本書では、江戸や明治の頃を生きた様々な「古人」が取り上げられている。岡本綺堂や斎藤緑雨のように著名な人物はわずかで、多くは歴史の流れの中で忘れられてしまった無名の人びとだ。しかし、鶴ヶ谷真一の筆にかかると、書物や詩歌、旅、風雅を愛し、自身の生を生ききった人びとの存在が立ち上がってくる。
緻密と熱意を備え、数多の不幸にもめげず日本で初めての百科事典を完成させた斎藤精輔、「校正の神様」と呼ばれるも、名誉にも金銭にも執着せずに読書を愉しんだ神代帚葉。
一時のものにしか過ぎない名利ではなく、心に残る文章を不朽のものとして愛したいにしえの人びとを見ていると、たとえ名が残らなくとも幸せな生というものは確かにあるように思えてくる。詩歌や文章は灯火のように、古人の生涯をあたたかく彩っていた。
俳人の向井去来の妹で夭折した千子(ちね)もそうした人びとの一人だ。他に家族はない中、兄妹で旅した伊勢への俳諧紀行からは静謐な幸福感が伝わってくる。
「霧よりはこなたへ広し鳰の海 千子 秋風もこゝろまゝなりにほの海 去来 早暁に京を旅立ったその日、琵琶湖のほとりに出て、しばし足をとどめたのだろう。遠くに霧が立ったひろびろとした湖面に、わずかに秋風の吹きわたる初秋のしずかな光景。」
この旅の二年後、千子は二十八歳の生涯を閉じる。人は千子を不遇、薄幸と言うかもしれないが、彼女の傍らには常に俳句が寄り添っていた。
「もえやすく又消えやすき蛍哉 千子 かつて抱いていた夢のむなしさ、いま絶えんとするわが身のはかなさを詠みながら、透徹した諦念をも感じさせる。···手のうへにかなしく消る蛍かな 去来 十歳年少の妹にたいする去来の思いが透けて見えるようだ。千子の辞世とひびきあう、しずかな哀しみにみちた句である。」
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