『いちばんすきな花』が示す、違いを乗り越えるための唯一の架け橋

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『いちばんすきな花』が示す、違いを乗り越えるための唯一の架け橋

考えが合わないこと。価値観が相容れないこと。想いが重ならないこと。人と人が生きていれば、そんな違いはしょっちゅうだ。他者とのズレは孤独を深めていくけれど、でも違うからこそ手をつなげるときもある。

いちばんすきな花』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)第10話は、違いは決して間違いではないということを教えてくれた。

ゆくえや椿と、ネットユーザーの決定的な違い

どんなに居心地が良くても、どんなにかけがえのない存在でも、想いが届かないことはある。深雪夜々(今田美桜)は、春木椿(松下洸平)が好き。佐藤紅葉(神尾楓珠)は、潮ゆくえ(多部未華子)が好き。でもどちらの好きも、報われることのない好きだった。

きっとお互いが求めているものが違うのだろう。椿にとっての夜々は、何でもはっきり言うけど、時々脆いところのある年下の女の子。ゆくえにとっての紅葉は、小さい頃からよく知っている、世渡りが上手そうで下手くそな年下の男の子。ほっとけないところはあるけれど、恋愛対象からは枠外。こればかりはどちらが悪いわけでもない。価値観が違うとしか言いようがない。

紅葉の装丁のイラストをゴミ同然にこき下ろした人たちと同じだ。紅葉の目指すいい絵と、その人たちの思ういい絵が違うだけ。受け入れられなかったことを怒ってもしょうがないし、自分の良さがわからないなんてどうかしてると相手を見下しても虚しくなるだけ。話し合ってもわかり合えないことが、この世にはきっと多い。

でも同じ価値観の違いでも、夜々や紅葉の想いに応えられなかった椿とゆくえと、紅葉のイラストを批判したネットの声では、決定的に異なるところがある。それは、相手のことを思えているかどうか。恋愛としての好きではなかったとしても、夜々や紅葉が大切な存在であることに変わりはない。だから、椿も、ゆくえも、誠実に、相手を傷つけないように、自分の正直な気持ちを伝える。

でも、ネットの声は、その向こう側にいる本人のことなんてまるで考えない。だから、相手が読んだときに傷つくような言葉を平気で使う。それは、正直な声ではない。ただ無自覚で無神経なだけだ。

この世には、1人として同じ人間はいない。考え方もみんなちょっとずつ違うから、人と人が2人以上になれば必ずズレは発生する。その違いをどれだけ尊重しながら認め合えるか。世の中の言う多様性とは、つまりそういうことなんだろう。

泣いている夜々に何も言わず寄り添い、そっとティッシュを差し出す椿も、結婚したらこのみ(齋藤飛鳥)が妹になるんだよと冗談めかして場を明るくするゆくえも。どちらも、それぞれの優しさがつまっている。こんな優しさで違いを受け入れ合えたら、どんな違いも間違いだとは思わなくなるのだろう。

名前を知ったら、もうただの花ではなくなる

でも、現実はそんなに優しい人ばかりではない。もっと正確に言うと、誰しも優しさは持ち合わせている。でも、その優しさを全方位に発揮できるわけではないということだ。

ゆくえも椿も、紅葉や夜々が大切だから優しくできるだけで、どうでもいい人にまで優しさを尽くせるわけじゃない。紅葉のイラストを悪しざまに書き立てたネットユーザーも、きっとリアルの友人や恋人に対しては、人のつくったものをゴミだなんて書く人とは思えないような優しさを見せているはず。だから、世の中は難しい。

教室に入ることができない望月希子(白鳥玉季)に対するクラスメイトのリアクションも近いところがあるのかもしれない。扉の前で立ち尽くす希子に「入ってくればいいのにね」とささやきつつ、誰も「おはよう」とは声をかけない。異物を見るような視線が、余計に希子の足を凍らせる。自分は、受け入れられていない。排他的な空気が、全身を針のように突き刺す。

廊下には「責任感を持ち 時に助け合い みんな仲良し」と歯の浮くような標語が飾られている。きっとクラス全員の手形なんだろう。色とりどりの手形の中心には、「みんなの力」。いかにも先生が好みそうな、協調性の象徴。でも、そうやって先生に言われるがまま手形を押している生徒たちが思っていることなんて、手がペンキで汚れて嫌だなということぐらいだ。誰もこんなことをやってクラスの団結力が高まるなんて信じていないし、全員が仲良しになれるわけないし、なる必要もないと思っている。

それでも、疑問を持たないふりをして、手形を押せる子と、その行為の不気味さが受け入れられなくて、離れる子。希子と、その他のクラスメイトを分ける違いがあるとしたら、そこだ。その違いが教室という狭いコミュニティで生きる上では致命的な差になる。

でも、穂積朔也(黒川想矢)のように声をかけてくれる人もいる。朔也と他のクラスメイトの何が違うかといえば、希子のことをよく知っているかどうかだ。そして、あらゆる違いを乗り越える架け橋となるのも、相手のことを知っているかどうかなんだと思う。知っている人には優しくできる。でも、知らない人にまで優しさを分配できるほど、みんな余裕があるわけじゃない。だから、知ることが大事なのだ。相手のことを知りさえすれば、粗末になんて扱えない。

それは、希子にも言える。希子もまたクラスメイトたちのことをよく知らないし、知ろうとしていない。何を言っていたかわからないけど、ネットニュースの見出しみたいに嘘を本当っぽく言っていると思い込んでいるのは、希子がクラスメイトのことを知らないからだ。知らないから、簡単に悪役にできる。もちろんそんなふうに俗っぽい噂の対象にしている子もいるだろう。でも、全員がそうなわけじゃない。実は朔也のように、本当は希子と話をしてみたい子もいるのかもしれない。

志木美鳥(田中麗奈)が紅葉に対して、「みんなじゃないってことが救いだった。みんなが自分を同じように見ていると思っていたから、違う人もいることに安心した」と感じたように。知らなければ、何もわからない。

考え方は、みんな違う。価値観も、人それぞれ。想いが通じ合うこともあれば、一方通行で終わることもある。そんな世の中でいちばん大切なのは、相手を知ること。花だってそう。名前を知らなければ、どの花も花でしかない。でも、ガーベラ、チューリップ、アジサイ、コスモス、パンジー。名前を知ったら、もうただの花ではなくなる。だから、私たちはもっともっと知る必要があるのだ。世の中のことを、すぐそばにいる他者のことを。

そして、それでも知らない人からわけのわからないことを言われたら、そのときは夜々みたいに思い切り言い返してやればいい、「バーカ、バーカ」と。