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メンタリング・コミュニティコミュのキーワード?:“コミュニティ”

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※「キーワードで語り合う」の「語り合う」は今回から削除。

久しぶりに6回目を。 ※今回は少し長いです。

既に、mixiに集う私達は、この言葉を理解する以前に実践してしまっています。
ただ、この“コミュニティ”の意味の理解度如何で、コミュニティ活動をどれだけコミットメント(※前出「キーワード」参照)を持って持続できるかが、変わってくるように思われます。

では、まず質問! コミュニティの反対語(※ないしは反対概念)は何でしょうか?

これはかなり難易度が高いでしょう?

そもそも経済学、社会学の分野には、“社会”という概念を、次の2つに分類する捉え方があります。
ドイツ語で、“ゲマイン・シャフト”と“ゲゼル・シャフト”という用語がそれです。
 ⇒うーん、今回はかなり難しい!
「シャフト」は、社会という意味で、2つの用語は次のような日本語に置き換えられます。
 ●ゲマイン・シャフト⇒人格的依存関係に基づく社会
 ●ゲゼル・シャフト ⇒物的依存関係に基づく社会

だんだん分かってきたでしょうか?
とすると、コミュニティとは、言い換えると“ゲマイン・シャフト”であることが分かります。
ということは、その反対語は、“ゲゼル・シャフト”ということになりますね。

でも、“ゲゼル・シャフト”って、一体具体的には何のことでしょうか?
それは、「近代国民国家」ないしは「市民社会」と呼ばれるものがそれにあたります。
わが国・日本では、やはり明治以降の社会でしょうね。
逆に、江戸時代までの封建型武家社会や平安までの貴族中心社会は、ゲマイン・シャフトに近い社会ということになるでしょう。

とはいえ、少し考えてみると、上の2つの概念は、現実にはそのような純粋な社会がある訳ではないことも、すぐに分かります。
そう、現実の社会は、ゲマイン・シャフト的な要素とゲゼル・シャフト的な要素が混じり合って成り立っているんですねー。

例えば、私達の日常だって、いまこうしてmixiで交流している間はコミュニティ=ゲマイン・シャフト的関係性の中にいるのに、朝起きれば、毎日当然のようにゲゼルシャフトのいわば象徴としての企業や公教育としての学校に出かけていかなくてはなりません。
一つの社会に安定的に生きているようでいて、実は、私達は実質的に2つの「社会」を器用に使い分けながらどうにかこうにか毎日生き抜いているわけです。

大事なことは、この2つの要素を、いかにバランスよく「使い分け」ができるか、にあるのではないでしょうか?

例えば、現代の都市に生きる私達は、すでにコミュニティだけの社会では生きられないはずです。
例えば、朝から毎日集団で近所の神社に行ってお祈りしたり、町内会の当番が毎日回ってきたり、隣のお年寄りに毎日何か夕飯のおすそ分けをしなければ、「村八分」になってしまうような状況……、これに耐えられる人はいないはずです。
そう、私達は人と人との人格的なつながりを求めているようでいて、実は非人格的、つまりモノやお金を媒介にするドライな関係性もなければ、耐えられない生命体になってしまっているのが現実なのです。

要するに、ポイントは、“バランス”なのですねー。

トータルに見て、現代日本社会は、物的依存関係に傾きすぎている嫌いがあります。つまり、そういう意味でバランスを失っているわけです。
まさに、その1点に、この“メンタリング・コミュニティ”がコミュニティたる所以、そしてその存在価値もあるのです。

 ※ここまで、ストレスなく全部読まれたあなたは、メンタリングコミュニティ・エグゼクティブメンバーに、認定いたします。

コメント(6)

nozomipapaさん

さすがコラムを掲載されるだけあって、解り易い文章ですね!

はじめの問いに、「離反」と答えている私がいました…
ゲマイン・シャフト ゲゼル・シャフト 語彙の乏しい私ですが、ボリュームアップできました。


仰られるように日本人はゲゼル・シャフトに傾倒しすぎと感じます。
反対に私の仕事と密接な関わりのある中国の方々は案外バランスが取れているのかな、と感じました。
ling_muさん

メッセージありがとうございます。
「エグゼクティブ・メンバー」認定です!(笑)

「離反」……というのは、当たらずとも遠からずで、何となく分かります。

>反対に私の仕事と密接な関わりのある中国の方々は案外バランスが取れているのかな、と感じました。

そうですか、中国の人々の方が。
早く行ってみたいですねー、中国。
今の私達にとって、本当に多くを学べるフィールドかもしれませんね。
僕は、初めの質問に・・・ニートと(^^;


このトピで、先日に新宿で拝見した「POPデザイン展」を思い出しました。


入り口に、デザインの歴史表のような物がありました。
貴族や一部階級の芸術やら一点物・・・それが、ベトナム戦争周辺以後(だったと記憶してますが)の経済上昇に伴ってアメリカ社会全体の「物をもつステータス」的な物へデザインが落とされていく・・・ポップデザイン、70〜80年代のデザイン、プロダクトへ。
一部の階級のみの物理依存的表現が、庶民にも広がった瞬間の一つではないかと、今回気づかされました。
東京犬☆さん

なるほど、私の見解を、「デザイン」にアナロジーしてくれたのですね。

私は何分にも極めて「非芸術的な」(※特に、絵が下手なので、絵画・デザイン方面が大の苦手)人生を歩んでいる人間なもので、この分野には弱いのですが、高度経済成長やグローバル化が、芸術にどう影響を与えているのか……、これは、実に興味深い視点ですねー。

ところで、村上隆という最近ブレーク中の画家をご存知でしょうか?
この人は、日本の「売れない芸術」の歴史を批判し、アメリカで実績を挙げた自身のキャリアから、独自の芸術論?を展開しています。

彼によれば、経済のグローバル化は、日本芸術界という“閉域”に大きな刺激(※第2の黒船的な)を与え、創作の基礎的条件を変更させることになっているので、いたってポジティブに捉えているように見受けられます。
 ※ちなみに、村上隆の有名なワークは、例のヴィトンのチェリータイプのデザイン等です。
 ※彼の見解は、『芸術起業論』(幻冬社刊)で知ることができます。

それにしても、東京犬☆さんは、いろいろな分野に興味・関心があるみたいですねー。
村上隆さん、アメリカで実績を挙げた方だったんですね!
nozomipapa さん、お詳しいですね。
芸術起業論・・・今度、本屋で探してみたいと思います。

僕の場合は、広く浅くです。
デザイン系の仕事に興味があったものですから。


メンタリング・コミュニティは、社会が消費者に物理的な成功を求めた弊害を克服する、ひとつのとてもよい方法だと感じてます。
これからも、ご教授お願いいたします。
>メンタリング・コミュニティは、社会が消費者に物理的な成功を求めた弊害を克服する、ひとつのとてもよい方法だと感じてます。

↑このような理解の仕方、 東京犬☆さんのセンスのよさを感じます。
また、その社会的な視野の広がりに、若々しく新鮮な雰囲気も感じますねー。

管理人として、とてもうれしい限りです。

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