全国各地で勃発する嫁姑問題。Twitterでは3人の男の子を子育て中の秋山さんの義母ツイートが話題を呼んでいる。「孫の誕生日プレゼントは水ようかんの空き容器」「手土産にお菓子よりも現金を要求する」......そんな衝撃的な義母との終わらない戦いに挑む秋山さん。今回は「お義母さんが嫁にしたかった人」の話をお届けしよう。

  • 義母には息子の嫁にしたかった人がいて?

義母には忘れられない人がいる

夫と私は大学1年生の春に知り合った。20歳で初めてお義母さんに会い、その数年後に結婚する。結婚の挨拶にどこかのホテルを利用した時、お義母さんはこんなことを言っていた。

「アキちゃん(夫)はあの時の子と結婚すると思っていた」

『あの時』という言葉が何を指すのか、当時の私には分からなかった。お義母さんはそれからもしばらく思い出したように『あの時の子』の名前を出した。あまりいい気分はしない。夫に話すならまだしも、結婚後に私にそれを聞かせるのは、どこか不満をぶつけられている気分にもなる。

思い出の『あの時の子』は誰?

ある日また『あの時の子』の話が出た。ここは一度はっきりとさせておいた方がいい。

「お義母さん、あの時の子って、誰ですか?」

お義母さんはプレゼントのリボンを大事にほどく少女のような顔で話を始めた。

あれは夫が大学2年生の春。彼は新入部員獲得のため新歓コンパの盛り上げ役を買って出て、そしてベロベロに酔っぱらった。先輩からの呼びかけにも呂律の回らないタメ口で「大丈夫だからもっと飲もう」と肩を叩き、千鳥足で駅まで向かうも、あろうことか定期券入りの財布をどこかに落とし、帰りの電車賃もないような状態だった。

「その時、あの子が来てくれたの」

お義母さんの見初めた相手は、酔いつぶれた彼を優しく介抱し、駅のホームでミネラルウォーターを買って、酔いが醒めるのを一緒に待っていてくれたようだ。途中戻してしまった彼のために自分のタオルを差し出し、駅員を呼びに走った。

「ここからが凄いの」

彼女は彼から実家の電話番号を聞き出すと、お義母さんとコンタクトを取ったらしい。

『家までたどり着けないかもしれないので、お手数ですが迎えに来ていただけませんか?』

連絡を受けたお義母さんは真っ青だ。大事な息子が自力で帰れないほど気分が悪いというのだ。すぐに着の身着のままで家を飛び出し、駅の改札前で待機する。ほどなく指定された時刻の電車が到着し、重傷を負った兵士のように肩を担がれこちらにやってくる息子が見える。母は息子に駆け寄る。「アキちゃん! 大丈夫? アキちゃん!」

付き添いで来てくれた彼女は、その様子を見届けると「よかったです」と言い残し足早に去ってしまったらしい。お義母さんはその子の連絡先も名前も聞かなかったことを今も後悔している。

「あれだけのことをしたのに、名乗らずスマートに去れるような人はそういないわ。アキちゃんに聞いても覚えてないっていうの。借りたタオルも返せないままだわ」

それからというもの、事あるごとに思い出すのは彼女のことで、私との結婚が決まってからもどこか胸に引っかかるものがあるらしい。

その話を聞いて私も思うところがある。

その介抱をしたのは、私だ。

あの日、私は出る予定のなかった新歓コンパに無理やり呼ばれ、すっぴんにキャップをかぶって参加した。大騒ぎする彼を見ながら、いつもよりハイテンションだなと思っていたら、案の定解散する頃には呂律が回らなくなっている。2次会が終わって店を出たのが23時過ぎだ。

「任せたぞ」と言い残し同期は散り散り。財布をなくしても陽気に歌っている夫の姿に舌打ちをしながら切符を買い、ホームまで付き添った。都心の実家に住む彼とは違い、当時私は郊外に住んでいた。終電が迫る。どうにか酔いを醒まして電車に乗せたいが、水を飲んでいる途中で口からキラキラしたものが出てきた。咄嗟に持っていたタオルを使った。あれは確かに私が上京する際に実家から持ってきたお気に入りのタオルだったが、返してほしいなどとは全く思っていない。早く忘れてほしい。

お義母さんの思い出話によると、私は彼から実家の電話番号を聞き出したことになっているが、それはウソだ。何度肩を叩いても背中をさすっても出てくるのはゲロばかりで、電話番号など言うはずもない。しょうがなく携帯電話のロックを解除し実家に電話をかけたのだ。ちなみにロックの解除番号は私の誕生日だった。

お義母さんに電話をした時も、本当は現場まで迎えに来てほしかった。彼は上りの電車に乗るが、郊外に住む私は下りの電車に乗らなければならない。まったくの逆方向だ。だから「迎えに来てほしい」と言ったのだが、お義母さんはとても慌てた様子で「駅の改札で待ってます!」と伝えてきた。え、私が行くんですか? 焦りと怒りで手に汗が滲む。隣で寝息を立てる夫に「寝るな」と何度もビンタしながら、最寄り駅まで付き添った。

改札前には予告通りお義母さんがいた。とても取り乱した様子で息子の名前を呼んでいる。私などまるで目に入っていない。改札前の時計を見る。終電が迫っている。次の急行を逃したら本当に家に帰れない、状況説明もそこそこに、私はダッシュで引き返した。

これが真実だ。とてもお義母さんの言うようなステキな話ではない。

「アキちゃん、お酒なんて飲めるような子じゃないのに……たくさん無理をさせられたのかしら」

違う。彼は先陣を切って酒を呷り大声で大学の校歌を歌い、そして勝手に潰れたのだ。かくしてステキな女性像は独り歩きし、今もこうして伝説のように語り継がれているというわけだ。

「あの子がお嫁さんだったらどうだったのかって、今でも少し想像したりするのよ(笑)」

よかったですねお義母さん、それ私です。