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兵庫県のご当地小説 コミュの村上春樹の小説の舞台を歩く

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 昨日、村上作品に登場する地元(芦屋〜西宮)についてのレクチャーを受けてきました。いずれ、詳細をご報告します。

http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=6582

コメント(14)

まぁ。。。村上春樹氏が足や出身とは。。。知りませんでした^^;
昔、西宮に住んでたのに(高校〜短大時代)残念です。。。
でも、まだこれから^−^機会があることを。。。^人^
懐かしい回生病院の写真、ありがとうございました^−^
回生病院の写真はもう少し撮りました。栗さんには特別サービスさせていただきます。
ありがとうございます^0^
なつかし〜〜〜です^−^正面のスロープとか。。。
芦屋が足やになっていたのに。。。今、気がつきました^^;
失礼いたしましたm(_)m
村上春樹文学への誘い−ふるさと芦屋を歩く(その?)
以下は、1月27日の県立図書館溝口めぐみさんの講義から。

? 少年時代
’49年1月12日生まれ 京都市伏見区で生まれ、すぐに西宮市夙川に転居。
’61年3月 香枦園小学校卒業
父親が甲陽学院の国語の先生、母も国語の先生。一人っ子だそうです。
「僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙川というところに移り、まもなく隣の芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った。」「そのようにして典型的な『阪神間少年』ができあがる。当時の阪神間は−もちろん今でもそうなのかもしれないけれど−少年期から青年期を送るには、なかなか気持ちの良い場所だった。」(「辺境・近境」)
両親からは甲陽学院中学受験を勧められたが、反発して答案を白紙で出したとか・・・。

? 精道中学校
’61年4月 精道中学校入学
「中学校のときには先生によく殴られた。」「けっこう些細なことで日常的に殴られた。平手で頬を張られたり、何かで頭を殴られた。」「その母校をもう一度訪問したいという気持ちにはどうしてもなれない。」「教師や学校に対して親しみよりはむしろ、恐怖や嫌悪感の方を強く抱くようになった。」アメリカ在住中、阪神・淡路大震災をTVで知ったときも、「震災の犠牲者に対する同情の念よりは『ああ、僕はここでずいぶん教師に殴られたんだ』という息苦しい、にがい思いだった」(「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」)
「僕らのまわりには意味のない暴力性が満ちているという事実をまず僕らは認めなくてはならないのではないか。」「僕は中学校でさんざん教師にぶん殴られて、そのおかげで今でも、権威とかシステムみたいなものに対する憎しみを、ありありと深く胸に抱いています。」(少年カフカ 村上編集長)
「ねじまき鳥」のノモンハン事件や、「アンダーグラウンド」、「海辺のカフカ」の猫殺しなどに暴力シーンが出てくるわけですね。

 精道中学3年下の大森一樹監督は、81年「風の歌を聴け」を映画化。二宮筋の“ハーフタイム”というバーが小説中の“ジェイズバー”のロケに使われました。ただ、村上さんは、この映画に不満だったらしく、後に大森監督が「羊」の映画化を申し出たときは、断ったそうです。
その後も映画化の話はずっと断り続けたそうですが、05年「トニー滝谷」(イッセー尾形、宮沢リエ主演)の映画制作に際しては、何度もシナリオにダメ押ししたとか。

? 神戸高校 
’64年4月 神戸高校入学
「学校は山の上にあって、その屋上からは町と海が一望のもとに見渡せた。僕らは一度放送部の部屋から古いレコードを十枚ばかりくすねてきて、それを屋上からフリスビーみたいに飛ばしたことがあった。」(「国境の南、太陽の西」)
 当時の同級生によれば、村上さんはおしゃれで、靴をいつもぴかぴかに磨いていたとか。

? 早稲田大学
’68年4月 早稲田大学第一文学部演劇科入学
’71年    結婚
’74年    ジャズ喫茶開店
’75年3月 大学卒業
「僕はそれでも、なんとか国立大学に入ってくれないかと親に言われて、1年浪人して嫌な数学と生物とを詰め込もうとこれ努めたわけだが、案の定うまくいかず、結局芦屋市立図書館の読書室でうとうとと眠りながら一年間を無為に費やすことになった。」(「やがて哀しき外国語」)
「僕は高校を卒業したあと東京の大学に行くことに決めていた。この町を離れて、両親から独立して、一人で生きることが自分には必要なのだと僕は思うようになっていた。」(「国境の南、太陽の西」)
「大学に入るときに東京に出て、そこで結婚して仕事を持ち、それからあとはあまり阪神間には戻らなくなった。たまに帰郷することがあっても、用事が済むとすぐに新幹線に乗って東京に帰った。」「世の中には故郷にたえず引き戻される人もいるし、逆にそこにはもう戻ることができないと感じ続ける人もいる。両者を隔てるのは、多くの場合一種の運命の力であって、それは故郷に対する想いの軽重とはまた少し違うものだ。どうやら、好むと好まざるとにかかわらず、僕は後者のグループに属しているらしい。」

写真:神戸高校
故郷に絶えず引き戻されて生きてます^^;
村上氏とは、反対ですね〜^^;
しかし。。。伏見の生まれで、夙川から芦屋に。。。
ニアミスしてたりして。。。
聞いてみないとわからないものです^−^
いつも情報ありがとうございます^0^MMさん
栗さん
いいところに住んでおられたんですね。
まだ続きがありますので、お楽しみに。
(つづき)
? 図書館
○ 甲村記念図書館(「海辺のカフカ」)
「旧家のお金持ちが自宅の書庫を改築してつくった私立図書館」
カフカ少年が以前、「雑誌『太陽』の写真で見たことがある。古い大きな日本家屋で、応接室のような優雅な閲覧室があり、ゆったりとしたソファに座って人々が本を読んでいた。」
この図書館について、村上さんは読者のメールの質問に対し「実在しない」と答えていますが、芦屋市立図書館打出分室のことを「ちょっと似た雰囲気の図書館」といっています。
○ 芦屋市立図書館打出分室
「時間はたっぷりあったし、するべきことは何もない。僕は街の中をゆっくりと車で回ってみた。海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コート、ブティック、古い図書館、月見草の繁った野原、猿の檻のある公園、街はいつも同じだった。」(「風の歌を聴け」)
猿の檻のある公園というのは、図書館の隣にある打出公園のことです。
「図書館奇譚」や「不思議な図書館」、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「夢読みする図書館」も、打出図書館がモデルだそうです。
レトロな味わいのある石造りの建物。もともと大阪の銀行でしたが、資産家の松山氏が移築し、美術品の収蔵庫として使用。昭和29年市立図書館に。県の景観形成重要建造物にも指定されています。
http://www.trans-usa.com/ashiya/oldLibrary.html

? 西宮回生病院
「ノルウェイの森」で尚子が入院していたとされ、「風の歌を聴け」にも登場します。
また、「めくらやなぎと眠る女」では、「その病院に行ったのは八年前のことだった。海岸近くにある小さな病院だった。食堂の窓からキョウチクトウしか見えなかった。古い病院で、いつも雨の降っているような匂いがした」「我々は病院の門をくぐる前に海岸べりにバイクをとめ、そのあたりの木かげに寝転んで一息ついた。海はその頃には既に汚れていたし、夏も終わりに近かったので泳いでいる人の数は少なかった。」
創設100周年を迎えたという歴史ある病院。総和60年に改築されたものの、玄関部分は以前のまま残されている。野坂昭如原作のアニメ「火たるの墓」にも登場。
http://www1.ocn.ne.jp/~kaiseihp/enkaku.html

? 香櫨園浜
「堤防を上がると、かつてはすぐ目の前に海が広がっていた。なにひとつ遮るものもなく。僕は子供の頃、夏になれば毎日のようにそこで泳いでいた。海も好きだったし、泳ぐのも好きだった。魚釣りもした。毎日犬をつれて散歩した。ただそこに座ってじっとしているのが好きだった。夜中に家を抜け出して友だちと一緒に海岸に行って、流木をあつめて焚き火をした。海の匂いや、遠くから聞こえてくる海鳴りの音や、海の運んでくるものが好きだった。」(「辺境・近境」)
「堤防の向こう側、かつて香櫨園の海水浴場があったあたりは、まわりを埋め立てられて、小ぢんまりとした入り江(あるいは池)のようになっている。そこでは一群のウィンドサーファーたちが風をつかまえようと努力している。そのすぐ西側に見えるかつての芦屋の浜には、高層アパートが物リスの群れのようにのっぺりと建ち並んでいる。」(「辺境・近境」)

? 古い防波堤と芦屋浜
「川は小さな入江のような、あるいは半分埋められた運河のような海に注いでいた。それは幅五十メートルばかりに切り取られた昔の海岸線の名残だった。砂浜は昔ながらの砂浜だった。小さな波があり、丸くなった木片が打ち上げられていた。海の匂いがした。コンクリートの防波堤には釘やスプレイ・ペンキで書かれた昔ながらの落書きが残されていた。五十メートルぶんだけ残されたなつかしい海岸線だった。しかしそれは高さ十メートルもある高いコンクリートの壁にしっかりとはさみ込まれていた。そしてその壁はその狭い海を挟んだまま何キロも彼方にまでまっすぐ伸びていた。そしてそこには高層住宅の群れが立ち並んでいた。海は五十メートルぶんだけを残して、完全に抹殺されていた。
僕は川を離れ、かつての海岸道路に沿って東に歩いた。不思議なことに古い防波堤はまだ残っていた。海を失った防波堤はなんだか奇妙な存在だった。僕は昔よく車を停めて海を眺めていたあたりで立ちどまり、防波堤に腰かけてビールを飲んだ。」(「羊をめぐる冒険」)
「古い防波堤の名残りだけが、かつての海岸道路に沿って何かの記念品のように残されていた。もう何の役にも立たない、古びた低い壁だ。その向こう側にあるものは波の打ち寄せる海岸ではなく、コンクリートを敷きつめた広大な荒野だった。そしてその荒野には何十棟もの高層アパートが、まるで巨大な墓標のように見渡す限りに立ち並んでいた。」
「僕は予言する。
5月の太陽の下を、両手に運動靴をぶら下げ、古い防波堤の上を歩きながら僕は予言する。
君たちは崩れ去るだろう、と。」(「カンガルー日和」)
震災を予言したとも言われる部分だそうですが、住民のみなさんには申し訳ない気がします。
君たちは崩れ去るだろう。。。
   ↑
別の意味(精神面)で書かれたと思いますが、実際に震災が起きると、そう言われてしまうのですねぇ
数年前、猿のいなくなった「猿の檻のある公園」・・・。
ふくさん

谷崎潤一郎に関するご指摘のおかげで、また、谷崎のほかに、宮本輝、織田作之助作品のリストが増えました。
ありがとうございます。
http://www.nomura-sekisui.com/location01.html
東京紅団のホームページより
「風の歌を聴け」についてのご当地レポートです。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-kaze1.htm
ネットで見つけたサイトをご紹介します。

「神戸・芦屋・西宮 村上作品めぐりツアー」
http://www50.tok2.com/home/sada/tour_k.html

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