パンクラスの旗揚げからのエースであり団体の象徴だった船木誠勝ですが、00年5月26日、東京ドームで行われた「コロシアム2000」でヒクソン・グレイシーと対戦、(15分無制限ラウンド)1R11分46秒、チョークスリーパーで失神し敗戦。試合前に「負けたら引退」を公言しており、31歳の若さで引退しました。(07年に総合格闘技で復帰、09年プロレスで復帰)
パンクラスでは引退試合は行わず、同年12月4日、日本武道館、12月9日、青森県武道館で引退記念興行を開催しています。
翌01年は横浜文化体育館での興行は12月1日の「PROOF」ツアー。(観衆5,100人超満員発表)パンクラスはこの年、格闘技ブームで軽量級の選手入団、他所からの参戦が増加した為に階級制を導入、最後の保持者、セーム・シュルトがPRIDEに移籍しキングオブ・パンクラス王座を返上したのを機に、ヘビー級、ライト・ヘビー級、ミドル級、ウェルター級等の王座を新設しました。
この日のメインイベントは初代ヘビー級王座決定トーナメント決勝戦が行われ、高橋義生が後にUFO所属として小川直也と共にゼロワン、全日本プロレスに参戦する藤井克久(軍鶏侍、V-CROSS)を1分12秒、パンチの連打によるKOで破り、初代ヘビー級キングオブ・パンクラシストとなり、旗揚げメンバーの意地を見せています。
セミファイナルはミドル級王座戦、國奥麒樹真が王者ネイサン・マーコートに5分3R、判定勝ちしベルト移動、新王者となりました。
00年に菊田早苗がパンクラス内で設立したグラウンド中心の選手を集めたチーム「GRABAKA」(グラップリングバカの意)とパンクラス東京、横浜道場連合軍による3対3対抗戦が行われています。(5分3R)
先鋒戦、渡辺大介(横浜道場)vs菊田(GRABAKA)の一戦は1R2分14秒、肩固めで菊田のギブアップ勝ち。GRABAKAはいきなりリーダーが出てきて先勝。
副将戦、渋谷修身(横浜道場)vs佐々木有生(GRABAKA)は3R3分42秒、腕ひしぎ逆十字固めで佐々木が勝ち、2連勝を挙げたGRABAKAが団体戦では勝利が確定。
大将戦、近藤有己(東京道場)vs郷野聡寛(GRABAKA)は3R52秒、パンチ連打により近藤がタオル投入によるTKO勝ちで面目を保ちました。
東京道場長であった船木の引退により、もはや東京と横浜道場を分ける必要もなくなったことで2つの道場は統合され「パンクラスISM」に名称変更されました。
02年9月29日「SPIRIT」ツアー横浜文体大会(観衆4,600人発表)。メインイベントはミドル級から1階級落としたウェルター級に転向、初代ウェルター級キングオブ・パンクラシストとなった國奥が長岡弘樹(ロデオスタイル)を3R46秒、チョークスリーパーでギブアップさせて王座防衛を果たしています。
セミファイナルはライト・ヘビー級戦、佐々木有生がムエタイのアレックス・スティーブリングに5分3R判定勝ち。
セミ前に組まれた謙吾(渡部)と後に暗黒時代の新日本プロレスの「アルティメット・ロワイヤル」で優勝してある意味話題を集めたロン・ウォーターマンの無差別級マッチはウォーターマンが1R2分33秒、アームロックによりレフェリーストップ勝ちを収めています。
さて、この時期、首のヘルニアが徐々に回復していた鈴木みのるが02年10月14日、新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、佐々木健介と対戦することが内定されていました。鈴木は打撃なしのキャッチルールでパンクラス内で試合をしていました。鈴木は68年生まれ34歳、88年6月新日本プロレスでデビュー。健介は66年生まれ36歳、86年2月ジャパンプロレスでデビュー、1年間全日本プロレスのリングで試合をした後87年5月、長州力一派による新日本プロレスUターンで新日本の所属になりました。
両者は新日本プロレスのリングで前座試合で何度も対戦しましたが89年4月、鈴木が新生UWFへ移籍を決めた為にライバル関係は終了、13年ぶりの対戦が実現するかと思われましたが健介の足の怪我もあり、ドームでの対戦は流れました。ならばパンクラスの11月30日、横浜文体大会で健介vs鈴木戦も含めた新日本プロレスとの対抗戦で、という話も出ましたが、結局、団体間の交渉が上手くいかず、健介vs鈴木戦実現の目はなくなりました。
新日本プロレスは上井文彦執行役員と選手を代表して獣神サンダー・ライガーがパンクラスに謝罪に出向きましたが、新日本プロレスフロントへの不信感を募らせた健介は辞表を提出。
対戦が消えて残念な思いをしたのは健介だけではなく鈴木も気持ちは一緒、そんな鈴木の心中を察したライガーが鈴木に連絡を取り、11月30日の横浜文体大会にライガーが健介戦消滅の責任を取って出場し鈴木とパンクラスルールで対戦することを提案。もちろん鈴木側に異論がある訳がありません。
11月30日、「SPIRIT」ツアー横浜文体大会は5,900人(超満員札止め)発表の大観衆を動員。私はこの興行は生で観戦しました。メインの鈴木vsライガー、ライガーは視界の広いマスクを着用、上半身裸の「バトルライガー」モード。
パンクラスルールでは流石のライガーも鈴木の敵ではなく1R1分48秒、チョークスリーパーが決まって鈴木の完勝。試合後、両者は深々と座礼を交わして健闘を讃えました。鈴木はマイクで「ありがとうございました。ライガーさん、ちょっとだけ錆びてましたね」と皮肉も忘れませんでした。
翌03年8月、鈴木はパンクラスMISSIONとして新日本プロレスに参戦、以後は「世界一性格の悪い男」としてプロレス界を席巻します。
尾崎社長退陣後は坂本靖広報が代表となり、SMASHの代表を務めた酒井正和氏が代表に就任、総合格闘技団体となったパンクラスはその後も横浜文体大会開催を続け、14年4月30日が最後の横浜文体大会となりましたが、鈴木vsライガー戦でこの日記におけるパンクラス編は打ち止めにしたいと思います。
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