに参加。
 東京コレクション参加当時は「東京に合うもの」を基本的なデザインテーマとし、ロック調を得意としていた。


2004−2005 A/W より パリコレに参加する。これは『アンダーカバー』の高橋盾の『是非世界でやってみては』という進めがあったのも影響している。

現在、NYなどにも店舗を構える日本を代表するブランドに成長。

  
 このブランドは、基本的なデザインスタイルとしては、いわゆるストリート系を好む若者向けという印象が強く、そういったものが苦手な人には不向きな感も否めない。ちなみに、ブランド開始当初のナンバーナインは現在とは異なり、ロック調を基本とするデザインスタイルではなく、周囲の反応を加味する形でいわば後天的にロック調へとシフトしていった。
 管理人がブログでも書いていた在籍していたremix時代の1999年ぐらいから人気が爆発。


ギター好きである管理人も愛用している、ギターメーカー『fender』のロゴをモチーフ(ぱくりに近いが・・・)にしたロゴ 『number』シリーズが爆発的にヒット。  予約しないと買えないくらいで、店頭に出したら即完売だった。

というのも、ナンバーナインのデザインの中では音楽とファッションが密接に存在している。デザイナーの宮下氏は『ロック』『パンク』からインスピレーションを受け、デザインに落とし込む。2005S/Sのレッドツェッペリンの天国への階段をBGMに使用したり、2006S/Sのガンズ&ローゼスをテーマにしたデザインなども見られた。その他、ニルヴァーナのカートコバーンからインスピレーションを受け、2005A/Wのようにショーにもニルヴァーナの音楽を使用することがある。

デザイナー宮下氏は実際にライブハウスなどでミュージシャンとしての活動も行なっている。


それから、特にロック色やグランジファッション色が強かったが、ネペンテス色?が見えるアイテムもたまにあり、それらアメリカの匂いがするものは個人的にもけっこう好きで買った。ロック系は好きじゃないので・・・

UAでセレクトされてからの2002年くらいからは、整理券がなければ買えないくらいだった。 (そういや朝その整理券を配る為早く出勤したな・・・笑)  

 
【主なブランドライン】

【NUMBER (N)INE】

<コレクションテーマを基に製作されるファーストライン>

【n(n)】

<デニム・カットソーを中心としたベーシックライン、2007年春夏より展開>

【Classical】

<テーラードジャケットやセットアップスーツ等を中心としたライン、2007年秋冬より展開>

【9(ナイン)】

<ディレクション・監修を宮下貴裕が務め、デザインは氏のアシスタントを務めた『鈴木ゆうみ』が行うレディスライン、2007年秋冬より展開>


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