『いちばんすきな花』田中麗奈“美鳥”が浮き彫りにする、4人という集団の圧力

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『いちばんすきな花』田中麗奈“美鳥”が浮き彫りにする、4人という集団の圧力

日常の些細な場面で感じる生きづらさを抱えた潮ゆくえ(多部未華子)、春木椿(松下洸平)、深雪夜々(今田美桜)、佐藤紅葉(神尾楓珠)。4人を見ながら、すごく近いところがあるようで、どこか遠いような、あと一歩踏み込めないもどかしさを感じていた。

この4人との間に引かれた境界線の正体が、志木美鳥(田中麗奈)の登場でわかった。

「私、2人って好きなんだよね」

世の中には、2人組が苦手な人もいれば、2人組の方が落ち着く人もいるのだということ。『いちばんすきな花』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)第9話が描いたのは、誰かの居場所が、誰かを追いつめる難しさだった。

学校が苦手のままの大人がいてくれるありがたさ

生方美久という脚本家は、とても不思議な作家だ。時折、サイドキャラクターの方がぐっと解像度が濃くなって、メインキャラクター以上にのめり込んでしまうことがある。『silent』でいえば、個人的には青羽紬(川口春奈)や佐倉想(目黒蓮)より、桃野奈々(夏帆)の痛みに胸がかきむしられた。今作では本格的に登場したのは前回からにもかかわらず、すっかり美鳥の人生に心を奪われている。

美鳥はいろんなことを背負って生きてきた。あくまで語られるのはゆくえたちの視点からだから、背負ってきたものの中身までははっきりとわからない。家庭に恵まれず、今も親との折り合いは悪いままであること。一度結婚したものの、その結婚生活は決して幸せなものではなかったこと。自ら多くを語らない美鳥の痛みは、あとは想像するしかない。でも、そんな余白があるからこそ、美鳥に自分を重ねやすいのかもしれない。

美鳥の人生は、4人の何気ない言葉からいくつも影響を受けてきた。そうやって選んだ美鳥の選択肢が、また違う4人の誰かに影響を与えてきた。

夜々に教えるのが上手いと言われて、先生になりたいと思うようになり、アルバイト先の塾でゆくえと出会った。そして、自分には無理だから、他の学校が嫌いな先生に任せるというゆくえの言葉に背中を押されるように高校教師となり、紅葉と出会った。夜々がいなかったら、ゆくえは美鳥と出会わなかったかもしれないし、ゆくえがいなかったら、紅葉は美鳥と出会わなかったかもしれない。出会いは小さな偶然の積み重ねで、それを人は奇跡と呼ぶ。

「人から教わったものが、また他の人につながっていくのって面白いなあって」

美鳥の言葉通り、美鳥から教わったものは、美鳥の手を離れ、どんどん知らない誰かのもとへと運ばれていく。「よそはよそ。うちはうち」「お邪魔しました」「またおいで」。あのときのあの言葉は、どれも美鳥からの受け売りだった。ロールキャベツの味のように、大事なものは体にずっと息づいている。渡り鳥のように生きてきた美鳥だけど、決してはぐれ鳥なんかじゃない。それぞれにとって、大切な人だ。

ゆくえや赤田鼓太郎(仲野太賀)の前では距離の近い先生みたいな存在で、椿の前では少ない言葉でいろんなことをわかり合える理解者みたいな存在で、夜々の前ではお姉ちゃんみたいな存在で。

個人的には、紅葉との関係がいちばん素敵だった。結婚生活のこともあって、たぶん美鳥がいちばんささくれだっていた時期。周りに流されて興味のない雑談や噂話ばかりに興じている紅葉のことが、かつて自分に後ろ指を差してきた級友たちに重なったのかもしれない。あるいは本音を押し殺して生きている今の自分に見えたのかもしれない。紅葉に向けた美鳥の言葉はどれも辛辣だった。でもそれが紅葉にはうれしかった。

「嫌いな自分を否定してもらうことで、自分を肯定してもらえた」

このややこしい感情を、こんなにも鮮やかに言語化してしまうところが、生方美久の台詞の面白さだろう。間違いだらけの答案が、紅葉の生き方そのもので、落書きに書き足した満開の桜は、いつも不機嫌の殻で身を覆っていた美鳥が不意に漏らした優しさそのものだった。

卒業式の日、美鳥は紅葉をそっけなく手で追い払った。あのとき、それを無視して、紅葉が声をかけても、やっぱり記念にツーショットは撮ってくれなかっただろうか。大人になっても美鳥は学校が苦手のままで、高校の先生は正直向いていなかったかもしれないけれど、今ならわかる、大人になっても学校が苦手のままの大人がいてくれるありがたさが。

4人になると今度は自分たちが他者を孤立させる側になる

だけど、そんな美鳥が4人に混じってしまうと、美鳥は美鳥らしくいられない。お揃いのマグカップ。ゴミ袋の保管場所も、キッチンペーパーのストックも、全部わかっている距離の近さ。どれもゆくえたちにとっては当たり前。だけど、あとから入ってきた美鳥には圧であり恐怖にすら見える。

集団からつまはじきにされたような疎外感を抱えて寄り集まった4人だけど、4人になると今度は自分たちが他者を孤立させる側になる。そこに悪意があるかどうかなんて関係ない。ゆくえたちを居心地悪くさせた他者だって、みんなが悪意があったわけじゃない。ゆくえたちが勝手に悪意を感じ取っただけ。人はいつも傷つけられる側にもなるし、傷つける側にもなるのだ。

美鳥は、それぞれと2人でいるときは楽しいけれど、5人になると違和感が拭えない。4人から見たときの美鳥のキャラクターが違うように、ゆくえも、椿も、夜々も、紅葉も、美鳥と一緒にいるときと、4人と一緒にいるときでは、ちょっとずつキャラクターが違う。

2人で一緒にいるときは楽しいのに、集団で一緒になるとよそよそしかったり、扱いが雑になる人はいて。それは、集団の調和やパワーバランスをとるためだからしょうがないことなんだけれど、でもその違いに傷つくことは普通にある。集団ってキツいなと思うことは僕の人生にも何度となくあった。

だから、今でも大勢の飲み会は苦手だし、どうせ飲むならサシ飲みの方がずっといい。そういう自分にとっては、2人組が苦手な4人より、2人組の方が自分らしくいられる美鳥の気持ちの方がよりわかる気がした。

美鳥は、一旦北海道へ帰った。どうか美鳥が自分の帰りたい家を取り戻すことが、4人の居場所を壊すことになるという罪悪感を抱えていなければいいなと思った。オレンジのガーベラの花言葉は「忍耐強さ」。周りの空気を感じ取ることに長けてしまっている美鳥だからこそ、つい我慢して、自分の幸せを後回しにしてしまいそうで、勝手に胸が痛んでしまう。

オレンジのガーベラの花言葉は「忍耐強さ」の他にも「冒険心」がある。美鳥には、親も、過去も、他者への気遣いも全部放り投げて、思い切り冒険してほしい。どこまでも高く高く飛んでいく鳥のように。