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自身も言っています。 「コギト・エルゴ・スム」(我思う・故に・我有り)を哲学の第一原理であり真理ではないと。 (コギトとはいわゆる思考です。) 人間の持つ「自然 とは「エゴではない自我を確立すること」にあると考えます。 例えばデカルトの命題は自我の存在を証明する推論ではない。 デカルト
「倫理」が好きのトピック
が認識主観の確立となって、ベーコンの経験論やデカルトの哲学の第一原理としての「コギト(考える我)」の確立となり、客観的な自然の法則的認識による自然支配が、近代
人間論および人間学のトピック
ヒューマニズムは近代市民社会の中での個の自立と関連する。それが認識主観の確立となって、ベーコンの経験論やデカルトの哲学の第一原理としての「コギト(考える我)」の確立となり、客観
芹沢光治良のトピック
う、故に我あり」の命題によって哲学の第一原理を確立。さらに、この思惟する実体と延長を本質とする物体を、相互に独立とする物心二元論を展開した。また 唯一の基礎的現実をとらえた。 ・ジェルロマン(不明) −>社会の連帯感情を問題にした。 「強靭な理知による精神とは」 ?デカルト
疎外論・物象化論研究会のトピック
ヒューマニズムは近代市民社会の中での個の自立と関連する。それが認識主観の確立となって、ベーコンの経験論やデカルトの哲学の第一原理としての「コギト(考える我)」の確立となり、客観
背理・逆説・パラドックスのトピック
している自分だけは疑いきれないと気づき、そのようにして発見された自己を哲学の第一原理としたのでした。 …が!しか〜し! 《『「我思う、故に我あり」と思う我あり』と思 デカルト→ドゥルーズのパラドックス