ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

青山繁晴『深淡生』コミュの沖縄戦の悲劇

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
<集団自決>沖縄県議会、軍強制削除した検定意見撤回要請へ
(毎日新聞 - 06月19日 19:51)
 沖縄県議会文教厚生委員会は19日、太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡り、日本軍の強制性を削除した文部科学省の教科書検定意見の撤回と、強制性の記述回復を求める意見書案をまとめ、本会議に議員提案することで一致した。沖縄慰霊の日の23日の前日、22日に提案する方向で調整している。全会一致で採択される見通しだ。
 意見書案は集団自決を「日本軍の関与なしに起こりえなかったことは紛れもない事実」とし「県民にとって今回の修正等は到底容認できるものではない」と検定意見を批判。「沖縄戦の実相を正しく伝えるとともに悲惨な戦争を再び起こさないようにするためにも、検定意見が撤回され、記述の回復が行われるよう強く要請する」としている。
 本会議で可決し、県議団が上京して安倍晋三首相や伊吹文明文部科学相らにあてた意見書を提出する。
 同様の意見書は18日までに、県内41市町村議会中30議会で可決された。更に6議会が可決を予定している。【三森輝久】


沖縄の地方紙では連日大きく取りあげられていて、沖縄県民の皆さんも各地で集会を開いたりして、大きな盛り上がりをみせているそうです。
という一方、本土では、ニュースでもそれほど大きく扱われていないように思います。

何を持って「命令」とするか、非常に難しい問題だと思います。
集団自決には、当時の住民が軍や官と運命を共にする「共生共死」や「鬼畜米英」への恐怖心、「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)の軍国思想などさまざまな要因が複雑に絡んでいます。
言葉による命令があったかなかったかだけで決められるものではないですし…

硫黄島の悲劇と同じく、沖縄戦の惨劇もよく考えないといけないと思います。

コメント(41)

(上から続きます)
  
                ◇

≪「大尉は自ら十字架背負った」≫

 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。

 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。
 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。

 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。

 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。
 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。

 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。

 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。

 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。

 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。

昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。
全国紙各紙の社説を掲載しておきます。
まずは、朝日新聞。


『集団自決―軍は無関係というのか』(3/31朝日社説)
 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
 教科書の内容は次のように変わった。
 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
 この検定には大きな疑問がある。
 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
『教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな』(3/31毎日社説)
 文部科学省の『教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。
 元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。
 まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。
 個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。
 1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。
 例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。
 守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。
 また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。
 こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。
 また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。
 いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。
 昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。
『[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」』(3/31読売社説)
 諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。
 来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。
 終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。
 日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。
 「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。
 今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。
 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。
 生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。
 ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。
 「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。
 「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1〜2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。
 「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。
 「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。
 発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。
 一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。
 政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。
『沖縄戦 新検定方針を評価したい』(3/31産経社説)
 来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。
 集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。
 しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。
 作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。
 軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。
 沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。
 前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。
 例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万〜20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。
 その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。
 子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。
 私はつい2年ほど前まで高校生で、日本史選択でしたので勉強していました。教科書は山川出版社の詳説日本史Bというもので、確か“日本軍に自決を強いられた・・・・”のような記述があったように思います。その時はやっぱりそうなのか、としか考えていませんでしたが、このような論議について初めて考えたのが実際です。
 中学生のときに沖縄に修学旅行に行き、ガマに入りこの中で集団自決を強いられたと証言された方もいる。その一方で、今回のような集団自決の無理強いはなかったという証言も出てくる。学校の先生もこの分野を教えるときは戸惑うときがあると私の日本史の先生もそうおしゃっていました。
 それが正しいのかもしれないし、間違っているのかもしれない。だけれど、これは答えを1つに結論付けられない問題でしょうね。だからこそ「考える歴史」の授業をやって欲しいと思うのです。いろいろな視座で歴史を見ることで、見えていないことも見えてくる。というのは、現代の入試制度がただ教科書を暗記、暗記、暗記。私もそうでした。だから、今回このような新聞記事を読ませていただいて、かなりとまどっているところがあります。
>硫黄島の悲劇と同じく、沖縄戦の惨劇もよく考えないといけない

大切なことは、これらのことを受け、これらを踏まえ、私達の住む日本という国はこれからどうあるべきなのか、それを各自が自覚し考え選択していく、ということではないかと私は思っています。


大多数の人の共通理解は、「平和の大切さ」「戦争の悲惨さ」「戦うことの虚しさ」にある事は、ほぼ異論の無いことでしょう。幸いなことに、戦後の米ソ冷戦構造による奇跡的な平和バランスと、西側陣営に組み込まれた事と、日米安保条約などによって、私達は平和な経済発展の中に生きてきました。

では、その大切な共通理解である「平和」を、これからも永続的なものにしていくには、私達は何を考え何を選択していくべきなのか。その岐路にたった事を自覚することから始まるのではないでしょうか。

誰だって戦いは避けたい。過去の愚かな行為を繰り返したくも無い。といって、戦いを放棄しただけで、自国の安全と平和は保てるかといえば、近隣諸国にそれほどの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」を置ける訳ではない。

過去の行為を反芻することは、まさに未来に繋がる道であると思います。
これらのことは実に馬鹿らしい内輪もめだと思えてなりません。

沖縄戦で集団自決という惨劇が起き、そもそもの原因が日本が
起こした戦争の中で、不幸にも唯一の本土戦になった場所だから
こそ起きたということに関しては当時の沖縄民の方々には頭が
下がります。

だからといって、一個人をつるし上げることで自分たちの悲劇を
喧伝するのはどう考えてもおかしいです。
ましてや、梅沢さんや赤松さんが命令した事実はないのに、
集団自決を金科玉条にして自らをマイノリティーである被害者
に位置付けながら、マイノリティーの極みである梅沢さんや
赤松さんの人生を事実問題抜きに迫害しているダブルスタンダード
をどのように考えているのでしょう?

私は当時の沖縄民には援護法適用が当然だと思いますが、それは
梅沢さん赤松さんを犠牲にして成り立つべきではないと考えます。

日本政府には過去にさかのぼり梅沢さん赤松さんには関係なく、
沖縄戦の戦没者はすべからく戦闘従事者として最大の感謝を
教科書で教え、梅沢さんがご存命のうちに名誉回復を高らかに
宣言してほしいです。

梅沢さんは想像を絶する人生を歩みながら、日本国に対して
しばしば行われる胡散臭い賠償裁判を起こしておりません。
この忠に報いることこそ日本のあるべき姿だと私は考えます。
事実確認で論議が空転し、それ以上思考が進まないことが一番まずいと思っています。

その部分の事実確認のみに日本人の意識が留まり続ける限り、次なる自国防衛論なり安全保障のあり方などに、具体的に意識が繋がっていかない訳で、その意味では多聞さんの言われた「馬鹿らしい内輪もめ」に近いものを私も感じます。

まーもさんご提言の考える歴史授業は、単に反省と謝罪に留まらない、更に一歩も二歩も踏み込んだ日本の防衛のあり方にまで繋がっていって欲しいと思います。
>そもそもの原因が日本が起こした戦争

これこそが事実誤認じゃないですか。
歴史を勉強していただきたいですな。
>>ワシやんさん

くだらない揚げ足取りをなさらないでください。
国家と国家においては先の戦争は簡単に割り切れない要因が
あったことは間違いないでしょう。

しかし、国家と国民の関係においては国家(日本)が起こした
戦争という表現が間違っているとは私は考えません。
大東亜戦争の参戦国すべてが国家として戦争という手段を
とったのであれば、国民に対しては戦争を起こしたという
ことだと私は考えます。

非戦闘員である『国民』が日本という『国家』が起こした戦争
(防衛であろうが侵略であろうが)が原因で戦闘に巻き込まれ
集団自決に至ったことは、(私が日本を好きだからこそ)我が事
のように忸怩たる思いなのです。

因みに、大東亜戦争は日本がやむにやまれぬ立場に追い込まれた
という認識を私は持っていますよ。

確かにこの戦争は様々な歴史的要因、国内情勢や国際情勢などが背景になっているのでしょう。だからやむをえなかった、当時としては戦争につき進むのが正しい道だったのかもしれません。
今憲法改正への動き、関連して教育に関係する法律などが改正されていく中で我々は青山さんがおっしゃるように左でもなく右でもなくど真ん中から、この戦争と向き合わなければならないと思うのです。
「考える歴史」教育はもちろんるるーさんがおっしゃるように反省だけではなく、歴史をど真ん中から見て、今の自衛隊のこと、集団的自衛権の問題、そして海外情勢を見ていくべきだと考えます。
そう考えていって、色々な結果にたどり着くのはそれはそれでいいんじゃないでしょうか?
そう考えた先に、二者択一の国民投票がまっている。
その可能性が、先の国民投票法可決で現実のものとなりましたよね。

このコミュニティの皆様のように、日本の国防について何がしかの情報と意見を持っていれば、来るべきジャッジの日にも自己の意見を反映することが可能ですが、曖昧な観念で例えば「日本を戦争する国にはさせません」などという某党のキャッチコピーに引きずられ、日本の国防の現状を見ない一群が存在しそうで、私は自らを含めた個々の更なる意識改革が求められると感じています。
揚げ足とりと表現されるなら、ワシは苦笑するしかないですなぁ。
おまけに「つまらない」と形容されますか。

貴方のような賢い方とは議論する余地は無いですわ。無駄です。
現状理解、るるーさんのおっしゃる通りこれが絶対不可欠です。
憲法9条反対、増税反対とキャッチフレーズに掲げる政党がありますが、ではこれに対する政策はあるのか?
まあ、見えてきません。政党批判するわけじゃありませんが、ただああします、こうします言っているだけではダメ。国民はそれに踊らされないように、しっかりチェックしないといけないですよね。
でも、若い人たちがちゃんと考えていない、もしくは考えられない状態になってきて、私はこれを一番危惧しています。という私もまだ二十歳で一応若者になるんでしょうが(笑)
>若い人たちがちゃんと考えていない

私が20才の時は、このコミュニティに参加されているどの20代の方より私はアホでした。新聞ですら、社会面などとても読みこなせませんでした。蓄積した予備知識が今以上に欠如していたからだと思います。若い方が政治に対して興味が薄いのは、やはり日本社会がとりあえず豊かで平和な故でしょうか。

先ごろ可決された憲法改定のための改憲手続き法(国民投票法)では確か、18才から投票権がある規定になっていたはず。ということは、高校3年生の一部にも投票権があるわけで、与えられた知識をそのまま吸収しやすい世代に直接接する現場教師の方々の責任は非常に重いと思います。

このトピのテーマである沖縄戦・硫黄島の戦い、更に広げて先の大戦の事実から何を未来に繋げてゆくのか、繰り返しになってしまいますが、北東アジアから米軍の影響力が急速に減衰してゆく中、若者に限らず大人ですら現実の生活に埋没しがちです。これもやはり、とりあえずの平和故のことでしょうか。
>高校3年生の一部にも投票権があるわけで、与えられた知識をそのまま吸収しやすい世代に直接接する現場教師の方々の責任は非常に重いと思います。

これですね、日本史の授業でもある先生は比較的真ん中から授業をしている一方で、別の先生はもろに左的な考えで授業をされていました。憲法改正反対! 戦争は間違っていた! とか・・・・。
先生に大きく影響されますね。ですから、社会の先生って難しいんだと思います。下手すれば思想の押し付けにもなりかねません。

>若い方が政治に対して興味が薄いのは、やはり日本社会がとりあえず豊かで平和な故でしょうか。

確かに平和なのかもしれませんが、実際内情を見てみるとかなりズタボロ見たいですね。日本の国債は日本のGDPをはるかに超えているし、年金問題もこの先不安を感じます。でも、それをわかっていないし、ニュースさえ見ようとしない。選挙なんか行くわけがない。誰かが危機であることをもっともっと主張していく必要があると思います。それが誰になるかはわからないのですが・・・・。
「白梅の塔」見学報告(2007/8/26)

 昨日、アンカーで青山さんが行かれた沖縄・白梅の塔に行ってきました。そのことについて報告します。

 白梅の塔はひめゆりの塔から5kmぐらい北にあるところです。しかし、青山さんがおっしゃっていたように全然目立たないことにありました。那覇から本島南部の糸満市に向かうメインストリートである国道331号からだいぶ中に入り、さらに県道からもはずれ、山をクネクネと登ってやっと見つかるような人気のないところでした。白梅の塔と書いてある案内板はあったのですが、わざわざメインストリートから外れたところに行くのか、という印象で、私が行ったときもほとんど人は通っていませんでした。

 白梅の塔周辺には山形の塔、真山の塔など石碑が3つほどありました。しかし、人通りが少ないせいかほとんど手付かずといった感じでした。真山の塔に関しては草ボウボウで放置という感じでした。

 白梅の塔ですが、実は墓の上部まで登ることができました。おそらく二十数年前には遺骨が保存されていたところだと思います。そこで水を備え、お参りしてまいりました。しかし、私が行ったときには花が既に枯れてして、お世話してくれる人がいないのかという印象を受けました。

 そして私は背筋が伸びる思いでした。目の前に日本の戦争のために、不本意ながらも命を懸けて兵士と一緒に看護士として戦われた方を前にして、そうせずにはいられませんでした。
 また、写真をupしていますが、正直写真をとるべきかとるべきではないか悩みました。というのは、お墓というものはやたらに撮るべきではないと思うし、眠られている方に失礼ではないかと思いました。しかし、やはりとることにしました。それは自分がこの先この問題について考えるときのヒントになるかもしれないし、また多くの人にこのことを報告したい、と思ったからです。
 また、沖縄はすごくいい天気で、雲ひとつない天候でした。そこで62年前のことを自分のある知識の中で創造してみました。暑い中、このような所でアメリカ軍の攻撃で多くの人が亡くなったかと思うと、いてもたってもいられなくなりました。
 
 という感じで、白梅の塔の見学を終えました。

 さて、私見なのですが少し気になることを書いてみたいと思います。その後、海水浴に向かったのですが、ひめゆりの塔の前を車で通りました。そこではひめゆりの塔が観光名所化しているような気がしました。多くの人が訪ねるからかもしれませんが、周辺にはお土産屋があったり、売店があったり・・・・。ここで人が眠っているんじゃないのか? 白梅の塔とは大違いではないか。正直これってどうなのかと思いました。みなさんはどうお考えでしょうか。
青い空と、緑生い茂る木立と、立派な墓碑が、今の日本の穏やかな暮らしを象徴しているように感じました。現場に立った人だけが知る感覚はいかばかりでしょう。画像や書物からは感じる事の出来ないものが、実体験にはありますね。

暑い沖縄の空気は、当時のままだったかもしれませんね。その同じ沖縄の炎天下、ろくに医薬品もない状況で、負傷兵と看護学生と野戦病院の医師の方々の当時の壮絶な日々、また上陸した米兵・沖縄県民の日々、立場はさまざまですが一様に苦難の夏であったことでしょう。生きるということは時に過酷ですね。個人の力ではどうにも出来ない事柄も確かにありますね。大切なことは過去を知り、知ったなら過去だけにとらわれることなく、更に未来にそれを活かすことでしょうか。

戦没者慰霊のモニュメントに訪れ、手を合わせる気持ちはとても尊い行為ですね。メディア露出の極端に多い場所には、沢山の人が訪れ手を合わせる。知られていない場所には行き様がない。この差はは報道の偏りから起こるもので、一般の人にあまり罪はないように思います。

まーもさん、貴重な体験と思いを公開してくださり、ありがとうございました。
 まーもさん、自分の足で現地を訪ねてくれて、ありがとう。
 こころの底から、いや魂から、うれしく思いました。
 あなたのようなひとが、いずれ、わたしたちの新しい祖国を造ります。
 白梅学徒看護隊の女学生たちも、それを感じ取ってくれたと信じます。

 そして、そうです、あなたの登ったあたりがきっと、ぼくが27年前に、真っ白な、なんとも言いようがないほどに白い、あの遺骨を目の当たりにしたところです。

 青山繁晴 拝 伊丹空港にて
青山さん

お忙しい中コメントをどうもありがとうございます。

「歴史は表に出てきている人たちだけのものではなく、本当に大切なのは表には出てこない人だよ」って僕の好きな社会の先生が言っていた言葉です。やっとその意味が分かったような気がします。白梅の塔はつい数年前まで放置されている。その一方でひめゆりの塔は多くの人が訪れている。

このような少数の意見にも耳を傾けないといけないなと感じました。そして、戦争は悲惨だったと結論付けるだけではなく、今後日本で生きていく上で硫黄島と同じく生きるヒントにしなければと思います。
今 お彼岸で お墓参り行って来ました。

子供に (軍人さんの墓を見て) 戦没者のお墓の事を 聞かれ ここで 勉強した事や
お爺さんに 過去聞いたことを 話しして あげたら 子供なりに 納得してました。

終戦の時期だけじゃなく 今後も機会があれば 子供たちにも

この硫黄島の 事なんかも しっかり 伝えたいなと感じ 投稿させていただきました

時期外れですが お許しくださいね。

私もここで学んだ色んなことをできるだけ分かり易く
なおかつ偏らないように子供に伝える努力をしています。

「世の中をよくしていくことが君たちの使命なんだ。
 そのために頑張って勉強しているんだよ」
と何かと理由をつけて宿題をしない息子に言い聞かせています
(^^;

べっちゃん さん おはようございます。晴れわーい(嬉しい顔)

そうですね。子供たちにしっかり 教えてあげたいです。わーい(嬉しい顔)
実はね、テレビでやっていた壕を見過ごしてしまって・・・・。
青山さんに講義の合間の休み時間に話して、「壕は見た?」といわれ・・・・。一番見て欲しいところだったのに、見過ごしてしまいました(泣)

今度沖縄行ったときは、ちゃんと壕もちゃんと見てきます。
今日 自宅家に お坊さんが 月参りで来てくれました。
その時に この話題が出まして、子供たちに しっかり 伝えて おきなはれやと
教えて 頂きました。

日本の 辛い過去 を 必ずや子孫に 伝えようと新たに決意が 湧きましたので
少し 書かせて頂きました。

パンチ

ペンギン平凡な親父ですパンチ
☆「沖縄ノート」集団自決名誉棄損訴訟 元軍人の遺族らの訴えを退ける 大阪地裁

作家・大江 健三郎さんの著作に、沖縄の住民に集団自決を命じたと記され、名誉を傷つけられたとして、元軍人の遺族が大江さんを訴えた裁判で、大阪地方裁判所は、原告の訴えを退けた。
自ら法廷を訪れた大江さんは、判決を聞いて安心したように小さく息をつき、淡々と聞き入っていた。
この裁判は、太平洋戦争末期に沖縄の慶良間(けらま)列島で、守備隊長を務めていた元陸軍少佐や遺族が起こしたもの。
大江 健三郎さんの著作「沖縄ノート」に集団自決を強制したなどと書かれ、名誉を傷つけられたとして、出版の差し止めなどを求め、大江さんと出版社を訴えていた。
これに対し、大江さん側は「日本軍による命令や強制は事実であり、名誉棄損にはあたらない」と主張していた。
28日の判決で、大阪地裁の深見敏正裁判長は、まず「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」とした。
そのうえで、「元少佐らが自決命令を発したとまで断定はできないが、それには当時の学説や文献などの合理的な根拠があった」として、原告の訴えを退けた。
大江さんは「裁判長が、わたしの沖縄ノートを正確に読んでくださった。そして、この判決を下されたということであります。それは最もわたしにとって強い感銘でした」と語った。
原告側は、判決を不服として、直ちに控訴する考えを示した。
(03/28 13:31 関西テレビ)


FNNのニュースサイトから拾ってきました。
こんなことになってしまいましたが、青山さんは講義の中でこのようなことをおっしゃっていました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&comm_id=1280573&id=23084188
(No.41〜42の講義録をご覧下さい)

ということは、裁判官も結局は大江氏と同じ判断をしてしまったということです。当事者の話も聞かずに、判決を下すのはいったいどういうことか、原告弁護士が「不当判決だ」と言っているのは当然のことです。
こんな裁判がいつまで続くのでしょうか? 原告の方はご高齢ですので、一刻も早いフェアの判定を高裁の控訴審でしていただきたいと思います。
沖縄に行って参りました.
ファンサイトにある以前のアンカーを観て、白梅之塔と近くの壕に行ってきました。
壕には手すりがついていたので、光が届くくらいのところまで入ってみました。
中で手を合わせ、目をつむっていると自然と涙がでてきました。

塔の周辺を散歩してみて、冷蔵庫が投棄してあったり、塔の後ろにペットボトルなどのゴミが捨ててあったりしたのをみると、すごく残念な気分になりました。
壕内に転がっていたおそらくお供え用と思われる水のペットボトルは持って帰って捨てましたが、参拝する方々が皆が皆お供え用としてペットボトルの水を持ってくるとゴミだらけになってしまうなーと思ってしまいました。

白梅之塔を紹介していただき、いろいろと考える機会を与えてくださった青山さん
ありがとうございます。

読みにくい文章でごめんなさい。
先日、1泊でしたが沖縄に行ってきました。
秋に我々の仲間で慰霊祭を斎行する為の下見です。
日記にその時の紀行をUPしました。
下手くそな文章で恥ずかしいのですが、興味のある方はご覧戴いて
感想でも書いて戴けると嬉しいです。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1091422556&owner_id=18569190

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1091573075&owner_id=18569190

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1096592984&owner_id=18569190
>33の書き込みで修正。

「深淡生」コミュなんで、友人の友人まで公開で網羅出来ると思ったら、
さすがに青山さんのコミュだけあっていろんな方が見にこられているようで、
その他の方でも、私のような者の日記をみたい方がいらっしゃるようなので、
全体公開に切り替えました。mixi全体に恥を晒すようで恥ずかしいのですが、
よろしくお願い申しあげます。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1091422556&owner_id=18569190

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1091573075&owner_id=18569190

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1096592984&owner_id=18569190
雑談4にも投稿させていただきましたが、トピの内容からこちらの方が適切と思い、投稿させて頂きます。

青山さんのブログにも書かれておりますとおり、本日青山さんとIDCメンバーが白梅の塔へ参られます。参加されている方に連絡をとりましたところ、11時30分ごろ到着予定だそうです。
本日私は現地に参加できませんでしたが、現地で青山さんと参加者がお祈りをする時刻に合わせて祈ろうと思います。

その時刻がきたら、改めてここでお知らせさせて頂こうと思います。
http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/7261734e9ffa43e4dd62f909d88e9908
到着されたようです。間も無くのようです。
現在、青山さんはお一人お一人のお名前を手で撫でお水を捧げておられ、みなさんお祈りされているようです。私もいまからお祈りをさせていただきます。
みなさんの祈りが白梅の少女たちに届きますように。

ログインすると、残り7件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

青山繁晴『深淡生』 更新情報

青山繁晴『深淡生』のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。