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メンタリング・コミュニティコミュのキーワード?:“組織学習”

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身体を持たず、そのため記憶をするはずもない組織が、なぜ学習するといえるのか?
たしかにそのとおりなのですが、私達はこうしたことを原理的に考える以前に、組織は学習するものと思い込んでいる節があります。

よく次のように言います。
 「組織は、1+1=2以上でなければならない」
 「チームの力で、最後まで戦いぬくことができた」
 「プロジェクトを進める過程で、チーム力が高まるのが分かった」

こうしたとき、すでに私達は、組織を有機的な存在と捉えています。
つまり、「組織が身体を持っている」かのように考えているわけです。

では、“記憶”についてはどうでしょか?
これも、特に最近、「組織バリュー」という組織の価値観(=行動規範)を表す言葉にはじまり、「組織のDNA(遺伝子)」という言い方まであるように、組織の中にナレッジが蓄積されると考えるのが一般的のようです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

私達の周りを見渡すと、「組織」の中には、利害対立や感情的ないがみ合いが絶えません。
本当にそんなところで、学習が進んでいるのでしょうか。
逆に、どこかのお役所のように、「カラ出張」や「カラ残業」などと、長年の悪習の中にどっぷりと“仲良く”浸かっている人々もいますが、こうした組織ではどうなのでしょうか?

このような組織の現実の背後には、“意図的に”(≒戦略的に)組織学習が進むようにするのか、“自然の成り行きに”委ねるのか、という対立軸があるように思われます。

極端な例を挙げてみると、例えば“戦場”でのこと。
戦場とは、言うまでもなく、敵対する国家の軍隊が、互いの存亡を賭けて命のやりとりをする「問答無用」の場です。
そうした場で、味方の軍隊の中の「チーム力」が高まるのは、自ずと納得できます。
ところが、第2次大戦中の戦記等をみても、意外に敵対する軍同士の間に、ある種の「共感」が生まれるケースが多く報告されています。

戦場でもそうなのですから、まして終戦後には、同じ戦場で戦った敵国の軍人同士の間に、家族まで含めた交流が行われるようなケースもあります。

つまり、対立もそれが究極まで高まれば“共感”を生み、“味方”の団結もそれが退屈な日常へと堕落すれば瓦解してしまう、ということなのではないでしょうか。

従って、「退屈な日常」に堕した組織には、組織学習を進める“戦略的な仕掛け”が必要ではあるとしても、そこに全く異質な要素を持ち込んでは、組織の活力を高めることにはつながりません。

そのとき、メンタリングでも重視している、“先人からの継承”という視点がクローズアップされてきます。
それは、ともすると未来への目的だけに目を奪われがちな組織の戦略を、“長く続いてきたもの”、“過去から継承されてきたもの”を手がかりに、一定のバランスの中に何とかつなぎとめようとする、懸命の試みでもあるのです。

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