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2020年08月13日23:20

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夏休み5日目

 夏休み5日目の水曜は、朝から映画。
 まずは、川崎チネチッタで、
 「8日で死んだ怪獣の12日の物語」。
 これは、コロナ禍の最中、映画監督の樋口真嗣らがSNS上で実施した「カプセル怪獣計画」の番外編となる作品。監督・脚本は岩井俊二が務め、ほぼ全編リモートで撮影された。

 2020年。新型コロナウィルス感染拡大の影響で、撮影がストップし、自宅で自粛生活中の俳優、サトウタクミは通販サイトでカプセル怪獣なるものを買った。
 怪獣の成長を配信しているタクミの元には、通販で宇宙人を買ったという女優の丸戸のんや、コロナの影響で無職になった先輩のオカモトソウなど、様々なな人たちから連絡が入る。
 日に日に怪獣は成長していくが、どうもYouTubernoのもえかすが育てている怪獣とは種類が違うようだ。怪獣に詳しい知り合いの樋口監督に話を聞きながら、日々怪獣を育てていくタクミだが……

 この映画だが、このコロナ禍の下で映画を撮る目的、そのための工夫、メッセージ性、演者の力量、監督の作家性などを兼ね備えた、ウィズコロナ時代のお手本のような作品。 
 出演者のイメージを活かした会話シーンがリアルで、特に、樋口真嗣や武井壮など、演技者として馴染のない人から自然な会話を引き出している辺りは岩井俊二の手腕だろうか――もっとも武井壮などは地のままのようにも思えるが。
 重いドラマを見せない辺り、岩井俊二らしくない、とも言えるが、その一方で、怪獣のイメージシーンとして挿入されるコンテンポラリーダンスや、現代劇なのに敢えてモノクロで撮影するなど、アート色の強い――気取っている、とも言える――スタイルは、岩井俊二ならでは、だろう。
 ただ、タクミの怪獣の変化の理由には、心を打たれて、泣きそうになってしまった。

 キャストの顔ぶれの割には低予算の映画、とは思うが、それでもコロナ禍で閑散とした街並みの撮影や、怪獣の飛翔シーンなど、それなりに手間はかけている感じ……ここまでやるなら、もえかすのカプセル怪獣は最初っから動かして、タクミの怪獣とは「違う」と言うのを見せて欲しかったようにも思った。

 昼は一旦帰宅。「天ぷらを食いに行こう」と言う父親につきあう。
 行ったのは近所の福祉センター。ここの食堂のランチが安いのだ、と言う――そりゃ福祉の一環だからな……
 えび2本とマイタケ、ナス、カボチャの乗った天丼と、蕎麦のセットで¥850円。これで食後にはコーヒーがつくのだから確かに安い。父親がよく利用しているのは判るが、現役世代としちゃ、ちょっとばかり利用に気が引けるよな……

 その後、クルマで座間へ。

 夕方、イオンシネマ座間で、
 「ボヤンシー 眼差しの向こうに」。
 これは、東南アジアの水産業で行われている奴隷労働をテーマとしたオーストラリア映画。

 カンボジアの農家の末息子である14歳のチャクラは、跡継ぎとして期待されている兄とは違い、労働の担い手としか扱われない自分の境遇に納得がいかない。
 金を稼ぎ、独り立ちしようと、チャクラは、友人からタイへの密入国を斡旋するブローカーを紹介してもらい、誰にも相談することなく、単身、家を出る。
 チャクラは密かに国境を越え、タイに入国する。だが、ブローカーに支払う費用を持ち合わせていなかったチャクラは、費用回収の為、密かに“身売り”されてしまう。
 他のカンボジア人やミャンマー人とともに“奴隷”として漁船に放り込まれ、劣悪な環境下で労働を強制されることになる……

 東南アジアの中でも経済的に発展しているタイは、多く不法入国者を引きつけており、劣悪な状況で働かされていると言う。特に水産業においては推定20万人の不法入国者が奴隷労働に従事させられていると言う。
 漁船の狭い船倉に詰め込まれ、1日20時間以上働かされ、脱走や反抗は勿論、体調を悪化しただけで海に放り込まれる……勿論、誇張もあるのだろうが、あまりに過酷な労働状況に言葉を失う。
 そして、目の細かな底引き網で、小魚まで一網打尽にする操業の様子にも、だ。恐らくは飼料か肥料にするのだろうが、こんな漁を続けていたら再生力の弱い南の海はいずれ枯渇してしまうだろう……そうした点でも、彼らの漁は論外なのだ。

 映画は、そうした現実を背景に、それを14歳の少年の目を通して描く。
 主人公はカンボジア人、船長はタイ人、主人公以外の奴隷労働者はミャンマー人と、国も違えば言葉も通じず、この映画、台詞が極端に少ない。余計な説明をせず、無知な農村の少年同様、この現実を見て、どう思うかを問われる映画であり。なかなかのハードボイルド。

 気になったのは、少年が村から出た理由。農家の末息子だから、と言うのは判り易い理由だが、隣国・タイとの、そして国内でも都市と農村との経済格差と、貧困が、棄農と不法移民を生んている、と言う背景に踏み込まない辺り。漁船の中だけではなく、今や、社会そのものが、格差あるものになっている、と言う視点が必要だったのではないだろうか?

 映画は終盤になって、予想外の展開を見せる。
 少年が村に戻るラストは、やや甘口にも感じたが、それでも、もう家には戻れない、としたのは納得。
 この世の地獄を見て還ったチャクラの目の光は少年のものではなく、もう、元の暮らしを続ける事は出来ないだろう……寡黙である分、その瞳に想いを乗せたチャクラ役のサーム・ヘンの演技には圧倒される。

 今日はもう1本。
 「ブラック・アンド・ブルー」。
 これは、「007」シリーズのナオミ・ハリス主演のクライム・サスペンス。
 共演は、「ワイルド・スピード」シリーズのタイリース・ギブソンで、「ワイルド・スピード」では賑やかし担当だった彼が、仏頂面で寡黙な男を演じているのもいい。

 退役軍人のアリシアは、故郷・ニューオリンズに戻り、ハリケーン・カトリーナによる被害により街も人の心も荒廃したこの街で警察官として働くことになった。
 そんなある日、アリシアは、同僚の警官に代わり、臨時に夜の巡回を行う事になった。明け方、バディを組む警官に直接入った連絡により、湾岸の廃工場に急行する。
 アリシアは現場へは同行せず、パトカー内で待機を命じられるが、突如現場の建物から銃声が響いた。様子を見に、建物内に進入したアリシアは、麻薬課の刑事が麻薬の売人を殺害する場面を見てしまう。目撃者となったアリシアに、麻薬課の刑事のひとりが発砲。口封じのために同僚の警察官から追われ、更に売人の叔父である地元ギャングのボスも、罪をなすりつけられたアリシアを追い、彼女は故郷の街で孤立無援となり、古い知り合いのマウスに頼るが……

 悪徳警官の内部告発、と言うのは最早ジャンル化された感もあり。それに新風を吹き込もうとしてか、主人公のアリシアをアフガン帰りの女性兵士として、新米警官ながらベテラン警官やギャングとやり合える、と言う設定としている。更に、地元の人間、と言う設定を加え、市民やギャング構成員とも面識を持たせる一方、ギャング相手に弱みを作らないよう、身寄りがない、とするなど設定を作り過ぎでは、と言う印象。その割に、彼女の正義感を生むものが判りづらく、がまた、最後の舞台を、生まれ育ったアパートとしながら、それ活かせていないなど、終盤の展開はいまひとつ。
 甥を殺されたギャングのボスも復讐も果たせず、結局、アリシアとマウスのふたりで全部片付けてしまうのも工夫がなく思える。

 警察もののクライム・サスペンスとしては定番のような本作だが、ジョージ・フロイド氏の拘束死に始まるBLM運動の盛り上がった今後は、この種の話と言うのは難しくなるのではないだろうか? 
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