私の職場は不幸な人たちを扱う部署だが、
私の同僚も上司も幸福な部類に属する人たちなので、不幸な人たちのことが分からない。
ただ私だけは、私の同僚や上司より、私たちが扱う不幸な人に近い。
だから同僚や上司の言っていることを聞くと、
「こいつらまったく分かっていないな」と感じる。
幸福な彼らは”なぜ人が不幸になるのか”知らない。
幸福な人は悪魔や悪霊の存在を否定し、また神の存在をも否定し、人生はすべて自分の思い通りになると考える。
真面目に生きればうまくいく。がんばればうまくいく。
そして最大のおごりは、「俺はがんばっているから俺は幸福なのだ」。
いえいえ、あなたは、たまたま神様の加護により、悪魔や悪霊から守られていたため、幸福になれたのですよ。
不幸のただ中にいる私には、人の不幸がどのように起こるか知っている。
聖書のマタイ伝13章には麦と毒麦の話が載っている。
悪魔が麦畑に毒麦の種をまく話だ。
麦も毒麦も見分けがつかないが、結ぶ実は違う。
そして麦が毒麦になることも毒麦が麦になることもない。
ただ最後に実によって見分けられ、麦は蔵に入れられ、毒麦はかまどで焼かれる。
麦と毒麦は同じ人間ではなく種から違い、毒麦はどこまでいっても毒麦なのだ。
不幸な家庭に行くと、そこには天使と悪魔がいることに驚く。
同じ遺伝子を持っているはずなのだが、悪魔から生まれて来た子供たちは、全員、親と同じ悪魔になるわけではなく、遺伝子は同じはずなのに、天使として生まれる子供もいる。
悪魔は目つきと見た目でなんとなく分かる。子供ながらに悪い実を結んでいる。
天使も目つきと見た目でなんとなく分かる。この悪魔の家において彼らの存在は浮いてしまっている。
浮いているため、児童虐待の対象になり、早急に保護する必要がある。
聖書には同じ畑に麦と毒麦をまくことになっている。
なるほど同じ畑(家庭)に麦と毒麦がまかれている。
不幸な人間には2種類いる。
毒麦と毒麦に害された麦だ。
麦と毒麦は見た目は同じで見分けがつかないが、その行動を見れば、毒麦に害された麦か毒麦かは分かる。
私の婚活が悲惨なことになっているのは、婚活パーティーに来る女性に毒麦が多いからだ。
この女尊男卑の時代にあって、女性はただ女性に生まれたというだけで、男性よりとても有利な立場にいる。
昔の男性は優位な立場にいる自分たちが率先して他人の幸福のために尽くしたが、
今の女性は優位な立場をただ自分のためにしか使わない。
ひと昔前なら、毒麦であっても、まわりの圧力によりその毒をおさえられた。
でも今、毒麦は自由に悪事をなし、自分たちが優位な立場にあることでまわりを不幸にし続けている。
女性は普通の顔があれば、バカでも精神病患者でも、自分の意思で子孫を残せる。
結婚できない女性は、愛やら性に潔癖すぎるため、結婚できない人ばかりである。
男性はそんな女性に振り回されるばかりで、なかなか結婚できない。
女性は自分が子供を産むので、自分で子をつくるかつくらないか選択できるが、
男性は、ただ”自分のわがままをおさえ子供を産んでくれる女性”と縁が持てることを神様に祈るしかない。
よい女性は真っ先に売れ、ダメ女ばかり残る。
そんなダメ女が集まっている婚活パーティーが悲惨なことにならないはずはない。
私の婚活が悲惨なことになっているのは、その抽出されてきたダメ女を相手にしているからだ。
麦か毒麦か、見た目では分からなくても行動で分かる。
婚活パーティーに出ると「ああ今日は毒麦ばかりだな」と落胆することは多い。
たまに麦が混じっていても、数少ない麦は男性の争奪の的となり、競争率が激しい。
女性の世界では麦が勝ちやすいが、男性の世界では毒麦の方が勝ちやすい。
善良であることや人を大切にすることは男が女に求める美徳だが、それらは女が男に求める美徳ではない。
女が男に求める美徳は、たとえ悪であっても強いことであり、それは麦か悪麦か関係ない。
だから男性は麦ばかり、女性に比べ善良で誠実な人が多い。
女性の残りものには福はないが、男性の残りものには福がある。
婚活パーティーでは、麦と毒麦がパーティー会場という畑にまかれているが、男性は麦だらけで女性は毒麦だらけ。
女性からすれば「いい男だらけ」なのだ。
この不公平をどうにかしたくてもどうにもならない。
女尊男卑の社会に生まれてしまった男性の悲劇である。
私の職場は女性が多い職場で、既婚者も未婚もたくさんいる。
でもだいたい30歳を境に、結婚願望がある女性の内、麦はほとんど売れており、残っているのは毒麦ばかり。
みな彼女らの性格の悪さをよく知っているから、職場の男性は誰も手を出さない。
考えてみれば、こういう女性が婚活パーティーに来るのだろう。
でも、たまに自分をうまくPRできなかったり、巡り合わせが悪かった関係で、売れ残っている女性がいる。
昔、交際したブサイクな彼女や、昨年の2月、私が失敗してしまった女性のような人だ。
こういう麦も出会いを求めているので、たまに、まるで神様のおぼしめしのように、パーティーに参加することがある。
またこれも不思議なことに、女性の麦は麦で固まってパーティーに参加することが多い。
そういう時は「あっ。今日はチャンスだ」と感じるし、実際、交際できる。
一方、「今日は毒麦ばかりだ」と思える時は、ほとんどの人はカップルになれない。
毒麦は身の程を知らない。
自分は年増のおばさんであっても、相手には高いレベルを求めている。
男性は常に麦ばかり。毒麦にいいように蹂躙される。
また毒麦の中にも、麦を装う毒麦もいるし、妥協して交際する毒麦もいる。
こういった毒麦は、やたらと媚びを売って来るが、他の男からLINEが来ると平気でドタキャンする。
そしてそのことになんら罪悪感を覚えない。
しかしそうやってよりよい人と縁を持とうと他人に迷惑をかけつづけても、よりよい人は競争率が高いので、結局、彼女は彼をゲットできない。
そうやって延々と婚活を続けながら、それを自分をふった男のせいにし、男を逆恨みする。
一人でも誠実に接していれば、こんな不幸は起こらないのだが、自分のためだけに生きている毒麦にはそれを理解する脳の機能は備わっていない。
私は毒麦にさんざん振り回され、それで女性不信になり、そのため麦を失って来た。
ただ自分の不安をおさえれば、毒麦はその行動からそれと分かる。
いずれ地獄に落ちる彼女らの地獄へのお供をするのは私ではなく悪魔で十分だ。
悪魔は人の欲望を誘惑することで人を不幸に陥れる。
結婚したい。子供が欲しい。一人でいると寂しい。その不安を抱えたまま婚活パーティーに出ると、そこを悪魔の子供たる毒麦女につかれてしまう。
不幸な人間には2種類ある。
悪魔の子として生まれ、悪事を愛し、神を罵倒しては、世の中に害を与え、そして自身も滅びる悪魔の子、毒麦。
本当は救われるはずなのに、毒麦によって一緒に地獄へとひきずりこまれる麦。
悪魔は滅びる自分の運命をうすうす知っているから、できるだけ多くの人間を道連れにしたいと願っている。
そう聖書に書かれてある。
神を知ることと神に祈ることは、このどうしようもない人生において必要なことだ。
ただ神に祈る時、いつも心に思うのは、神に対し何もできない無力な自分がただ自分の幸福を願い神に求めても、それはずうずうしくないかということ。
できる限り自分の力で幸福になりたいと考えてきたが、自分だけの力で幸福になることはできない。
神は人にずうずうしくも祈ることを許されている。
神のあわれみにあまえ、自分の幸福を神に祈る。
不幸な人の最も大きな不幸は神を知らないことと神に祈ることを知らないことだ。
人にはいろいろな人生が与えられる。
たとえそれが不幸な人生であっても、ただ神だけは一緒におられる。
そのことを知っているだけ、私は不幸な人たちより幸福なのかもしれない。
私が、こんな風に感じるのは、私が麦であるからであり、
私が婚活で接する毒麦女たちは、こんなことは感じないだろう。
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