私が彼を初めて見たのはアルバム「ブラック・アンド・ブルー」の裏ジャケ(左)。なんと表現したらいいのか、とにかく”ロック・ミュージシャンではない何者か”をそこに感じた。当時のロック界では新奇な短髪だっただけでなく、きっちりスーツを着てネクタイまで締めている。このとき彼はまだ30代半ば、とにかく強烈なインパクトだった。
ずいぶんと時が経ち、彼はロック界きってのダンディーと言われるようになった。単独インタビューが巻頭を飾ったのは、音楽雑誌ではなく男性向け総合ファッション雑誌の「GQ」が初めてだったように思う(右)。ここで彼はロンドンのサヴィル・ロウに行きつけのテーラーが2軒あると語った。ところがお店の名前までは明かしていない。
かって業界の端っこにいたこちらとしては気になってくる。いろいろ調べたらひとつは知らない名前だったけど、もう1軒はハンツマンだった。何度目かの来日のさい、彼がメンズファッションの雄・伊勢丹の紙袋をさげていたことを思い出した。いまハンツマンをメインで取り扱っているのが伊勢丹、まあたまたまかもしれないけれど。
ドラミングの妙とかストーンズにおける位置づけとか、専門的なことはわからないのでこんなことばかり書いてしまう。バンドいちのダンディーがドラマーで一番先に逝くとは、ムーンライダーズと同じかと思っていたら、きっちりけさ鈴木慶一氏も同じような言葉を残していた。謹んでお悔やみ申し上げます、安らかにお眠りください。
ログインしてコメントを確認・投稿する