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2021年02月04日08:57

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キリシタン紀行 森本季子ー340 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー53

キリスト教の龍神導入は戦後である。ということは迫害や弾圧を経験していない。幸いなことである。と、同時に弾圧下に生命を賭して信仰を守った地方と、平和のうちに何の抵抗もなく集団的に入信した地方の相違が感じられる。村の人々にカトリックは違和感なく受け入れられ、共同墓地では宗教の別なく一緒に最後の眠りについている。仏教もキリスト者も村の宗教という一本の縄にないまぜられた形で土着していると言えよう。しかし、この奥地に教会があり、「夢」をもつ司祭が常住していること自体に大きな意味がある。
 じゃが芋の花でさえ下界では見られない清らかな可憐さをもって目を引く土地。稲田の水に顔を映す手植えの主婦たち。教義の差をさして気にせず人の輪の中に溶けこむ人々。紀州の山中にこういうカトリック村のあることが私にとっては新しい発見であった。
 一週間の滞在を終えて、ホーガン師の車で再び田辺への帰路についた。ここで知り合えた人たちがまるで旧知のような懐かしさをもって、心を浸してくるのを感じていた。
                      〈完〉

〔付記〕
この最後の稿を書き終わった時、ケビン・フリン師の訃報に接した。師は一九九〇年十一月六日、入院先の東京の病院において心臓病で帰天された。享年七十一歳。世田谷区のコロンバン会本部で七日夜お通夜。私はそれに出席させていただき最後のお別れを告げた。五か月前、千葉の東金教会で龍神について思い出を語っておられたばかりであった。
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