十代のデビュー時から、現在に至るまで清純派を貫いているのが、女優・吉永小百合サマですが、映画監督・五社英雄氏はある程度のキャリアを積んだ女優が、清純派であることを好まなかったそうなのです。

五社監督と言えば、「吉原炎上」「極道の妻たち」「鬼龍院花子の生涯」「陽揮楼」が有名ですが、たしかにこれらの映画にわかりやすい清純派は存在しない。まず、みんないわゆる堅気ではなく、けれど、オトコの言うことを聞くだけの女でもありません。だからといって、すれっからしというわけでもなく純粋さも感じられる。それでは、これらを取った五社監督というのは、どんな人なのか。監督のひとり娘である五社巴氏による「さよならだけが人生さ 五社英雄という生き方」(講談社)をもとに、監督の人生を振り返ってみたいと思います。

  • イラスト:井内愛

生前に建てた墓に「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生さ」と刻んだ監督

五社監督は生前にお墓を立てていて、そこに「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生さ」と刻んでいたそうです。これは武隆の「勧酒」という漢詩を、作家・井伏鱒二が和訳したものの一部ですが、ちょっと意外な気がしたのです。五社監督と言えば、拳銃を所持していて銃刀法違反で逮捕されたことがありますし、体に刺青をしていると週刊誌か何かで読んだ気がします。そんな人ですから、もっと任侠的なもの、力強いものを好むのではないかと思ったのです。

しかし、五社監督の人生をなぞっていくと、いくつものさよならに彩られていることは、確かです。吉原で飲食店を営む家の子どもとして生まれた監督ですが「カタギではない」と差別されたこともあったそうです。詳しい理由については触れられていませんが、ご兄弟とも縁が切れてしまったそうです。大学を卒業した後は映画監督を目指しますが、不採用。せめてマスコミにということで、ニッポン放送に入社し、そこからフジテレビに異動します。ここでドラマのヒットメーカーとなり、念願の映画制作も挑戦できるようになりました。

妻の失踪で残った多額の借金、娘の事故……プライベートもトラブル続き

しかし、好事魔多しというべきか、その頃にフジテレビに労働組合が発足します。労働者の権利を尊重することは、会社にとっては時に脅威となりえます。そこで、会社側は、組合をつぶすために第二の組合を作ることを思いつき、五社監督にそのトップになることを依頼します。恩義あるフジサンケイグループの鹿内信隆氏から頼まれたら、イヤとは言えず引き受けた監督ですが、映画を共に作っているスタッフはみな本流の労働組合所属。ギスギスして仕事がやりにくくなったことは、言うまでもありません。

プライベートでもトラブルに見舞われます。家庭を顧みず仕事をし、オンナ遊びをしても文句を言わず、脚本家や若い俳優の面倒まで文句ひとつ言わず見てくれた妻が、失踪するのです。残されたのは二億円の借金でした。妻はいつのまにかホスト遊びにはまっていて、夫の実印を使って借金をしまくっており、監督とお嬢さんは借金取りに追われることになります。悪いことは重なるもので、最愛のお嬢さんが交通事故に会い、危篤状態に陥ります。

さらに、拳銃を所持していたことを警察にタレこまれ、逮捕されてしまいます。警察のお世話になっては、会社にいるわけにはいかないでしょう。妻に去られ、山の手に建てたマイホームも手放し、お嬢さんは命はとりとめたものの社会復帰できるかは不確かで(快癒され、後に週刊誌の記者として活躍されます)、監督は借金返済のためにバリバリ働かなくてはいけないのに、会社という安定ともさよならすることになってしまったのです。

超有名な「なめたらあかんぜよ」は、監督が現場で急遽付けたした

飲み屋のマスターになることも考えた監督ですが、かつての盟友たちの助けにより、宮尾登美子の「鬼龍院花子の生涯」(文藝春秋)の映画化に着手します。映画の決め台詞「なめたらあかんぜよ」は監督が急遽付け足した言葉ですが、おそらく、これは監督自身が抱えていた、心の叫びなのではないでしょうか。「陽揮楼」の映画化の際は、全身に刺青を入れたそうです。刺青は任侠界の人だけでなく、願掛けとして入れる人もいるそうです。この頃、監督は希死観念にとらわれ、それなら死ぬ覚悟で刺青を入れたらどうかと勧められたそうですが、刺青を入れたら、世間は自分をどう見るかわからないはずはない。何かにさよならする気持ちがなければ、踏み切れなかったのではないでしょうか。

「鬼龍院」の後、「極道の妻たち」や「吉原炎上」などヒットを連発した監督ですが、病に倒れます。お葬式というのはその人の通信簿とも言われ、弔問に訪れた人数や斎場のレベルで、その人の“格”が知れるという人もいます。しかし、監督はマスコミに死を公表することすら嫌がったそうです。

監督が型破りで波乱万丈の人生を生きたことは間違いないでしょう。しかし、同時にすごく繊細な人なのだと思いました。お嬢さんと交わした言葉は優しく、細やかで愛情深い人だと感じます。仏教では、子どもが先に亡くなることを逆縁と言い、一番の苦しみと定めているそうです。多くのさよならが監督の作品に生きているのだと思いますが、逆縁というさよならがなかったことに、胸をなでおろすのでした。