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2021年11月04日17:27

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「私がいなくなればいい」という言葉から

  それは例の拙小説の中で職員の小野雪子が、小説名・秦野幸雄という身障園生に恋文をもらい、悩んだ果て、そのように気が付いた時の独り言である。元となったM氏の手記では、ただ「いなくなった」としか書かれていないので、葛藤を色々想定している内に出てきた言葉である。

  同じ言葉が「すべてが用意されているゼロポイントフィールドにつながる生き方・村松大輔・徳間書店」の後半に、自己否定の言葉として説明されていたから、改めて考えてみた。確かに、そのモデルの女性も自己否定の気持は持ったと思う。その後の人生の事も気になるが、何分、M氏も知らないわけだから知りようもないし、故郷に帰った事にした拙小説でも書かないわけだ。何故なら、この小説は島田療育園(小説中は、シマハタ)に焦点をあてたものであり、登場人物でもそこから離れた人たちは書くわけにはいかないから。ただし、時代背景として、全学連やベトナム戦争の事は上べだけ書いたが。

   それにしても、悲しい結果にはなったとは言え、秦野幸雄も、小野雪子も恋愛はあった。でも、当時はまだお見合い婚が地方を中心に残り、恋愛経験もないまま、親や親類の言うがままに結婚し、男は後は家と会社の往復、女は「奥さん」として家の中や、せいぜい子供の学校にこもる生き方を強いられ、当然のように受け入れる例も非常に多い時代だった。女性たちの多くが奥さん化にノーと言い始めたのはもう少し後だった。確かに、島田には悲しい現実があり、ハンセン病関係にも別な悲しい状況があったが、それらだけでもなかった事に今の僕は気が付いている。

  それでも僕は拙小説を淡々と描き続けるのみである。
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