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2021年01月16日00:26

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1月16日が忌日である人々

399年(仁徳天皇87年)、第16代天皇、仁徳天皇が即位67年に百舌鳥耳原を陵墓地と定め、即位87年に110歳で崩御。『古事記』に83歳。応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていた皇太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに皇位を譲り合いましたが、太子の薨去により即位したとのこと。『日本書紀』では皇位を譲るための自殺と伝えられます。この間の3年は空位。 『日本書紀』には大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)と記されています。即位元年1月3日、難波の高津宮に遷しました。大和国以外では初めての都となります。即位4年、天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていませんでした。これにより民衆が炊事もできないほど貧しいことを知りました。そこで今後三年間、課税を労役を全てとりやめることにしました。そして自らは、宮の屋根が壊れ雨漏りしても直すこともしなかった。三年が経過した即位7年、再び山の上から国を眺めると、どの家からも煙が立ち上っていました。諸国は課税再開を要請しましたが、結局即位10年まで課税停止は延長されました。陵(みささぎ)の名は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。宮内庁により大阪府堺市堺区大仙町にある遺跡名「大仙陵古墳(大山古墳)」に治定されています。この古墳、日本で最も大きいものです。
1961年、噺家の3代目桂三木助が東京都北区田端にある自宅で胃がんのため58歳で死去しました。円朝作と云われる落語『芝浜』を独自に練り上げ得意にしました。以降、芝浜は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになりました。現在でも3代目三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。 1961年1月16日、胃癌のため東京都北区の自宅にて死去、享年58歳。
1961年、喜劇俳優の古川緑波(ロッパ)が1960年11月の大阪・梅田コマ劇場公演『お笑い忠臣蔵』出演中に倒れ、辛うじて千秋楽を迎えて帰京します。翌1961年1月3日には東京順天堂病院に入院しますが、16日午前11時55分に肺炎と全身衰弱で死去しました。57歳没。長年の美食・鯨飲馬食による持病の糖尿病のほか、再発した結核にも蝕まれていました。晩年の彼の日記には、日々喀血と呼吸困難に苦しめられる様子が克明に記されています。さて、ロッパの芸ですが、映像で見たことがないので断言は難しいのですが、自身は大して面白いものではなかったと推測されます。動くこともあまりなかったそうです。共演した渡辺篤のような他の役者が汗だくになって笑いを取ったところへ、ぼそっとツッコミのような一言をいう芸だったとのこと。ロッパ一座の特色は、歌舞伎・新派を基本とした旧来のアチャラカ喜劇に、欧米のモダンさを加え、特にミュージカルを意識して音楽をふんだんに用いた斬新なもので、狂言の中にも『春のカーニバル』『歌えば天国」など、必ず音楽主体の演目を加えました。一座の洗練された舞台は、丸の内の大手企業や外資系企業のサラリーマンを中心とするホワイトカラー層の支持を集め、浅草のブルーカラー層の支持を受けていた榎本健一とは対照的でした。『ガラマサどん』、『歌ふ弥次喜多』、『ロッパ若し戦はば』、『ロッパと兵隊』、『ハリキリボーイ』などの演目は大ヒットし、菊田作の『道修町』では大阪の観客の幅広い支持を集めました。若手の育成にも力を入れ、その中には後に名をなす森繁久弥、山茶花究もいました。両雄と称された榎本健一(エノケン)とのライバル意識は互いに凄まじく、手打ちの一席を設けたものの、両者が近距離で同時にお辞儀をしたら頭がごっつんこ。座はしらけ、険悪な空気に終始したそうです。
1975年にフグ毒にあたって急逝した8代目坂東三津五郎(の舞台・芸)には間に合いませんでした。敵役や老役を得意としたそうですが、コメントはできません。写真で見ると孫である女優の池上季実子にそっくりです。このことは池上季実子の誕生日の項で書いたっけな。
1986年、洋画家の梅原龍三郎が満97歳で死去。ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨しました。「立裸婦」を始めとした彼の諸作品はいろいろな美術館に分散されているので、一通り見るのには苦労します。
1999年、タレント、実業家の大屋政子が胃癌のため78歳で死去。高い声と年齢に合わないピンク色を基調とした派手な衣装を好み、高齢になってもなおミニスカートを愛用する等、日本国内では“色物タレント”として認知される傾向が強いのですが、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領と電話したり、元日の『平成あっぱれテレビ』に出演した際に宮澤喜一のことを「喜一ちゃん」と呼んで電話を掛けたり出来たのです。不倫の末に略奪した夫・大屋晋三(元・帝人社長)を生涯愛し、「ウチのお父ちゃん」と呼ぶ姿はマスコミを通じて一般にも有名になりました。舞台芸術振興財団理事長などの要職を歴任。バレエにも造詣を持ち「大屋政子バレエ教室」を主宰し、「大屋政子バレエ財団」を設立するなど、文化的活動にも積極的に動きました。
2003年、写真家の秋山庄太郎が林忠彦賞の審査中に心筋梗塞のため倒れ、東京都中央区の病院に搬送されましたが、当日19時56分に死亡しました。享年82。女性芸能人、花の写真を数多く手がけました。生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していました。女性を撮影することについて冗談交じりに「そっくりに撮ると”変な顔”、倍くらい綺麗に撮って“少し満足”、ウソみたいに綺麗に撮るとやっと“ニッコリ”、なかなか感謝してもらえませんよ。」と話していたそうです。45歳以降は風景、人物や花を撮影することが多くなり、特に花の写真はライフワークとなりました。日本広告写真家協会名誉会長、日本写真家協会名誉会長、全日本写真連盟副会長、日本写真協会副会長、日本写真芸術専門学校初代校長、日本デザイナー学院校長を歴任。
2014年、予備陸軍少尉だった小野田寛郎(おのだ ひろお)が肺炎のため東京都中央区の病院で死去。91歳没。1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかったため、一等兵赤津勇一(49年9月逃亡50年6月投降)、伍長島田庄一(54年5月7日没)、上等兵小塚金七(72年10月19日没)と共に作戦を継続し、ルバング島が再び日本軍の制圧下に戻った時のために密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をします。日本では1945年9月に戦死公報を出されましたが、1950年に赤津が投降したことで、小野田ら3人の残留日本兵が存在することが判明しました。捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても、かなりの情報を得ていました。捜索隊はおそらく現在の情勢を知らずに小野田が戦闘を継続していると考え、あえて新聞や雑誌を残していったのですが、皇太子成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、1964年の東京オリンピック、東海道新幹線開業等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事は知っていました。士官教育を受けた小野田は、その日本はアメリカの傀儡政権であり、満州国に亡命政権があると考えていたのです。だがそんな小野田も、長年の戦闘と小塚金七死亡後の孤独により疲労を深めていきました。1974年に、一連の捜索活動に触発された鈴木紀夫がルバング島を訪れ、2月20日にジャングルで孤独にさいなまれていた小野田との接触に成功。鈴木は日本が敗北した歴史や現代の状況を説明して帰国をうながし、小野田も直属の上官の命令解除があれば、任務を離れることを了承します。この際、鈴木は小野田の写真を撮影しました。3月9日に、かつての上官である谷口義美元陸軍少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将名の「尚武集団作戦命令」と、口達による「参謀部別班命令」で任務解除・帰国命令が下ります。フィリピン政府からも恩赦も受け、小野田は堂々と帰国しました。同じく長期残留日本兵として2年前に帰国し、驚くほど早く戦後の日本に適応した横井庄一と異なり、小野田の場合は、父親との不仲や一部マスコミの虚偽報道もあり、戦前と大きく価値観が変貌した日本社会に馴染めなかったのです。帰国当初は大きな話題になったため、マスコミにつけ回され、一挙手一投足を過剰取材の対象にされて苦しみました。ヘリコプターが、ゲリラ戦時の敵軍航空機と重なって、悩まされた時期もあったそうです。帰国の半年後に、次兄のいるブラジルに移住して小野田牧場を経営する事を決意。日本帰国後に結婚した妻の町枝と共にブラジルへ移住し、10年を経て牧場経営を成功させました。小野田の手記『わがルバング島の30年戦争』(1974年)のゴーストライターであった作家の津田信は、『幻想の英雄―小野田少尉との三ヵ月』(1977年)において、小野田を強く批判しています。小野田が島民を30人以上殺害したと証言していたこと、その中には正当化出来ない殺人があったと思われることなどを述べ、小野田は戦争の終結を承知しており残置任務など存在せず、1974年に至るまで密林を出なかったのは「片意地な性格」に加え「島民の復讐」をおそれたことが原因であると主張しています。

本日の忌日もこれきり〜ぃ!
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