ある社会問題を解決するのが哲学であるなら、
困窮疲弊している人々の中から解決能力を持ったリーダー的哲学者を輩出すべきである。
豊かで幸福な人々から哲学者は生まれない。痩せたソクラテスの理論。
人類の共感については、 解らない問題について自分では答えを導けないが
候補の中から共感して選択する事は、スピード感もあって比較的簡単である。
ここに主従関係が生まれているのでは?
答えがないものに答えを導いたり、開発する事ができれば主としての資質があると思うが、文と理で考えると日本では
理系は不利(文系支配)である。 早い判断力を問われれば明らかに文系有利。
要するに利巧は馬鹿に使われるのではないだろうか。
生鮮品が腐っていく、賞味期限が短いの「当たり前」と対偶である生鮮品を長持ちで活かす、賞味期限を長くするの「感謝」は合成保存料の開発に進む。
それらは人々の健康を充分に配慮したものだっただろうか?
科学技術の発展を逆算すると、問題ではなかったものが多いと考えます。
公害や人災はそういう軽薄で拙速な発想から開発され、生まれていると思うが。
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