mixiユーザー(id:345319)

2007年11月10日15:11

21 view

ジブリ的環境主義?

 自分は滅多に映画など見ない人間であるが、トトロ好きの娘につきあってスタジオジブリの映画はほとんど制覇してしまった。というわけで、今回は「ぽんぽこ」なんてあまり聞いたこともない映画にまで手を出した。ナウシカ以来ジブリに作品のほとんどには環境保護のメッセージがこめられているが、「ぽんぽこ」は多摩ニュータウンの開発で犠牲にされた狸たちの話で、環境問題が前面に出た作品である。
 でも環境保護といっても、ジブリ作品の環境主義はいわゆる欧米の環境主義とは異なる趣がある。宮崎監督が環境との調和の理想郷として描く図は熱帯雨林とかクジラがゆうゆうと泳いでいる海ではなく、どうも戦後らしき日本の農村社会であり、もうもうと黒煙を吐くバスが走っていたりする。この環境観は彼の近代批判とも関係しているようで、不毛な大量消費社会であくせくせずにもっと人間らしい生活を送れば、自ずと自然と調和した人間社会ができるんだよということらしい。
 この環境観は日本的な宗教観と密接な関係があるような気がする。自然が神により造られた欧米と異なり、日本は始まりと終わりがないコスモロジカルな自然観を有している。日本の神様たちは自然の創造者ではなく、人間と同じく自然の一部なのである。欧米では、自然が、畏怖するものから征服し支配するものになり、また今日では保護すべきものに変わったとは言え、自然そのものは常に客体化されていて、人間との間にはしきりがある。それで、環境を守るには熱帯雨林とかクジラが棲息する海から人間を閉め出さなければならないということになりがちである。それに、環境主義がキリスト教的な終末論に結びついて、環境破壊がそのものが人間の罪深さを反映しているといった道徳主義的な危機感も感じられる。
 それに比べて、日本的な自然観では人間も母なる自然の一部にしかすぎない。それで、人として本質を追求した生活を送っていれば、無理せずとも自ずと自然と調和するだろうというわけだ。そういう意味では、人間と狸の間には大きな違いはないのだ。「昔は人間と木は仲良しだったんだよ」なんて台詞はきっと欧米の歴史観では違和感を感じさせるものだろうけど、日本人には何となくしっくり来る。腐海は人間が汚した土や水をきれいにするために生まれたという秘密を知ったナウシカが涙を流す場面を見て、一瞬何故?って思ってしまったけど、あれは自然と人間が対立するものではないということを知った嬉しさからだったのだ。別にそれで人間の文明が腐海に呑まれるという事実は変わらないのだけど、でも自然と人間が敵同士ではないとわかるだけで何となく嬉しい。これって、ものすごく日本的なもので(というより同様のコスモロジカルな自然観を持つ文化特有のもの)、きっと欧米の人たちは私以上に何故?って思ってしまうのではないだろうか。
 このジブリ的な環境主義は、そういう意味でもう少し温かみがあるというか、アマゾンの熱帯雨林とかクジラにもあまり縁のない自分みたいな人間にとっても親近感が湧くものであるが、反面きっとハードコアな環境主義者にとっては甘っちょろく感じるに違いない。ジブリの映画は欧米でも大人気だけど、欧米の人々はこの日本的な環境主義をどういう風に受け取っているのかな?
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2007年11月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930