私の夢だった。
過去形なのは、世間にはないと知ったからだ。
それは言葉にすれば、個性の尊重し合う世界だ。
それは、認め合い、補い合い、和がある。
しかし、それは、全否定された。
理解されなかった。憧憬だったのだ。
思い出し、それを言葉にしてみる。
世間は、けなし、欠点をつき、自分が一番になろうとする。
その競争に、没個性があり、集団化を維持する。
自分が一番になるという事は、他を蹴落とすという事。
それは、集団不文律によって、マナーや常識によって、
いわゆる出る杭を打つ。という事が日常茶飯事になる。
従って、集団化を維持し、没個性がある。
私は個性の発揮によって、和があり、それによって問題に立ち向かう。
という考えを持つ。これは理想に過ぎないか。
他人は、それは愛だと言う。
別にそんな大層なものだとは思わない。
ただ、他人に優しく。それだけで良いと考える。
世間と言うのは世知辛いものだ。
完全に落ちこぼれになってしまった。
これらは、経験に基づくが、
世間にはないものだった。
伸びる会社のリーダーシップに期待したりもする。
世間では織田信長がもてはやされる。
リーダーシップを求めているのだろう。
織田信長個人については、歴史を学んだものとして、言いたい事はあるが、
そういう問題ではないのだろう。
認め合う、補い合う、個性が尊重される。
それは、実現はできない事なのだろうか?
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