その道のレジェンドの言葉を読んでいると、分野は違えど、あ、これ、あの人も言っていたと既視感に驚くことがあります。

  • イラスト:井内愛

女性のレジェンドのほうが「私はフツウ」と言いがちなのはなぜ?

そのうちの一つが、「私はフツウ」。特に女性のレジェンド、美空ひばりさんや、松田聖子中森明菜など国民的スターが、自著や取材でこう答えています。本気で調査したわけではないので、たまたま目に付いただけの可能性も否めませんが、この言葉を口にするのは、どちらかというと女性のほうが多い気がします。女性のスターのほうが「私はフツウ」と言いがちと仮定して話を進めますが、なぜ女性のレジェンドのほうが「私はフツウ」と言うのか。それは、やはり女性には「こうあるべき」という鋳型のようなものがあって、スターと言えども、そこから逃げることはできなかったからだと思うのです。

たとえば、美空ひばりさんは若い頃、あるバンドマンと恋をした時のこと。芸能界の格で判断するなら、彼のほうが下。当時の価値観では、妻の方が社会的地位が高いと「オトコのプライド」を傷つけてしまうため、夫婦はうまくいかないと考えられていましたが、ひばりさんと恋人にとって、そこは問題ではありませんでした。しかし、彼は結婚したら、ひばりさんに引退して、嫁もしくは主婦になってほしかった。ここで折り合いがつかず、二人は別の道を行くことになりますが、どんなに才能があっても、例外なく「女性は結婚したら家庭に入るべき」という考えが透けて見えます。

聖子の不倫が擁護された背景には

今、芸能人の不倫はぶっ叩かれますが、一時、この人の不倫だけはほめられました。俳優・神田正輝と結婚した松田聖子は出産すると、お子さんを親に預けてニューヨークに渡り、全米進出を始めます。そこで現地の青年と不倫をし、暴露本を書かれてしまいます。今なら、ヤフコメに批判殺到、活動休止に追い込まれたかもしれませんが、当時の女性文化人を中心に「オトコが女房子どもを置いて、アメリカに行って一旗あげたいと言えば、それでこそオトコだと言われる。オンナが同じことをすると叩かれるのはおかしい」と擁護に回ったのです。聖子擁護の声は「育児は女性の仕事」という考え方にうんざりしている人がいればこそ、だったのではないでしょうか。

中森明菜が当時の恋人の家で手首を切ったことで、週刊誌は「重い女だ、だから、捨てられるんだ」とバッシングを始めます。ちなみに女性芸能人の部屋で、彼氏が自殺をした場合、“魔性の女”と呼ばれてしまう。魔性に魅入られて、命まで取られてしまった男性は被害者と言いたかったのでしょう。

スターだから、こちら一般人とはメンタルが違う、だから叩いても大丈夫とばかりにマスコミは叩きますし、実際、彼女たちのようなスターをバッシングする記事を出すと週刊誌の売り上げが伸びるので、バッシングはやまない。こんな時、女性芸能人は「わたしだってフツウの人間なのに……」と思ったのではないでしょうか。

稲葉浩志の名言「自分はフツウ」

男性にはこのような圧がないため、「自分はフツウ」という発言をしないのかと勝手に思っていましたし、むしろ、男性は「俺は生まれながらに選ばれた人間だ!」と言いがちなイメージがあったのですが、この方は違う。RED chairに出演したB’Zの稲葉浩志。デビュー35周年を迎えていますが、今もロック界のトップランナーとして君臨しています。 岡山県津山市に生まれ、横浜国大の教育学部に入学するという、典型的な「デキる子、いい子」だった稲葉さんは、音楽の世界に飛び込んで、親御さんを驚かせます。しかし、すぐに売れてしまうのがさすが天才。

「自分はフツウ」と言う発言だけでなく、稲葉さんは自分の来し方を自虐するわけでもなく、笑わせるでもなく、たんたんと語っていきます。その時に思い出したのが、以前、ご紹介した編集者・見城徹氏の発言なのでした。名編集者として知られる同氏は、出会った人が売れるか売れないかがすぐにわかるそうで、その時のポイントの一つが“自己嫌悪”を持つかどうかなのだそうです。

ジャンルを問わず、物を作ろうという人は自己顕示欲が強い。売れる売れないは別として、「表現しなければ死んでしまう」という人でないと、競争の激しい、創作の世界で生き残ってはいけない。ただし、見城氏曰く、自己顕示欲だけの人が作るものは薄っぺらくて、とても見られたものではないのだそうです。「これは世界一面白い」と信じて疑わない心と、「オレなんて、つまらない人間だよ」という、うじうじした自己嫌悪が混じっていないとバランスが悪いのだそう。ただ、この自己嫌悪が強すぎると、メンタルのバランスを崩して、手首を切ってしまいかねないので、塩梅が難しそうではあります。

ダイヤモンドのきらめきを決めるのは、原石ではなく、カットと研磨にかかっていると言われています。ダイヤモンドに注がれた光をいかに屈折させ、反射させられるかで輝きが全然違ってくるそうなのです。カットが細かければ細かいほど、輝きは増していき、表面を磨きまくることで仕上げるそうです。スターに人権がないという意味では決してありませんが、スターというのは軽い自己嫌悪故に「傷つけられること」を受け入れる鈍感さを持ち、自分を磨くことを忘れない人のことを指すのかもしれないと思うのでした。