心とからだの倫理学
（副題）エンハンスメントから考える
佐藤岳詩著
ちくまプリマ―新書
先の東京オリンピックでは、元男性の女性が女性の競技に出場して話題となりました。また、過去のドーピングの問題でロシアが国家としては参加できないという制裁を受けました。芸能人が顔や身体を整形したという噂も絶えません。中には整形手術した事を告白する人もいます。私達も、大切な仕事の前にエナジードリンクをキメて気合を入れる事があります。これってドーピングでしょうか？
副題にある「エンハンスメント」とは、マイナスをゼロにするための介入を「治療」と呼ぶのに対して、ゼロをプラスに、プラスをさらなるプラスにする介入、と定義されています。となると、疲れた時に飲むエナジードリンクが「治療」、これから頑張る時に飲むエナジードリンクが「エンハンスメント」と区別できそうです。実際にどれだけの効果があるのかは不明ですが。
本書は、メタ倫理学・応用倫理学を専門とする著者が、私達の身近な問題について、その分野を概説した後で論点を立てて、反対派と肯定派の主張を並べて考察しています。時折、倫理学の重要な考え方として、「少ない事例から一般化しない」「普遍化可能性の原則」といった解説が入ります。考察の内容ももちろん大切ですが、本書の作りそのものが、哲学的思考法の例になっているようです。
私の仕事に近い所で例を挙げますと、
論点一 美容整形を行う人は自分の身体を大切にしていないか
という論点に対して、
反対派� ／討�らもらった身体に自分の都合で傷をつけることは許されない
肯定派� “�容整形はより良いものを手に入れるための処置なので許される
という主張を並べて考察し、�◆↓�、と発展させてきます。
第�吃瑤任枠�容整形、運動能力、身体の機械化が、第�局瑤任惑�知能力（勉強の成績等）、気分や性格等、性の一致が、第�敬瑤任楼篥岨辧�道徳が、テーマとなっています。
身体の機械化というとＳＦを連想してしまいますが、心臓ペースメーカーや義手・義足も治療的介入の立派な機械化ですね。
・・・・・
これまで見てきたように、たいていの場合、人の内面への介入には慎重になるべき理由があります。しかし、倫理の目的が人を善き方向へと導くことであるなら、倫理は人間をエンハンスメント技術で善人にすることを否定できるでしょうか。人間をみな善人にしてしまえば、遺伝子操作を悪用する人はいなくなり、ルールに反したドーピングをする人も、差別をする人もいなくなります。犯罪対策のコストも減り、その分を福祉に回すこともできるかもしれません。私たちはそのような人間を善任にする介入技術の開発を認めるべきでしょうか。
・・・・・Ｐ２６２
本書を読んだ直後に、偶然、星新一のショートショートで同様のテーマの作品を読んで吹き出してしまいました（笑）。
身近な問題に関する倫理学的な考察ですので、意見は人それぞれだと思います。著者も、
・・・・・
倫理の問題はどう考えても、どう答えても、本当にこれでいいんだろうか、と心の中にモヤモヤが残ります。モヤモヤし続けることは不快です。それでも、そのモヤモヤをなかったことにしないことはとても大事なことです。それは他者の声を聞くことです。倫理的に良くあるとは、正解を出すこと以上に、そうした声に対して誠実であらんとすることに存していると私は思っています。
・・・・・Ｐ２９８
としています。世の中のスピードが上がり、ワンフレーズの分かりやすい回答が求められる、０か１００かの極端な意見が持て囃される、という傾向が進んでいるように思います。モヤモヤを抱えながらでも、他者の声を聞き、可能なら本書のように自分の中で複数の価値観を戦わせる、という作業の大切さを忘れないようにしたいと思います。
ちくまプリマ―新書という事で、若い人向けですが、大人が読んでも十分な内容です。個人的には、理系の大学生に強く推奨します。
ログインしてコメントを確認・投稿する