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2022年02月16日21:08

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バンドリーダーが急逝しましたが、同じバンド名です

「ススキーノと共に」第766回のゲストはクラリネット奏者の舛田敏英さんでした。
1948年 札幌生まれ。73歳。

「青函連絡船の船長をしていた祖父の遺した電蓄でSPレコードを聴いて育ちました」

中学の音楽の授業で習ったリコーダーに夢中になり父に懇願してクラリネットを買ってもらいました。

殆ど独学でクラリネットを習得し、プロのギタ―リストだった叔父にギターのコードを学んで、札幌旭丘高校では勉強そっちのけで楽器の演奏に没頭。

叔父の口利きでイベントの生バンドで演奏するようになり、
在学中からプロ活動を開始。

高度経済成長でイケイケの時代ですからバンドマンはナイトクラブ、キャバレー、ダンスホールでの生演奏の全盛時代。

「1晩に14ステージをこなし、朝5時まで演奏して、それから飲みにいくというメチャクチャな生活でした」。

大型キャバレー「エンペラー」のビッグバンドには北島三郎、島倉千代子など有名歌手が連日出演して大盛況。

「ラスベガスからやってきたアメリカ人の芸人の妥協しないリハーサルが開店直前まで続いて参ったこともありました」。

その後、カラオケがブームとなり、バブルが崩壊してキャバレーも次々に閉店していきました。

43年の歴史を誇ったキャバレー「札幌クラブハイツ」が閉店の時も最後の演奏をしました。

1990年からは札幌パークホテルの高級クラブ「パーククラブ」専属のクラリネット・トリオで演奏し、2003年に声をかけられたのが「ジョニー黒田とデキシープリンス」でした。

メンバーはそれぞれがリーダーバンドをもつ道内唯一のデキシーランドジャズバンド。
毎年、新宿で行われるデキシーフェスティバルで演奏したり、浅草のデキシーライブの聖地「HUB」でも満員のファンを唸らせる人気でした。

しかし、この数年、メンバーが2人も急逝するという大悲劇に見舞われました。

3年前にリーダーで札幌を代表するドラマーだったジョニー黒田さん。去年は異才を放つピアニストとして全国にファンのいる板谷 大さん。

「2人共才能豊かで、人柄も温かいミュージシャン。札幌の音楽シーンでの喪失は計り知れません」

舛田さんはコロナ禍でも月1回は演奏時間を調整するなどしてライブ活動をしてきましたが、エルム楽器など5か所の音楽教室でクラリネットを教えてきました。

「定年後の生きがいのひとつとして60代、70代から始める同世代も多く、とても楽しいです」。

この日舛田さんの選曲は5歳のときにSPレコードを聴いて覚えたラテンの名盤「Amapola」(演奏:Extra Dixie Jazz Band)、中学生の時クラリネットで初めて吹いたスタンダードジャズの名曲「On The Sunny Side Of The Street」(演奏:Benny Goodman Sexted).

「NHK朝ドラ「カムカム・エブリバディ」の影響でルイ・アームストロングのベスト盤CDがランキングを独占していると聞いて嬉しいです」。

プロになって初めてフルバンドで演奏した「Moonlight Serenade」(演奏:Glenn Miller Orchestra),

「デキシープリンス」のレパートリーの中で最も好きな曲 「Do You Know What It Means To Miss New Orleans」 ,

そして、透明感あふれた板谷 大さんと舛田さんのデュオ「Its Been A Long Long Time」は心に沁みる名演奏でした。

「ジョニー黒田とデキシープリンス」というバンドの名前は3年経った現在も看板から外さず、天国で共演しているであろうとフライヤ―に掲載されている写真もそのまま使い続けているメンバーの強い絆と男の友情に深い感動を覚えたのでした。

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