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歴史を楽しく学ぶ会(^O^)のトピック
康子(ひの やすこ)』を准母(じゅんぼ)にすることでした(^O^) 准母とは、天皇の母の代わりになる女性のことです(^O^) 『後小松天皇』の母 式は重要な儀式だったんです(^O^) 式を親王と同格にしたことは、『義嗣』が親王になることを意味していて 『後小松天皇』が譲位すれば 『義嗣』が天皇になることが 出来
神社仏閣研究会のトピック
金閣寺を建てた足利義満は実子の義嗣を天皇にしようとしていたふしがある。 義満は応永13年(1406)に、自分の2番目の妻である日野康子を後小松天皇の准母 を後継者に譲った天皇) 応永15年(1408) 3月に北山第へ後小松天皇が行幸したが、義満の座る畳には天皇や院の座る畳にしか用いられない繧繝縁(うんげんべり)が用
日本史 異説!逆説!こぼれ話?のトピック
金閣寺を建てた足利義満は実子の義嗣を天皇にしようとしていたふしがある。 義満は応永13年(1406)に、自分の2番目の妻である日野康子を後小松天皇の准母 を後継者に譲った天皇) 応永15年(1408) 3月に北山第へ後小松天皇が行幸したが、義満の座る畳には天皇や院の座る畳にしか用いられない繧繝縁(うんげんべり)が用
歴史を楽しく学ぶ会(^O^)のトピック
を狙う意志をうらづけるものでしょう(^_^;) その後も、実子『義嗣(よしつぐ)』の元服の折りには 親王に準じた元服式を行い、『後小松天皇』の生母が亡くなると 義満の正室『日野康子(ひの やすこ)』を 天皇の准母(じゅんぼ)とし、義嗣に皇位を譲りやすい環境を 整えています(^O^) だが、義満は 義嗣を天皇の猶子(ゆうし)にし