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2022年03月27日23:20

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ベルファスト(Belfast)

 俳優・監督・舞台演出家として世界的に活躍するケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品。ブラナーの出身地である北アイルランドのベルファストを舞台に、激動の時代に翻弄されるベルファストの様子や、困難の中で大人になっていく少年の成長などを、力強いモノクロの映像でつづった。ベルファストで生まれ育った9歳の少年バディは、家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごしていた。笑顔と愛に包まれた日常はバディにとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだったバディの世界は突如として悪夢へと変わってしまう。住民すべてが顔なじみで、ひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断され、暴力と隣り合わせの日々の中で、バディと家族たちも故郷を離れるか否かの決断を迫られる。アカデミー賞の前哨戦として名高い第46回トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞。第94回アカデミー賞でも作品賞、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。(映画.comより)







<2022年3月25日 劇場鑑賞>

 こんな映画が遅れずに田舎で上映されているなんて!それだけで感激。駆け付けました(笑)。ケネス・ブラナーというと、ロイヤル・シェクスピア・カンパニーのエリートだし、映画もいつも格調高くて、私みたいな庶民がシェイクスピアの話になじめたのも、すべて彼がわかりやすく映画化してくれたからだし、本当に感謝しているとともに、イギリス人だと思い込んでいました。ベルファストの出身だったのね!

 まず、この映画を理解するにあたって、映画公式ウェブサイトより、次の記事を抜粋します。



歴史背景
HISTORICAL BACKGROUND
この映画が描く1960年代末は、いわゆる「北アイルランド紛争」(英語で “the Troubles”)へ突入していった時代だった。プロテスタントとカトリックが反目し、1998年の和平合意に至るまでに3600人近い死者を出した。
 カトリックvsプロテスタントという対立の根は16世紀の宗教改革にある。キリスト教の最大教派ローマ・カトリック教会に対して反旗が翻され、そうした対抗諸宗派はまとめて「プロテスタント」と呼ばれた。イングランドは、国王ヘンリー8世の離婚問題をきっかけにローマ・カトリックから離反する。国の勢力を拡大していく過程でイングランドは隣のアイルランド島への植民に力を入れ、プロテスタント植民者が土着のカトリックから土地を奪うという構造ができあがっていった。17世紀末にはプロテスタント優位体制が確立、1801年にアイルランドはグレートブリテン王国に併合される。アイルランドの自治復権を目指すその後の長い闘争は、20世紀になってようやく実ることになる。血みどろの独立戦争の末、1921年にイギリスとアイルランドは条約を締結、プロテスタントが多数派のアイルランド島北部6州が「北アイルランド」としてイギリス領に残り、島の残りは「アイルランド自由国」として自治を獲得、実質的独立を果たした。

 1960年代、米国の公民権運動に影響され、北アイルランドではカトリックに対する差別撤廃を求める運動が盛り上がる。この運動には少なからぬプロテスタントの人々も賛同していたが、デモ行進などはプロテスタントによる過剰反応を呼び、双方の対立は暴力化していった。人々は、「カトリック」対「プロテスタント」というレッテル、または「ナショナリスト」(アイルランド全島で一つの国家【ネイション】となることを目指す)対「ユニオニスト」(北アイルランドがブリテンと連合【ユニオン】している現状を維持する)というレッテルを貼られて二分されたのである。
――解説:佐藤泰人(東洋大学准教授・日本アイルランド協会理事)





 以上です。アイルランド闘争については、たくさんの映画が作られてきましたね。私もいくつか見て、それなりに理解しているつもりでした。でも今回、本当にそこに生活していた「子供」の目線で描かれた現実を見ることによって、よりわかりやすく、より肌で感じるような感覚を得ることができました。

 なにもない田舎の小さな町で、地域の人たちみんなが家族のように生きてきたのに、突然起こった暴力、爆発、諍い。実際、毎日を必死に生きている庶民にとっては、隣の人がなんの宗教か、なんてことはどうでもよくて、平和に無事に過ごせればそれでいいはずです。声の大きい少数の人が怒ってれば、それが目立つだけであって、大方の人は「それがどうしたのよ」と思っているはずなんです。町が壊されてもいいなんて、誰が思っているでしょうか。

 それでも、コトは起きてしまうのです。仲良しだった人が見張りに立ってたり、それでも子供がちゃんと学校へ通えるなど、人情は通ってます。宗教がバックグラウンドにあるとは言え、いきり立って「俺が今回の指導者に選ばれた」などと言って暴れる男は、たぶん社会に不満を持っているか、自分はもっと成功してもいいはずだと根拠なく自信をもっているか(それが社会に対する不満になるのでしょうが)、実は小心者か、そんなところなのではないでしょうか。

 とにかく、身近で起きる争いに巻き込まれた”一般人”は、一緒に闘うか、そうでなければお金を払うかの二者択一を迫られ、住んでいられなくなってきます。それでも、子供たちは子供の世界で精一杯。主人公のバディは、憧れの優等生に近づくため必死に勉強したり(席順が成績順だったりするのだ・笑)、何かの研究を彼女と共同で行う方向に持って行ったりと、策略尽くめ。でも、彼女のほうも、そんなバディを気にかけていたりもするのです。(しかし、男の子って、なんでいつも自分より賢くて美人で、自分よりお金持ちの女の子に憧れるんだろうね。映画だとうまくことが多いけど、現実はどうなんだろうね)

 バディのお父さんは、よく出稼ぎに行って留守なので、お母さん一人で男の子二人を抱えて、この状況はつらすぎます。お父さんはいい人なのですが、ちょっとお金に関しては不真面目なところもあるようで、時々けんかもしています。父方の祖父母も近くに住んでいて、よく面倒もみてくれるのですが、おじいちゃんはちょっと体が悪い。お父さんはロンドンでもっといい仕事の話があるから、皆で引っ越そうと勧める。でも、お母さんは「誰も知りあいのいない場所なんて。どうせアイルランド訛りの英語なんてバカにされるだけ」と否定的。う〜ん、両方正しい(笑)。

 そんなこんなで、それでも不穏な地域にこれ以上住めなくなって、バディ一家はロンドンへ越す決心をします。「年寄りはもういいの」とおばあちゃんは残ります。バディは、例の優等生の少女とプレゼント交換し、「きっと戻るから」と約束します。そして父親に問うのです。「彼女はカトリックだけれど、僕たち、将来結婚できるかな」って。お父さん「お互いがまだ好きで、真面目に生きているのなら、宗教は関係ないんだ」という意味のことを子供の目線で諭します。

 本当に、人と人とが争うのはつらいこと。誰が得をするものでもありません。それでも、現在もあちこちで起き続ける争い。人は何百年生きても、学ばない生き物なのかもしれません。
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