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メンタリング・コミュニティコミュのキーワード?:“コンピテンシー”

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※今回は、少々「業界」の裏事情も交えて…。

この“コンピテンシー(Competency)”という言葉が、「日本語」として使われるようになってからすでに10年以上。
もう、いやになるくらい、毎日使っています。

ただ、この言葉の不思議なところは、未だに人材マネジメント論上の定義が流動的で、はっきりと定まっていない点です。
代表的な定義を列挙してみても……、
 ?高業績者の行動特性としての能力
 ?高業績を挙げるための行動特性
 ?成果に直結する能力
 ?競争力としての能力……。
というようになります。

もともとの英語では単に「能力」という意味でしかないこの言葉に、なぜこのように複雑な意味が付与されるようになっているのでしょうか?
 ※むしろ、アメリカでの方が、最近は普通に「能力」という意味で使われているようです。
そこには、これを使う人々の思惑が映し出されているように思えます。

例えば、企業の人事評価制度を研究したり設計したりする人々(※実は、我々コンサルタントもここに入る)。
こうした人種にとっては、実は?や?の定義の方が、都合がよいのです。
なぜかというと……、それは、行動特性を抽出したり整序したり、それに基づいて人事評価項目を概念化したり、という仕事につながるからですよ。

一方、私を含めて、制度を作ったり改定したりということの「呪縛」からある意味解放されてしまった人々にとっては、??程度の比較的あっさりした意味で充分なのです。

では、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題へ。
Competencyの語源は、明らかにCompete(※競争する)にあることから、??の定義がやはり自然です。
では、成果に直結する能力とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?
そこには、次のような条件が必要と思われます。
 −その能力があることによって、その人にミッションとして与えられた仕事の成果が生まれること。(※職責対応性)
 −しかも、一時的な成果ではなく、繰り返し生み出せること(※継続性、持続性)
 −多少の環境的条件が変化しても、やはり成果が生まれること。(※適応性・応用性)

以上のことから、頭の回転の速い方は、なにか思い浮かばないでしょうか?
そう、前回述べた“暗黙知”です。
暗黙知とコンピテンシーとは非常に似ているのです。
ただ、どちらかというと、暗黙知の方が比較的広く、コンピテンシーの方が狭い意味を持った概念といえます。
むしろ、暗黙知をミッションに適合する形で括りだしたり、修練を通じて組み直した(≒育成した)のがコンピテンシーであるとも言えそうです。
ただ、コンピテンシーには、暗黙知的なナレッジ(※つまり、体得された知)であることは必須条件と考えられます。

では、コンピテンシーは、どのようにして形成されるのでしょうか?
これが、人材マネジメントにおける、ひいては経営における最大の関心事でしょう。
コンピテンシー育成の原理は、基本的には、暗黙知の形成同様の原理に基づくと考えられます。
ただ、コンピテンシーは、組織の競争力としてのコア能力(※コンピタンス)にも直結する能力であるため、その育成は、組織やビジネスの戦略体系の中で検討される必要があるのです。

いずれにしても重要なことは、コンピテンシーをアプリオリな(※特定の人にだけ先天的に備わっている)能力と考えないことではないでしょうか?
そうした一種の「選民思想」からは、能力の“育成”や“継承”という視点は出てこないのですから。

コメント(16)

nozomipapaさん

こんにちは。

"暗黙知"と"コンピテンシー"ですが、私は次の様に考えていました。

"暗黙知" 無意識下での事例集約的な(行動)原則(未来予知)=感覚的

"コンピテンシー" 意識下での事例集約的な(行動)原則(未来予測)=論理的

両者に少しは関連性はあるだろう、と思っていましたが、コンピテンシーとは洞察力のことなんじゃないか、と考えていました。

> 暗黙知をミッションに適合する形で括りだしたり、修練を通じて組み直した(≒育成した)のがコンピテンシーであるとも言えそうです。

なるほど、コンピテンシー・ラーニングの核心ですね。
私の場合、形式知(スキル)の受け皿がまだまだ大きく余っているので(笑)、こちらも満たしつつ、核心に触れてみたいですね。
そしていずれはメンターとして。

lingmu
コンピテンシー。
企業から見て、その従業員の期待値みたいな物だと漠然と感じました。

暗黙知は、仕事や行動の無意識化のイメージ。


業務に必要なスキルを、従業員に暗黙知レベルまで習得させて、コンピテンシーを上げる。
それも、もともと高度な学問を修学した人じゃなく、むしろ学問の修学が少ない人のコンピテンシーを上げる事ができたるスキル・メンタリングが完成されたら、国益レベルで素晴らしい可能性がありますね。
ling_muさん、 東京犬☆さん

コメントありがとうございます。

お二人とも、暗黙知を“無意識”と捉えているところが面白いですね。

ただ、私の捉え方は少し異なります。

「無意識」という概念は、言うまでもなくフロイトが言い出したのですが、その弟子のユングやラカンも含め、いわゆるフロイト学派の精神医学の概念です。
一方、精神医学には、ハイデガーの“現存在”概念に依拠して、現象学等の成果も援用しつつ学説を展開する現存在学派もあります。

暗黙知の理論は、ポラニー自身がその著作でゲシュタルト(≒形態)心理学に言及していることからも、どちらかというと現象学方面に近い思考と考えられます。
 ※このあたりの知識、管理人も大学の頃にかじってから大分時間が経っており、若干あやふやです。
 どなたか詳しい方、コメントをお願いします!

そもそもフロイトのいう「無意識」という概念自体が、実はよく分からない、あやふやな印象を受けるものです。
ただ、夢分析からも分かるように、“意識や理性でコントロールできない領域”、ということが言いたいのでしょう。

ここまで整理してみると、「無意識」と暗黙知とは明らかに異なることが分かってきます。

キーワードの暗黙知のところでも引き合いに出した、顔に関する知識や、楽器演奏のナレッジの例を思い出して下さい。
こうしたことは明らかに、私たちが意識的に「知っている」という性質のことであって、「無意識」とは言えないと思います。

つまり、暗黙知にせよ「形式知の暗黙知化」にせよ、それはまさに私たちの意識の認知の下にある、意識の統制の下に行っている行為と、考えるべきではないでしょうか?
nozomipapaさん
こんにちは。
東京犬☆さん
はじめまして。

詳しくない人ですが(笑)コメントです。

> つまり、暗黙知にせよ「形式知の暗黙知化」にせよ、それはまさに私たちの意識の認知の下にある、意識の統制の下に行っている行為と、考えるべきではないでしょうか?

そう捉えるべきなのでしょうか。
私自身の経験のお話になりますが、もともと現場で働く技術屋出身(自動車整備士)なので、業務スキルの錬度を高めるには、反復練習を繰り返しました。

その後、自然に脳が働きだし、手が動くようになり、音を聞き分けられるようになり、さらには、触れて微かな振動を感じるだけで視覚では捉えられない(エンジン内部)機械の状態をほぼ正確に捉えられるようになりました。
それを根拠として、機械の異常な点を導き出す訳です。

なぜ感覚に頼るのか、と申しますと、測定機器のみを用いて診断する手順を踏まえると、時間が掛かり過ぎるからです。
時間当たり工賃を徴収して日々の仕事を行っていた為、基準時間より短時間で作業が完了すれば生産性が上がったからです。
ケースバイケースで測定機器との連携とかもとっていましたが(これがコンピテンシーなのかな?)。

異常な状態の原因究明、ということは意識下で統制されていたと思えるのですが、それらを細分化したもの(感じる部分)を意識して制御していたんだろうか?と疑問に思ってしまいました。

既に10年以上前の経験なのでおぼろげな記憶なのですが…


読み返してみて、気づいたのですが、「自然に」ということが、実は意識下で統制されていたのかな?と思いました。

難しいです。
出来れば対話の継続を希望します。
ling_muさん

過去の経験として紹介されている点は、その通りと思いますよ。

ただ、そうしたこと(※訓練を通じて技能を身に付けること)は、「無意識」の作用でないことは、かなりはっきりしています。

この点は、フロイトで一度確認して下さい。

「自然に」即ち「自動化」は、すでにご紹介しているように、暗黙知の原理そのものです。
“暗黙知”を、“知”または“知っている”という形で積極的に位置づけようとすることの「正当性」については、相当ややこしい議論をしない限り、一つの“意思”“スタンス”ないしは“立場”としか言い様がないかもしれません。

私が重視していることは、そのことによって、人材育成や学習に関わる“アクション=具体的実践”につながるかとうか、という点です。
nozomipapaさん

各セクションの関係を整理して考えてみます。
奥が深いです。

私のように、外殻を明確にしようとするアプローチは正しい手順でしょうか?

全体像が浮かんでくると、理解が進むような気がしたものですから、先ほどのような疑問を投げかけてみました。
ling_muさん


>私のように、外殻を明確にしようとするアプローチは正しい手順でしょうか?

>全体像が浮かんでくると、理解が進むような気がしたものですから、先ほどのような疑問を投げかけてみました。

以上の2つのメッセージですが、どうもよく分かりません。

「外殻を明確にする」とは、何のことを指しているのでしょうか?
 ※ling_muさんのメッセージの中の、どの部分がこの「外殻を明確にする」にあたるのでしょうか?
問題の“フレーム”という意味なら、暗黙知やコンピテンシー
については、すでに私は示している通りです。

「全体像」というのも、「外殻」と同じ意味なのでしょうか?

いずれにしても、「疑問」の対象は、暗黙知と「無意識」の概念の差異、またはその関係のことではないのでしょうか?
 ※もし違っていたら、再度メッセージ下さい。

であれば、これは非常に学問的な問題になるので、予備知識を踏まえないで議論しても、あまり生産的ではないと思います。予備知識とは、
 −“暗黙知”については、マイケルポラニーの知見を踏まえることが必要です。
 −“無意識”については、フロイトの研究を踏まえなければ、言葉として使う意味がありません。
 −また、“コンピテンシー”についても、人材マネジメント論の中の意味を議論するには、スペンサー他、コンピテンシー学者の言っていることを、ある程度イメージとして持つことが必要です。

以上のような知見を吸収するには、本を読み始めると非常に時間がかかるので、このキーワードシリーズで、多少私の解釈も交えながらご紹介している訳です。

しいてアドバイスのようなことを申し上げると、このように言葉の意味や概念にあまり関心を限定するより、もっと実践的な次元で思考したほうがいいのではないでしょうか。
nozomipapaさん

脇道に逸れたような書込みにお答えいただきありがとうございます。
外殻と表現したのは、「メンタリングとは、簡単に表現するとどういったことなんだろう」という意味で使いました。
再度コラムを読み返してみます。

> 言葉の意味や概念に…

納得です。
確かにあまり意味のなさそうな事に関心が向かっていました。
実践的思考を心がけます。

私にとって、重要な示唆をありがとうございます。
はじめまして。
nozomipapaさん。
コラム興味深く拝見させていただきました。
書き込みがすくなーいということでしたので、私なりの感想を述べさせていただきます。

コンピテンシーの定義については、たしかに悩ましいところではありますね。????なんとなく似て非なるもののような気がいたしますが、私個人もあまりこだわってはいません。

ここで言う、「能力」や「特性」それに関わるところのDevelopmentは常にマーケットからの要請によって成立し、変化するものであるということぐらいで、コンピテンシーとは、現在、または将来、マーケットが要求している、要求されるであろう能力のことを言っているのではないかと思います。

コンピテンシーが暗黙知か形式知かという点については、まだまだ呪縛から逃れられないのでしょうか、「形式知」であるという方に近いですかね。

「我々は語れるもの以上のことを知っている」というポランニの暗黙知的な考えとコンピテンシーは一線を画すというスタンスです。コンピテンシーを「〜性」という気質や志向性、態度に近いところで定義するのか、スキル・技術、知識に近いところで定義するのかによっても違いますが、どちらにしても開発可能でコントロールできるものであるような気がします。

暗黙知の伝承はそのままではとても難しい。観察学習などを通したとしても、いずれにしろ要約ラベルとして形式知化していくことが必要であり、それが、おっしゃっているところのコンピテンシーであるのかという私なりの理解をいたしましたが、間違っていますでしょうか?

ほんと、パワーショベルの使い方とか牛乳を芸術的な精度で発注するパートタイマーの能力とか教えられるんですかね?ほんとに・・
Koさん、はじめまして。

実にリフレクティブで、示唆に富んだコメントを、ありがとうございます。

>コンピテンシーが暗黙知か形式知かという点については、まだまだ呪縛から逃れられないのでしょうか、「形式知」であるという方に近いですかね。
>「我々は語れるもの以上のことを知っている」というポランニの暗黙知的な考えとコンピテンシーは一線を画すというスタンスです。コンピテンシーを「〜性」という気質や志向性、態度に近いところで定義するのか、スキル・技術、知識に近いところで定義するのかによっても違いますが、どちらにしても開発可能でコントロールできるものであるような気がします。

↑こうした見解は、ご経験と実践に裏付けられたものを感じます。

ところで、ポラニーとは一線を画する、という点についてですが、『暗黙知の次元』の中の、次のような見解をご存知でしょうか?

“理論(=形式知)を知るということは、その理論が内面化(=暗黙知化)され、さらに経験を解釈するためにそれが縦横に用いられた(=実践された)後にのみ可能となる。”
 ※カッコ内は、私の註。

このような見解をも参考にして、私は、コンピテンシーとは、おおまかに言うと暗黙知の概念に属するが、より正確に言うと、暗黙知と形式知が、ある特定の目的(※ミッション)系列の中で、不可分一体に組み合わさった能力の在り様、という風に考えています。

いかがでしょうか?

また、このように考えると、「教える」=「育成」という行為も、狭義の「指導」というイメージから離れて、指導と主体的・内発的な学習との、より長期的な時間軸の中でのコラボレーション、と捉えるのがより本質的ではないかと思えます。
nozomipapaさん。

さっそくのコメントありがとうございます。
>“理論(=形式知)を知るということは、その理論が内面化(=暗黙知化)され、さらに経験を解釈するためにそれが縦横に用いられた(=実践された)後にのみ可能となる。”

この点については、ポランニの考え方、また後に野中先生が紹介してくれたSECIモデルを個人に当てはめて見れば十分イメージのつく考え方です。ありがとうございます。

>私は、コンピテンシーとは、おおまかに言うと暗黙知の概念に属するが、より正確に言うと、暗黙知と形式知が、ある特定の目的(※ミッション)系列の中で、不可分一体に組み合わさった能力の在り様、という風に考えています。

同感です。後はアプローチの仕方、まさにHowの問題ではないかと考えます。
今これ以上コンピテンシーの定義について細かな議論するよりは、能力の“育成”や“継承”という視点から、暗黙知をいかに形式知化していくか?(これについてはいやというほど考えてきました
・・)ということに加え、暗黙知を暗黙知のまま(形式知の介入はあるにせよ)いかに継承していくことが出来るか?という点について、また、その知を組織のコンテクストに当てはめ、如何に創出していくかということを考えることのほうが、より建設的であるのかも知れません。
私自身、大変興味のある視点です。

その意味で、nozomipapaさんがメンタリングという考え方のもとにこのコミュニティを立ち上げられた意図が理解できるような気がいたします。

先日、大手メーカーの工場の技術者の方々にインタビューを行ってきました。OJT中心、「見て覚えろ」は変わってないのですが、もともとメンターとプロテジェの関係に見られるような信頼関係はないですね。表面上は同じように見えても、多分伝わるはずがない。

これ自体結論のない文章です。お答えになっているかどうかは分かりませんが。長くなりました。今後ともよろしくお願いいたします。。
Koさん

ひきつづき実践的な問題提起をありがとうございます。

>先日、大手メーカーの工場の技術者の方々にインタビューを行ってきました。OJT中心、「見て覚えろ」は変わってないのですが、もともとメンターとプロテジェの関係に見られるような信頼関係はないですね。表面上は同じように見えても、多分伝わるはずがない。

そうですか。
表面上は同じようでも、昔のような信頼関係はすでにそこにはないのでしょうか?

この間メンタリングの導入を進めてきての感触ですが、確かに組織内の関係は一昔前と比べても大きく変容しています。
ですが、変容している中にあっても、多くの若手人材の意識の中には、先輩からの指導や薫陶を受け入れようとする素地(※広い意味でのレセプターのようなもの)は、十分に残っているのではないかと感じています。
ですから、ちょっとした仕掛けで、組織のムードもパワーも大きく前進させることができるケースが多いのではないでしょうか?

それとも、そのメーカーには、もっと特殊な致命的な事情があるのでしょうか?
nozomipapaさん。

コメントありがとうございます。
そうですね。このメーカーには、「特殊な」とはいえませんが、技術継承ということを考える上では問題があるといえます。

例えば、長期出向者とプロパーとの関係。商品サイクルが短期化する中での水平分業による技術の断片化。ゼネラリスト、スペシャリストといったキャリアパスのあり方など。

信頼関係が希薄になっていくこととの因果関係は直接的ではないかも知れませんが、やはりこの会社を取り巻く内部、外部の状況が変化していると言わざるを得ません。

昔?はそうではなかったのでしょう、「ものづくり」という組織の遺伝子を変化させていく病を患っているのかも知れません。

それでも、個という視点で見れば、おっしゃる通り、高いアンテナと受容体を持った有望な人材が存在し、何らかの機会ときっかけを期待している。
求めている若手とかまってられない熟練者って感じでしょうか。
まさに、組織のムードとパワーの話しになりますね。

メンタリングの導入は確かににそのきっかけの1つになるものと考えます。

メンターの求むのトピック拝見しました。時間に余裕があれば私自身トライしてみたいとも思います。

最後に、1つ単純で、ばかばかしい質問なのですが、メンターって「仕事」なんでしょうか?
Koさん

>例えば、長期出向者とプロパーとの関係。商品サイクルが短期化する中での水平分業による技術の断片化。ゼネラリスト、スペシャリストといったキャリアパスのあり方など。

>信頼関係が希薄になっていくこととの因果関係は直接的ではないかも知れませんが、やはりこの会社を取り巻く内部、外部の状況が変化していると言わざるを得ません。

↑このような状況把握については、私もほとんど同じ認識です。

ただ、メンタリングの効果は、メンティー側に限らず、メンター側にも大きいと思っています。

そこで、メンターの件ですが、ぜひお願いできないでしょうか?

下記事項をトピックからご連絡いただければと思います。

>■ご応募方法
> メンターをやってくださる方は、まず下記の事項をお知らせ下さい。
>◆指導(※または対話)してみたい内容
  ※キャリアに関すること、スキルアップに関すること、その他の相談事項 等
 ◆指導したいメンティーのタイプ(※イメージ)
 ◆自分のキャリア(※概要)
 ◆どんなメンターになりたいか(※イメージ)
 ◆人材育成にかける思い(※一言で)

尚、いきなりトピックへの書き込みがやりにくい場合は、管理人宛PBメッセージを頂いても結構です。

ところで、下記のご質問についてですが…、

>最後に、1つ単純で、ばかばかしい質問なのですが、メンターって「仕事」なんでしょうか?

これもまた、実に示唆の深い質問ですね!

簡単に言うと、“メンターは、仕事であり同時に仕事ではない”といえるのではないでしょうか?

「仕事」をネガティブな誘因による活動を捉えている人にとっては「仕事外」でしょうし、主体的自立的な動機の中で位置付けている人にとっては「仕事」でしょう。
あるいは、「仕事〜仕事外」という区分そのものが無効なのかもしれません。

むしろ、それが無効であるような人生を送りたいものですね。
nozomipapaさん。

>むしろ、それが無効であるような人生を送りたいものですね。
ほんとです。
メンタリングについては、私なりに勉強もしたのですが、最後の最後に詰まるのが「仕事」なのかということなのです。
私達は、主として企業組織を相手にコンサルティングを行っています。そこに、メンタリングという概念やシステムを持ち込む場合、仕事でないものを持ち込むという違和感とメンタリングを仕事と位置付けるために(特にメンターに対して)評価や処遇にストレートに反映させていくことへの違和感の間で迷いますね。「仕事」であるのか「ボランタリー」であるのか、その間を理解するのがなかなか難しいと思っています。

いづれにせよ、先輩が何の気なしに後輩を指導し、面倒をみている組織やベテランが若手に対して自分の全てを伝えようと一生懸命になっている組織は強いでしょう。損得の問題ではなく。

メンターについては、ふさわしいかどうかは別として、私のキャリアと想いでよければお使いください。

働く人たちの肩の荷が少しで軽くなり、楽しく、やりがいのあるものであるよう、コミュニティに参加しておられる他の方々も、是非積極的にご自身のキャリアと想いを伝えていただければと思います。

私なんかと思っている皆様。。それは自分が決めることではないのですから。

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