ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

訃報 (ふほう)コミュの花紀京(喜劇俳優)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 元吉本新喜劇・花紀京さん死去
 
 2015年08月06日 13:58 産経新聞

 喜劇俳優の花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三=いしだ・きょうぞう)さんが5日午後7時44分、肺炎のため、大阪市内の病院で亡くなった。78歳。とぼけた味わいのある芸風で吉本新喜劇の黄金時代を築き、多方面で活躍していたが、平成15年5月に自宅で入浴中に倒れた。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。

 近代漫才を興した横山エンタツの次男。小さいころから寄席が好きだったが、父に芸界入りを反対されて関西大学仏文科に進学。あきらめきれず家出し、大学も1年で中退した。

 劇作家、花登筐に弟子入りしOSミュージックの寸劇で初舞台。そのあと花登劇団「笑いの王国」に参加した。昭和37年に吉本興業に入り、芸名は本名の“京”と、花登の“花”をもらい“ききょうの花”をひっくり返した形にした。

 ホンワカ、ホンワカ〜のテーマ曲にのった新喜劇では岡八朗(当時・八郎)さんとのコンビで爆笑の舞台を展開。絶妙の間(ま)で主役を食う、したたかな作業員がはまり役だった。漫才ブームの昭和55年に岡さんと大型漫才コンビを組み、話題になった。

 吉本の“新喜劇若返り”方針で岡さんらと平成元年に退団したが、たしかな演技力を買われ舞台やNHK朝の連続テレビ小説、バラエティー番組、CMなど幅広く活躍。昭和48年に「上方お笑い大賞」金賞受賞、平成13年にはダウンタウンらとのユニット「Re・Japan」でNHK紅白歌合戦に初出場した。

 シャイで控え目、“京ぼん”の愛称で呼ばれ、「主役の器やない」と脇役にまわることが多かった。偉大な父親について「エンタツを襲名するなんて考えてまへん」といい、「親の名は芸界入りの時に役に立ったけど、笑いの芸は七光だけでは誰も笑ってくれまへん」とよく話した。

 昭和38年に松竹新喜劇の曾我廼家五郎八の娘で、女優の西岡慶子と結婚、しばらくして離婚した。
 
 
…「新・必殺仕舞人」での「権太」役が思い起こされます。
78歳…でも御病氣を抱えられて、漸くに樂になられたことでありましょう。
 
謹んで、お悔やみ申し上げます。

コメント(6)

「おい。熱燗くれや。」「はい、どうそ。」「アチチチチ!熱燗言うても熱すぎるやないか。もうちょいぬるくしてくれ。」「はいはい。すいません。」「ん?今度はぬるすぎるやないか。もうちょい熱くないと熱燗ちゃうがな。」「えらいすいません。」「アチチチチ!お前、また熱すぎやないか!」「いつまで続けるねん!」合掌。
大阪人として,子供の頃から吉本が日常生活の一部だった.
その黄金期に一番おもしろかったのが「京ちゃん」やったな.
岡八郎との絶妙なコンビ.あの「すかし」方は,誰もマネできない.

いや,ほかにも冥界に行かれた何人もの
吉本喜劇の芸人さんたちを思い出してしまう.

人生幸朗が舞台袖から「秋山たかしさんが亡くなったで!」と
慌ててやってきて,みんながそれに対処しきれないかったエンディングは
幻ではないかと思うほどに鮮明.

岡八郎は浅草四郎と漫才コンビを組んでいたが,
花紀京との「間」もそういうところが基礎だったんじゃないかな.
「漫才こそがすべての基礎」と説いたミヤコ蝶々が思い出される.

ニュースで流れる姿が,妙に若いのでビックリした.合掌.
年のせいか昔の吉本新喜劇がミョーに懐かしい。

NHKのラジオで赤川次郎の「幽霊列車」の宇野警部を演じたことがありましたっけ。もちろん大阪弁。相手役の女子大生は竹下景子! 調べたら1979年のこと、今は昔。

合掌。
エンタツアチャコのことなんて知りようもないけど、小さな頃、大人たちは激賞してた。
岡八郎・花紀京を見て、ああこれが戦後のエンタツアチャコなんだろうと勝手に想像してた。
今の子はもうそういうの知らなくていいから、「自分なりの」伝説の漫才コンビを見つけてほしい。合掌
天性的な間、素晴らしかった

あんな笑いは もう見れない

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

訃報 (ふほう) 更新情報

訃報 (ふほう)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング