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2021年11月29日17:26

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看板絵を芸術として正当に評価し,後世への着実な継承を図れ

 今も看板絵師が健在で映画館を彩っているというお話を聞き嬉しい驚きを感じると同時に,こうした看板絵を芸術として正当に評価し後世に継承していくことが求められるのではないかと感じます。

 僕の両親の子供時代から青年時代の娯楽といえば,何より映画だったようです。母は「祖母(僕の曾祖母)に連れられて映画を見に行くのが楽しみだった」と語っていましたし,父も「正月に殆どのお店が休んでいる中でも映画館は開いていて,映画三昧で過ごすのが最高の正月休みの過ごし方だった」ということをよく話してくれます。僕が幼少の頃には,その名残で街には多くの映画館が残っていました。既に各家庭にテレビが普及しておりましたがまだビデオが殆ど無かったので,映画館にはそれなりの需要があったのだと思います。
 そんな映画館には看板があって,その看板には映画の主要登場人物たちが大きく描かれていました。当然ながら,上映作品を変えるごとに看板も変わります。僕は最初,フィルムと一緒に映画会社が映画館に看板の絵を送ってくるのだと思っていたのですが「あれは街の看板屋さんが描いているのだよ」と周囲の大人に聞いて「凄い腕前の絵描きさんが居るのだなぁ!(。・о・。)!」と驚いたのを覚えています。

 そんな昔ながらの映画館も,今では殆ど姿を消してしまいました。僕の故郷にも,子供の頃に通った映画館はもう残っていません。当時から今も続いているのは,成人映画専門の映画館1件だけではないでしょうか。もっとも映画館そのものは意外にもその後シネコンという形で幾つも復活しました。テレビとは全く違う大画面・大音量での迫力ある映画鑑賞の機会が失われなかったことは嬉しい限りですが,そのシネコンでは,昔の映画館には必ずあった看板絵が掲げられるということはありません。少なくとも,僕の知る限りのシネコンで昔の映画館のような看板絵を掲げているという所というのは見たことがありません。
 これはどうやら,僕がたまたま見たことが無いというばかりではないようで,最近ではそういった看板が創られることは殆ど無くなってしまったようです。その影響は昔ながらの映画館にも及んでいて,今も残る映画館でも看板絵を掲げないことが増えましたね。東京のような大都会には映画ファンの絶対数も多いからか,昔ながらの映画館で今も営業を続けているところも存在します。しかしそうした現存する映画館の前を通っても何やら妙な空虚さを感じておりました。その理由を今まで深く考えたことはありませんでしたが,考えてみれば看板に絵が掲げられていないのです。これは全国的な傾向なのですね。大阪のような大都市にすら,映画館の看板絵を描く映画看板絵師は僅か1名しか残っていないというのですから。こちらの記事では,その大阪最後の映画看板絵師である八條祥治氏が紹介されています。八條氏はお父上の創業された看板屋さん「八條工房」の社長ですが,かつて「工房では梅田や道頓堀、和歌山など10館近くの映画看板を手掛けていたが、現在は『新世界国際劇場』(大阪市浪速区)のみとなった」と,看板絵の衰退ぶりについて端的に記されています。

 映画の看板絵とはどのようなものか。この記事では八條氏の言葉をも引きながら,簡潔ながら的確な説明が為されていますね。「『ベタッとした絵だと迫力がない。色を重ね、筆ならではのタッチで立体感を出すことを心がけている』。言葉通り、看板から飛び出してきそうな躍動感が、一筆ごとに生まれる」単に映画の登場人物や場面を機械的に描くのではありません。「レトロ感漂う看板の文字にもこだわりがある・・・映画を見ていなくても、内容をイメージするのだ」と。この短い一節を読むだけで,僕も子供の頃に見て圧倒された看板絵の迫力が眼前に蘇ってくるようです。
 こうした看板絵というのは芸術でしょうか。僕は自信を持って答えます。「疑いも無く,芸術である」と。芸術とは何か。僕は「人を感動させるものだ」と考えます。感動とは「強い感銘を受けて深く心を動かすこと」(小学館「精選版 日本国語大辞典」)であり「人に感銘を与えたり心を動かしたりする力を持つ作品は感動的であり,優れた芸術作品である」と言えるでしょう。看板絵は,まだ映画を観ていない人に「面白そうな映画だ」「今度の休みには是非観てみたい」と感じさせるものです。興味の無かった人に「面白そうだ」と思わせ観たいと思っていなかった人に「観たい」と思わせることも「感銘を与えた」ということに他ならず,言い換えれば「人を感動させた」ということです。制作者の創意工夫の賜物であり人を感動させている看板絵が,どうして芸術でないということがあるでしょうか。以前に僕は銭湯の壁に描かれる銭湯絵(銭湯画)について「入浴客の客の目を喜ばせ心を和ませており,荒み疲れた心を和らげるという感銘を与えている以上は芸術である」と申し上げたことがありますが,全く同じ理由で「映画の看板絵は,人に『面白そうな映画だ』と感銘を与えている以上,芸術である」と確信致します。

 芸術が失われてしまうことは人類にとっての大きな損失です。看板絵も芸術である以上,まだその担い手が健在な今のうちにそれを継承する人材を育成すべきであるということが強く求められるのもまた当然の話でしょう。実は同じようなことを志す人が居ないわけではないようで,この記事にも「時折、弟子入り志願者も現れる」とあります。しかし「『仕事が少ないので難しい』と断ることにしている」と続いています。これは現状においては止むを得ないことでしょう。八條氏は画家であると同時に八條工房の経営者であり,仮に弟子を取ったならばその弟子に従業員としての仕事と給料とを保証する義務が生じるのですから。無責任に「弟子を取れ」などと求めることは出来ません。しかしその八條氏自身「『映画看板がどうにか復活する方法があればいいが……』と本音も漏らす」とあるとおり,出来ればこの芸術を後世に引き継いでいきたいとお考えのようです。八條氏の本音には僕もまた全く同感ですし,そのための方策を考えてみたいと強く感じます。
 では具体的には,どのようなことが必要でしょうか。まず,映画の看板絵について「こんな素晴らしい芸術があるのに,このままでは後継者が居なくなって消えてしまう」ということを人々に認識してもらうことが求められると思われます。これについては,ボトムアップとトップダウンと,両方のアプローチが求められるでしょう。ボトムアップの一方策として,商店街などで各店舗が一斉に映画看板風の看板絵を発注してそれをPRし「看板絵の街」として売り出すなどということはどうでしょうか。それは街興しであると同時に,市民の力で芸術を応援するという公益性のある取組でもあります。既に八條工房では「店舗看板やポスター原画など、映画以外の仕事も手掛けている」ということですから,それは不可能ではないでしょう。或いはイベント等で八條氏にライブペイントをして頂くなどということもどうでしょうか。先述の新世界国際劇場は週替わりで上映作品を変える映画館ですから,それに合わせて看板を制作している同氏の筆の速さは折り紙付きです。無論,八條氏のご意向は判りませんが,そういったことを同氏に持ちかけてみる価値は十分あるでしょう。一方でトップダウンの方策としては,たとえば大阪府庁や大阪市役所が八條氏の看板絵を無形文化財に認定し,或いはそれが不可能でも今に残る工芸として顕彰し府立や市立の施設で同氏の看板絵を展示するといったことを前向きに検討すべきではないか。こうした芸術は郷土の誇りでもありますし,そのような担い手が居るということは地域にとって得難い財産です。そうした芸術と担い手とを顕彰してその価値を広く人々に伝え,かつ作品の展示を通じてまだその価値を認識していない地域の人々に普及させるということもあって良いと考えます。因みに先ほど挙げた銭湯絵(銭湯画)では,高名な銭湯絵師である丸山清人氏の作品が江戸川アートミュージアムで展示されたり京王プラザホテルや帝国ホテルでライブペインティングが実施されたりといったことが行われ,また区役所のイベントに同氏を招いて紹介・顕彰するといったことが既に行われています。誰もが認めるとおり大阪は東京の良きライバルですが「東京には銭湯絵があり,大阪には看板絵がある」といった形で健全な競争が行われることは東京・大阪双方の人々の大いに歓迎するところに違いありません。そして看板絵も銭湯絵(銭湯画)も,そのように芸術として正当な評価が与えられれば市場の需要も高まり,八條氏もご自身の工房で弟子入り志願者を従業員として雇用しご自身の持つスキルを後世に継承させていくことが可能になっていくのではないでしょうか。

 八條祥治氏のご健勝と今後ますますのご活躍とを願うと同時に,看板絵に対する芸術としての正当な評価を通じて同氏の願いでもある後世への継承と発展とが実現することを願って止みません。



映画看板、躍る絵筆 「大阪で1人」手描き絵師の技
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49224360Q9A830C1AA1P00/
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