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2020年10月29日07:51

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緑と共に生きる


13年半続けた原宿トレンチタウン。店の入口の脇には一本の名も知れぬ木が店のシンボルのように立っていた。1983年秋に始めた頃には、小さな苗木のような木だったが、店を閉じた95年1月にはどこか風格のある樹木になっていた。その後暫くして訪れると樹木はあっさりとりはらわれていた。

 その後、千葉の鹿野山で足かけ7年暮らした。155坪の敷地の周囲に立つ杉の木たちが好きだった。斜面に建つ家のベランダからの眺めを阻害する大きな杉の樹が特に好きだった。しかし、家が僕達の手を離れると、眺めが悪いという理由であっさり切られてしまった。

 また、同じ鹿野山の頃、実家の引っ越しで捨てるという君子蘭やシンビジウムを引き取って以来、次から次に鉢が増えていき、恐らく30鉢以上になった。しかし彼等と暮らすには色々苦労もあった。千葉といえども冬には雪が降り積もる山の上。この季節には皆居間に退避して冬を越したし、街とは異なり、猛烈な台風の洗礼を受けることが何度もあり、そういう時には、やはり倉庫や室内に避難させた。

 そして札幌移転が決まる。いわば手塩にかけた鉢達の今後に頭が痛かったが、友人、知人、出入りの水道会社等々、手当たり次第に頼み込み、どうにか大部分の鉢の引き取り先を見つけ、愛着が特にある7つの鉢を連れて、北の北海道に来たのだった。そしてまた冬越しの苦労が始まる。半年近い、長い冬の間、彼等は居間の蛍光灯の明かりで生き延びねばならないのだ。それでも、息も絶え絶えになりながらも、春になると、外で日の光にあたり、息を吹き返す。そんな苦労をしながら10年を越える今、考えるのは、これからのこと。

 千葉では世話も簡単だから、人に世話を頼みやすかったが、ここ北の札幌では、もう頼める人もいない。僕が老い、世話も大儀になる前に、この鉢達を処分するしかないだろう、と思っている。20年以上は経つ、見事に育ったサボテン。殺すに忍びないが、僕と人生を共にいた友として、最後を受け入れてもらうつもりだ。そうそう、札幌に引っ越した時、市から貰ったライラックの苗木。今では大きく育ったが、これも僕がいなくなれば、多分、切られてしまうのだろう。
 そして今思う。密かに僕に寄り添って生きてくれた緑の数々のことを、皆限られた命を堂々と誇り高く生きたことを。そして彼等への感謝でいっぱいだということを、彼等に伝えることが出来れば、どんなに嬉しいかということを。本当に有難い気持ちでいっぱいなのだ。ありがとう!緑の友達!

 ジャー・ヒロ  2017年3月1日 札幌にて

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