『あなたがしてくれなくても』奈緒“みち”に芽生えた自立心、岩田剛典“新名”との別れを選ぶ急展開

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『あなたがしてくれなくても』奈緒“みち”に芽生えた自立心、岩田剛典“新名”との別れを選ぶ急展開

誰か一人が悪いわけではない。結婚も離婚も、二人の「関係性」の問題だから。6月15日放送の『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)第10話は、吉野みち(奈緒)と陽一(永山瑛太)、新名誠(岩田剛典)と楓(田中みな実)夫妻がついに離婚を決断。それぞれの道へと歩みだす。それによってみちと新名は公然と日向の道を歩めるわけだけど、どうやらみちの思いは違うようで……。

「自分の足で立つ」ことを知ったみちの変化

新名の母・幸恵(大塚寧々)が亡くなったとき、幸恵の夫は脇目も振らず泣いていた。それを周りの人は「愛だね」と思うかも知れない。でも、もし夫が「家事労働をしてくれる妻」「自分の老後の面倒までサポート・ケアしてくれる妻」として幸恵のことを見ていたとしたら。

福祉政策を家族主義に頼っている日本の現状を思うと、そんなことも考えてしまった。みちは陽一に「陽ちゃんは私のことを好きなんじゃないよ。自分のことが好きなんだよ」と言っていた。妻がいないと自分が困るから。自分が寂しいから。新名の父も、陽一と同じなのではないだろうか。

昇進試験を受けることは、みちにとって大きな変化だった。今までは一人での生活なんて考えたことがなかったし、バリバリ仕事をする自分も想像できなかった。それよりも家庭を、家族を中心に生きる人生こそが善だと思っていたから。その呪縛が解かれたかのように勉強するみちは、なんだか生き生きとしていた。

それは勉強会で新名に会えるからではなく、「学び」が自分を助けることを知ったから。誰かの中に自分を探すのではなく、本当の自分を追求するのに「学び」は大きく役立つ。

そして今回も北原華(武田玲奈)が素晴らしい行動を見せた。華の“諜報活動”のおかげで、新名と陽一もついに対峙する展開となる。ただ、面と向かって(比喩ではなく)とはならず、横並びの席で目も合わせられない感じに、リアルさを感じた。相手に弱いところを見せられないという男の強がりが互いに見える。本当にこういうとき、プライドって邪魔だ。

ただ、みちが話し合いで家に帰ってきたとき、家が片付いていたことは地味に感動した。陽一の手には掃除道具が。一人だと自堕落で部屋を汚しまくる様子を度々目にしてきたが、ここへきて陽一にも変化が見えてきた。

みちの気持ちをちゃんと聞く姿勢も、弱音を吐いたり、ジョークを言って微笑む余裕も、陽一は手に入れた。本当はここからが夫婦としての新たなスタートにできたかもしれないが、今の二人にとては離婚が最善の決断に違いない。

一方で、新名夫婦も互いに反省し合っていた。新名を手放す決意をした楓はますます素敵な女性になっていく。いや、元々そういう人だった。仕事が大事で、夢も諦めたくない。その姿勢をずっと貫いていってほしい。だからこそ、編集長にはなれないという展開はつらい。こういうとき、楓のそばに誰かいてくれたらよかったのに。それができるのが新名だったのに。

お互いの離婚が成立したことで、動き出した新名。新名は純粋にみちへの恋心を燃料に進んできた。しかしみちは、これまで知らなかった「自分の足で立つ」感覚をやっとつかめそうになってきたところ。誰かに頼らず、一人で生きてみたいという気持ちが芽生えてしまっている。

恋愛ってつくづくタイミングだよなと思う。だからここまで流されてきたみちの変化を「ずるい」とは思わない。陽一と新名はみちに対して「邪魔しないであげてください」「あなたも邪魔しないであげてくださいね」と言い合っていた。みちの決断に対して、その約束は守られるべきなのだろう。

不安定な心の動きを繊細に表現する奈緒の演技力

そろそろ奈緒の演技についても触れておきたい。奈緒といえば『あなたの番です』での尾野ちゃん役でみせた怪演が話題となったが、彼女の演技の魅力はそこだけでは語りきれない。一番びっくりしたのは永野芽郁主演の連続テレビ小説『半分、青い。』で、ヒロイン鈴愛(すずめ)の親友・菜生(なお)を演じたときだった。

ヒロイン然とした天真爛漫な鈴愛をそばで支えるいじらしい役柄で、性格は鈴愛と似ているところもあるが、素直ではなく少し強がっている部分があった。太陽のようなヒロインを引き立てる月のようなポジションでありながら、月としての輝きが半端なかったのだ。

ヒロインの名前を呼ぶ際に呼称が「鈴愛ちゃん」「鈴愛」「鈴ちゃん」と変わるのだが、それに連動する心情の変化が演技では繊細に表現されていたから。今は親友として対等に話している、今は姉のような気持ちで見守っている、今はきっとヒロインに劣等感を抱いている、……そういうことが、言葉の発し方や態度によって十分に伝わってきていた。

今回のみちという役も、ヒロイン然としていないという意味ではどこか似ている。みちは本来、主役になりえないキャラクター像だと思う。自主性がみえるという意味では、楓や華のような女性の方がヒロイン気質を持っている。

そんな流されまくりだったみちが、離婚を経て自主性を確立していく過程を軸とするならば、今作はみちがヒロインになるための成長物語として見ることもできそうだ。

優柔不断で常に誰かに寄りかからなければ生きてこれなかった女性が、自分を取り戻していく。みちがそういうマイナスの部分からの変化を体現する役だとすれば、奈緒という俳優を起用した意味がわかる。不安定にも見える心の機微を表現させたらピカイチだから。

人って誰しもが本来不安定な存在だと思う。だからこそ、奈緒の演技をみているとリアルにこういう人っているよなぁと感心してしまう。役者にとって本当に必要なのは圧倒的な存在感ではない。どれだけ自然体で役に自分を投影できるかだ。

(文:綿貫大介)