集団自決「日本軍は深い関与」
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特定の民事訴訟の限られた範囲であるが、集団自決における軍の関与に関するひとつの法的な結論がでた。でも、これで歴史認識の問題が決着するわけではない。
沖縄の集団自決における軍の役割がこれだけ騒がれるのは、単に「命令」だったのか「関与」だったのかという技術的な点にとどまらない意味があるからだと思う。
それは、沖縄の人々は日本のナショナリズムの「犠牲者」だったのか「殉教者」だったのかという問題に関連してくるからだと思う。
前者は、琉球が日本に併合され、そこに住んでいた人々が同化された過程の延長としてこの集団自決を捉える。後者は「沖縄」の人は「日本人」であり、国のために殉じたのだと考える。
多分、現実は玉虫色である。勝手な想像にすぎないが、集団自決に及んだ人たちも「愛国心」や軍に対する恐れから機械的に自決した訳ではなく、いろいろなことを考慮して逡巡した結果決断を下したのであろう。
生きていれば、その決断を振り返って擁護したり反省したりするのであろうが、今となっては死人に口無しである。それを後世の人たちが勝手に解釈するのが歴史問題である。
私個人としては、軍の命令があったかとか、自決した時点での個々の動機がどうだったのかという点を越えて、日本の国民国家に編入される過程で沖縄の人たちがどのように「日本人」であることを受け入れてきたのか、もしくは受け入れてこなかったのか、また逆に「日本人」が「沖縄」というのをどのように受け入れて来たのか、という大きな歴史的文脈で集団自決というのを考えていく必要があると思う。
これは当然、沖縄の人たちの視点を無視しては語れない。
「犠牲者」か「殉教者」かという問いにそれなりに「客観的」な回答を見いだすには、「日本」と「沖縄」の歴史的な関係を問い直すことを避けて通れないと思う。
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