mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了【読書会】カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?

詳細

2024年05月06日 11:59 更新

カントの哲学に興味をお持ちの方々へ。私たちはカントの著作をより深く理解し、議論するための読書会を開催します。

この読書会では、カントの『純粋理性批判』を元にしてカント哲学について掘り下げ、互いに学び合う機会を提供します。初心者の方々も大歓迎です。事前の準備として、まず西研氏の『カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?』を購入してください。この本の記述に沿って読書会を行います。興味を持っていらっしゃる方なら、どなたでも参加できます。

読書会では西研 著『カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?』を使用します。スケジュールは以下の通り。

5月・・第1章 近代哲学の2大難問
6月・・第2章 科学の知は、何故共有できるのか
7月・・第3章 宇宙は無限か、有限か
8月・・第4章 自由と道徳を基礎づける
9月・・特別章 何故認識論は必要なのか

10月は予備です。何もなければ総括として議論します。

皆さんのご参加を心よりお待ちしています。一緒にカントの哲学の世界を探求しましょう!
ご質問や参加希望の方は、お気軽にどうぞ。

【参考書籍】
『カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?』
西研 著(NHK出版)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CGHS6BJL/

コメント(426)

  • [390] mixiユーザー

    2024年07月25日 22:43

    単なる解説書を読んでカントに「スピリチュアルとか量子的な見方にも共通する感じ」を抱くこと自体が誤読だと思う。
  • [393] mixiユーザー

    2024年07月25日 22:56

    >>[390]

    ”Kritik der reinen Vernunft”
    カントをドイツ語の原書で読まれてるんですか?
  • [394] mixiユーザー

    2024年07月25日 23:12

    『純粋理性批判』の翻訳って、
    代表的なものでも、少なくとも9人の翻訳者がいるようですね。
    よく見かけるのは、中山 元、熊野 純彦、篠田 英雄、石川 文康、原 佑。
  • [396] mixiユーザー

    2024年07月25日 23:33

    >>[395]

    おもしろい記事ですね。
    「カント、恐るべし」ですw
  • [399] mixiユーザー

    2024年07月27日 09:01

    しれっと始まる、超無駄時間…
  • [400] mixiユーザー

    2024年07月27日 09:05

    >>[399]

    高校の数学も、ろくに理解できない底の浅いバカ。
    読書会を荒らすな低能w
  • [401] mixiユーザー

    2024年10月31日 18:23

    さて、そろそろ始めようかw
  • [403] mixiユーザー

    2024年10月31日 18:49

    最後の「ブックス特別章 なぜ認識論は必要なのか?」が残ってました。
    1章〜4章までで忘れている箇所もあると思うので
    復習して思い出しながら、最後の章を読みたいと思います。
  • [404] mixiユーザー

    2024年10月31日 19:10

    未読の積読がたくさんあるので、こちらは少しずつ進めていきますw

    カントの『純粋理性批判』には、少なくとも2つのアイデアがあったように思います。
    1つは、主観と客観の問題です。
    我々は叡智界に在る「物自体」を直接は認識できないけれど、
    それらを共通の枠組み(共通規格)のメガネで捉えるために、同じものとして共有できるのでした。
    2つ目は、アンチノミーの問題。
    これは ”理性が暴走” することによって、答えの出ない問いを作ってしまうというものでした。
    かなり大雑把ですが、こんな感じでしたねw
  • [406] mixiユーザー

    2024年10月31日 19:38

    >>[405]

    そうですね。
    この世界は現象界と叡智界に分かれていて、
    現象界に居る我々は、叡智界に在るものを直接見たり感じたりできない。
    叡智界にある「物自体」は、我々に ”共通の枠組み” があるから
    同じものとして認識できるというわけです。
  • [408] mixiユーザー

    2024年10月31日 19:49

    >>[407]

    「概念」とかいうと、いろんな意味が包含されてしまうので、どうでしょう?
    叡智界は実際に「物自体」がある世界ですね。
    我々は、どう足掻いても主観(現象界)からは抜け出せない。
    知覚できるのは物自体が結んだ ”像” というべきものですねw
  • [412] mixiユーザー

    2024年10月31日 20:15

    >>[409]

    確かに、この「物自体」を説明している人は
    「物自体概念」なんていう言葉を使ってるね。
    うーむw

    でも、叡智界が ”概念の世界” だという言い方はおかしい気がする。
    だって、「物自体」はリアルなものだからね。
    リアルだけれど、我々は主観でしか捉えられない。
  • [413] mixiユーザー

    2024年10月31日 20:23

    >>[410]

    我々の主観の枠組みが共通していると、
    目の前にある、例えば「花瓶」が同じ色や形として認識できますね。
    主観的だったものが客観的になります。
    もし、我々の主観に共通した枠組みが無いと、
    「花瓶」の色や形は、各人バラバラに認識されて滅茶苦茶になります(笑)
  • [415] mixiユーザー

    2024年10月31日 20:46

    >>[414]

    その辺は、よくわかりませんね。
    ”神” とか言われると、特に(笑)
    とにかく「物自体」がある世界、おそらくリアルな世界ですね。
  • [417] mixiユーザー

    2024年10月31日 22:40

    >>[416]

    麻雀やってたw あせあせ
    ・・・
    カントはリアルな世界の認識について述べているのだと思いますよ。
    この著作は『純粋理性批判』というように、
    主に人間の ”感性・悟性・理性” のうちの「理性」について検討しよう
    ということなんでしょうね。
    だから例えば、”理性が暴走” してアンチノミーと言われるような
    回答不能の問いが生じてしまうという問題を扱っているわけですね。
  • [418] mixiユーザー

    2025年04月11日 13:46

    さて、認識について、ざっくりとまとめてみます。(かなり、ざっくりとw)

    カントは認識が客観的で普遍的なものとして成り立つのは、
    どの主観にも共通な「ア・プリオリ」な規格が備わっているからだと考えた。
    つまり、各々の主観同士が同じ規格のメガネを通して認識すれば、
    それは客観的であるということでした。

    そして、最後の章にはヘーゲルやマルクスも登場します。
    ヘーゲルは個々人の主観は、他者や社会と切り離されて完全に独立したものではないと考えた。
    このようなヘーゲルの視点からみると、個人の主観だけから認識を問うのは
    「社会的な視点」を欠いたものであって、ダメだということになる。
    個人にとってア・プリオリに与えられているようにみえる思考の枠組みも、
    社会の歴史的発展や個人の発達のなかで形成されてきたものとして捉えられるということですね。
    また、マルクスは社会を動かす原動力は「精神」ではなく「経済」であるとしたのでした。
    人々の意識や社会制度は、その時代の経済に対応したものであると考えたのです。
  • [420] mixiユーザー

    2025年04月11日 20:58

    西研は基本的には竹田青嗣の現象学理解に賛同していて、そちらの系統の人なんだよね。
    だから彼のカント理解も、竹田現象学からの見方だということは留意しておいた方がいいと思う。
  • [421] mixiユーザー

    2025年04月11日 21:50

    >>[420]

    竹田青嗣の現象学は、学者の間ではあまり評判がよくないようですね。
    いわゆる ”標準的な現象学” とは若干の違いがあるとのことですが、
    初学者にはその違いがよくわかりませんw
  • [422] mixiユーザー

    2025年04月13日 01:32

    そしてまた、社会科学者のウェーバーが出てきます。

    社会政策を検討する際は、その政策の根本にある価値観を取り出して
    人々に受け入れられる普遍性を持つかどうかを吟味しなければならないと言っています。
    ウェーバーは、カントの格律の普遍性という道徳法則を社会に適用して、
    その普遍性を検証すべきであるとしたのですね。
    つまり、カントは(各人の)格律が普遍的であれば道徳的であるとしたのですが、
    ウェーバーは、これを社会についての価値観に適用して、
    それが普遍的でなければならないとしたのです。
  • [423] mixiユーザー

    2025年04月17日 14:51

    整理しておくと、
    普遍性のある考えと普遍性(共有性)のない考えがあるということ。
    つまり、カントの言う ”認識批判” とは、認識や価値観について、
    それが普遍性を持つための条件を備えているかどうかを吟味することでした。
    普遍性を持ちえない種類の考えについては、
    その違いを認め合って共存して行くしかないということです。
    また、行為が道徳的であるとは、”格律” が普遍性を持つように行動することでした。
    この「普遍性」ということが、我々が行為したり認識批判をする上で
    非常に重要な性質であると思われます。
  • [424] mixiユーザー

    2025年04月17日 15:09

    『カント純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?』
    最後まで読み終えましたぞ。
    次は、ヘーゲルかフッサールか?w
  • [426] mixiユーザー

    2025年04月17日 18:37

    >>[425]

    はいw
mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2024年10月31日 (木)
  • 都道府県未定
  • 2024年10月31日 (木) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
4人
気になる!してる人
2人