mixiユーザー(id:48131024)

2021年09月14日18:26

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しばらく聖書を読んで

全ての預言者と律法が預言したのは、ヨハネまで。とある。
それなのに、イエスの福音は、預言を実現している。
イエスは神に等しい者という事。
なので自分から、律法預言に近づいた。
そして、もう一つは、イエスのこれからが、新しい預言であると。
エルサレムの嘆き、終わりの日、これらは預言である。
私は、終わりの日とは、自分の軸であると考える。
つまり、皆、死の時、裁かれる。
なぜなら、死んでしまえば、世の事はどうでも良いからだ。
関係があるのは、今である。
それから、磔について、私見がある。
三つあり、信仰を示すため、復活を示すため、人間を越えるため。
この意味だろうと。
私は、イザヤ書に、今の事が書かれていると思っていた。
しかし違った。むしろ、私が、預言に近づいたのだ。
それは、最も相応しく、栄えある預言に預かったと。
まあ意味はない。
それから、新約は、教会でないと、できないような教えだ。
いや教会なら容易な教えだ。
それ以外には、高潔なもの。
許しや奉仕、真心だ。
それと、天国に行くため。命に与かるため。
自分も許されるため。
聖書の謎解きは、趣味の人だろう。
私は謎解きが面白い。
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