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2020年08月04日08:36

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キリシタン紀行 森本季子ー198 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー56

●南蛮船の入港
 話を志岐に戻して。
 志岐麟泉がアルメイダの布教を後援し、自らも入信してひたすら待ち望んでいたポルトガル船がようやく志岐に現れた。元亀元年(一五七○)六月十八日であった。交易の利と鉄砲入手が眼目である麟泉にとって、まず当面の目的達成を見たわけである。
 この同じ船で、イエズス会の日本新布教長フランシスコ・カブラルが志岐に上陸した。
 元亀元年と言えば、織田信長、徳川家康の連合軍が浅井長政、朝倉義景の軍と近江の姉川で戦った年である。日本全土は戦国乱世にこねまわされていた。
 この時期、天草の志岐において布教会議が二度も開かれている。第一回は永禄十一年(一五六八)、日本布教長コスメ・デ・トルレスによって、更に元亀元年(一五七○)新任の布教長カブラルの召集で。日本地図を見る限り、これはちょっと驚きである。何もわざわざ志岐を選ばなくても他に適地がありそうなもの。しかし離島とは言え、長崎、島原地方に近く、アルメイダの布教に好意を示す麟泉の庇護がある。教勢も確実に進展していた。当時九州はキリシタンの最も盛んな地方であった。が、天草の志岐で、日本在住の全布教者に召集をかけ、布教会議が開催されたことは注目に価する。
 自領への南蛮船入港は麟泉を狂喜させた。

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