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2021年06月28日20:35

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●えこひいき

●えこひいき
◆えこひいき【依怙贔屓】
《名・ス他》他よりも特に、その者に目をかけること。公平でないこと。
 
◆依怙贔屓の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
えこ-ひいき【依怙贔屓】
特に一方に心をかたむけ公平でないこと。また、好きなほうにだけ心を寄せ、肩入れすること。▽「依怙」は本来は頼る意であるが、わが国では不公平の意にもなる。「贔屓」はもと「ひき」と読み、盛んに力を用いて努力すること。転じて、特に目をかけて引き立てること。「贔」を「ひい」と読むのは「ひ」の長音化したもの。
句例
依怙贔屓する先生
用例
おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔屓はせぬ男だ。<夏目漱石・坊っちゃん>
活用形
〈―スル〉


依怙贔屓の解説 - 学研 四字熟語辞典
えこひいき【依怙贔屓】
自分の気に入った人や関係者にかたよって目をかけたり、味方したりすること。
注記
「依怙」は、頼りにする意から不公平の意に転じた。「贔屓」は、「ひき」の転じたもの。「ひき」の意味は、ひいひいと鼻息を出してがんばることだが、「ひいき」と転じ、気に入った者に目をかけて後押しする意となった。
表記
「贔屓」は、「贔屭」「贔負」とも書く。

依怙贔屓の解説 - 小学館 大辞泉
えこ‐ひいき【依×怙×贔×屓】
[名](スル)自分の気に入ったものだけの肩をもつこと。「女子学生を依怙贔屓する」
「えこ【依怙】」の全ての意味を見る
類語
ひいき 判官びいき(ほうがんびいき) 身びいき(みびいき)
関連語
愛顧(あいこ)
 
◆ひいき(えこひいき から転送) https://ja.wikipedia.org/wiki/ひいき
贔屓(ひいき)とは、自分の気に入った者に対して肩入れし、優遇することである。贔屓をしてくれる人のことを贔屓筋(ひいきすじ)などと呼んだ。 語源は中国の伝説上の生物である贔屓。
 
◆依怙贔屓
読み方:えこひいき
別表記:依估贔屓、えこ贔屓
自分の気に入った人だけに味方し、不公平に遇するさま、などを意味する表現。
 
◆ひい‐き【×贔×屓/×贔▽負】 の解説
[名](スル)《「ひき(贔屓)」の音変化》気に入った人を特に引き立てること。後援すること。また、引き立てる人。「同郷の力士を―にする」「弟のほうを―してかわいがる」「―の客」「―筋」
類語
判官びいき(ほうがんびいき) えこひいき 身びいき(みびいき)
関連語
愛顧(あいこ)
 
◆ ほうがん‐びいき〔ハウグワン‐〕【▽判官×贔×屓】
悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。
転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情をいう。
 
◆ ひいき/判官びいき/えこひいき/身びいき の解説 - 小学館 類語例解辞典
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/3949/meaning/m0u/
ひいき/判官びいき/えこひいき/身びいき の共通する意味
*自分の気にいった者を引き立て、特に力添えすること。
*英語表現 favoritism
*国語辞書で調べる ひいき 判官びいき えこひいき 身びいき
 
◆ひいき/判官びいき/えこひいき/身びいき の使い方
ひいきする
  ▽ひいきの引き倒し(=ひいきし過ぎてかえってその人の不利になること)
  ▽かわいい子ばかりひいきする
判官びいき
  ▽判官びいきで弱いチームを応援する
えこひいきする
  ▽部下をえこひいきする
身びいきする
  ▽身びいきのようだが息子が正しいと思う
 
◆判官贔屓 - Wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/判官贔屓
判官贔屓(ほうがんびいき)とは、第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。
 
◆判官贔屓と義経生存伝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/判官贔屓#判官贔屓と義経生存伝説
義経の死については、その直後からこれを否定する噂が人々の間に流れ、そこから義経が蝦夷地(北海道)、さらには中国大陸へと逃れチンギス・カンとなったとする伝説が生まれた。このような伝説は今日では、義経を死なせたくないという後世の人々の判官贔屓が生み出したものであり、「鎖国になってからの江戸人の夢物語」、「英雄の末路の悲惨なのに同情した結果、誰かが、いつか、どこかでつくり出した想像にすぎない」などと否定されている。
義経が北海道へ逃れたとする伝説のきっかけとなったのは1670年(寛文10年)成立の林春斎『続本朝通鑑』であるが、同書の成立時期は蝦夷地に対する日本人の関心が高まった時期にあたる。また、中国大陸へ逃れた義経がチンギス・カンになったとする伝説は、明治時代に内田弥八訳述『義経再興記』(1885年(明治18年)成立)をきっかけとして成立したものであるが、同書の成立時期は日本が中国大陸への進出を企図していた時期にあたる。
語義の拡大
上横手雅敬によると、日本人は判官贔屓という言葉の成立前から、伝統的に同様の感情を抱いてきた。池田弥三郎はそうした感情を、「弱い者いじめの反対、つまり、弱きを助け強きをくじくという言動に対しては、無批判にかっさいを送ろうとする心理」と定義し、「弱者の位置に立たされたものに対しては、正当の理解や冷静な批判をかいた、かなり軽率な同情という形をとる」と説明している。池田によると、「判官贔屓」という言葉は江戸時代初期にはすでに、源義経に対する同情を超えて、「一般に、弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指すようになっていた。なお、奥富敬之は第一義の判官贔屓についても、人々は贔屓の感情を次第に肥大化させ、歴史的事実に基づいた客観的なものの見方を欠くようになり、ついには短絡的に義経を正義、頼朝を冷酷・悪ととらえるに至ったと指摘している。
池田によると、弱者に対し理非を問わずに同情しようとする心理が一般に「判官贔屓」という言葉で表現されるようになったのは、義経の伝記が人々の間に、一般的な知識として広く知れ渡っており、かつその伝記の内容が人々の義経に対する同情を呼び起こすものであったからである。その際に義経の伝記が史実に基づく必要は必ずしもなく、むしろ「民衆の心をその方向に引き出すように再編成され、しかもその民衆の同情にピタリとはまるように再編成されたもの」であることが重要であった。


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